妻の母親に体の不調があり入院する事態となった。
前年に癌があり、治癒したのだがその後遺症である。
妻の父はまだ働いており、介護的なことが限定的である。
そういったときに、活躍するのが娘である妻である。
普段から仲もよいので、惜しみなく介護的な手伝いをしていた。
もちろん、無償である。(多少の御駄賃あり…)
こういった時に、経済的な絡みなしに手助けになるのは、やはり家族である。
昔なんかは、老後を世話してもらうために子供を産むなんて、あからさまなことが言われていたが、
あながち間違いではないのかもしれない。
いま子供いらないとか、独身で楽しい。と人生を謳歌している人たちも
まさに体が資本で、健康な脳と身体があるからできていることであるといえる。
良く思っていたことがある。
たとえば20代で、結婚相手もいて仕事も充実していた女性がいたとする。
突然ALSなどの難病になったとしよう。
きっと、結婚相手は去っていくだろう。仕事もできなくなり、絶望する。
そんな女性を最前線で支えるのは親である。
この無償の愛的な支援は、ときに子供に向かうとヤングケアラーになるのだが、
ヤングケアラー問題をのぞくと、やはり家族が支えることになる。
しかも、多くは自主的にだ。
きっと、自分も自分を取り巻く家族が絶望的な状況におちいったら無償でしゃにむに支援するだろう。
この支援は、当然ながら人数がいたほうがいい。
今回の妻の件も、血縁の支援者が多いので一人に偏らずできている。
たとえ、その人に100人の友達がいたとしても、
ある種の損得はある。たかが友人だからだ。
そういう意味では、家族を作るというのは人生のリスクを軽減する手法の最たるものといえるし、
その効果は自分が、絶望の淵にたったときにやっと見えてくるようなものなので、
普段は意識できないのであろう。
しかし、絶望の淵にたったときにあぁ、家族いねーってなると本当にキツイ。