R太のざっくり雑記

40代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2019年05月

弱者救済は一筋縄ではいかないよ

川崎の通り魔事件を考えてると、ブルーになる。そんななか、弱者救済を叫ぶ識者もいる。たしかに、いうべきかもしれない。

しかし、社会的弱者は、社会的なステータスにおいて弱者(稼げないとか、歩けないとか)であるだけだ。べつにすべての面で弱々しいわけではない。

むかし、電車の中で怒鳴り散らす車椅子の人をみた。なんの理由かわからんが、関わりたくなかった。弱者が、おそろしくネジ曲がった性格の人間である可能性は、大いに有り得る。

「最貧困女子」という本を昔読んだ。貧困で風俗に落ちるような悲惨な女性を、女性救済団体のNPOかなんかが助けるのだ。しかし、この貧困女性は社会的な弱者であるが、性格がひどく、セックス依存症である。NPOの男性スタッフに色目を使うのだ。そのことにより、この支援団体じたいの人間関係がギタギタになる。結果、再度、放り出されて終わりだ。

人は、人間関係を上手く構築できない相手には、とても冷たい。手を差し伸べて、握ってくれて、また感謝をしてくれる。そんな美しい相互関係が築けない相手。だからこそ、社会的に孤立してしまう。このパラドックスを変えるのは、とても難しいだろう。

社会的なつながりをといって、何かを組織しても、そこに来るのはまだレベル1か2のビギナーだ。

ほんとにやばい人は来ない。

楽しいときの体感時間と楽しくないときのソレ

時間というのは、不思議だ。物理的には、万人に平等である。しかし、楽しいときと、そうじゃないときの時間の過ぎ方たるや…。

楽しい時。たとえば、気の合う仲間とお気に入りの居酒屋で飲んでいたりする時。爆笑のうちに、4時間があっという間に経過しているということがある。逆に、嫌いな人との時間は、ブラックホールのように重く、いつ終わるともわからない。時計をみると、まだ30分とかある。

仕事でもそう。楽しいときの時間と、とても楽しくないときの時間の過ぎ方や恐ろしい。これは、どう考えても人生にも当てはまるだろう。

バリバリ活躍している実業家などは、よく、時間がもったいない。もっと楽しもう。200歳まで生きたい、とか言う。しかし、長く引きこもってしまった中高年にとって、人生100年時代などとは悪い冗談だ。

あと、50年。この重苦しい時間を、どう生きたらいいのか。苦しみしかない。自分を支えるなにもない。未来がない。ただひたすら一分一秒が重い。終わらしたいと思うだろう。死にたいのではない、終わらしたいのだ。

人生の一時に、俺にもそういう時期があった。

自分にその刃が向けば、首をくくったり練炭で自殺だ。しかし、この刃はなにかをきっかけにして、外にも向かいうる。それを、押し止めるのは、それまでの生育環境などが大きい。そこに恵まれていない時は…悲惨だ。

ところで、われわれがなにかを終わらせること(人生であっても)に躊躇する感情がひとつある。

「もったいない」である。

まだ、先にいいことがあるかもしれないから、もう少し続けよう。この感情をもてるか否かが、重要だ。陳腐であるが、そのキーポイントはやはり、自分なりの小さな幸せを育てることなんだよね。

でも重ねるが、それには、それまでにどれだけ幸福体験を積んでるかも重要である。幼いうちに、幸福体験がないなら、やはり難しいのかも知れない。

自分にとってもかつての自分と重なる部分のある人生への絶望。コレに対してどうすればいいかは、長い時間をかけて考えるテーマではある。

運動会と不審者

小学校の運動会には初参加である。そして、俺の担当は子どもの動画撮影である。幼稚園時代から、よく撮っている。といっても、普通のファミリー向けの手持ちタイプのビデオカメラだ。

今回、少しだけ気になったのがだ、小学校5,6年生にもなれば、女子はそこそこ背も高い。そして、女性らしい体型になる子もいる。

もちろん、そんなのを動画に収めに来たわけではないのだが、たとえば俺がそんな趣味の人間だとしたらかなりのお宝イベントではないか?

実際、とくに受付も設けていないごく普通の公立小学校である。誰が入ってきて、どのように撮影していても、保護者か不審者は見分けがつかない。

実際、不審者だと思われて声をかけられた男性が、実は保護者で、他の親たちから頼まれて、子供たちを望遠レンズで撮っていた、ということもあったらしい。変質者扱いされたようなもので、激昂してしまう可能性もある。実に、難しい問題である。からといって、いちいち、門の前でチェックするのも厳しい。

昨今の、性犯罪の低年齢化を考えると、こういったイベントですら、怖いなぁと思うよ。いや、実は、左前にいた汗っかきのおっさんが、ちょっと怪しかったんだよね…。

でも、そんな俺も、熱心に女子の股間を狙ってるカメラ親父に思われてる可能性もある。もはや、暗中模索の疑心暗鬼…。

そういえば、千葉でベトナムの女児が殺された事件があったけど、あれは、PTAの会長だったね。しかも、自分の子どももその小学校に在学中である(当たり前だが…)。そんな人が性犯罪者って今考えると、とんでもない事件だよなぁ。防ぎようがないわ。

とりわけ、女の子をもつ親(俺も)にとっては、ちょっと怖い時代だよね。

川崎通り魔、ひどい事件だ

通学バス待機中の小学生児童の命が奪われた。気の毒でしかたがない。

子どもがいる人間にとっては、この手の話は他人事ではない。いってらっしゃい、いってきますと一日の初めに言い合い、それが最後となる。憎むべきは、加害者。しかし犯人は、自ら自害が成功したらしい。真相は闇の中である。最悪だ。

こういうことがあると、必ずいわれるのが、死にたいなら一人で死ね!である。もっともだ。しかし、一人で死にたくないから、犯行を起こすのだ。

自分への憎しみだけが原因であれば、自分を殺すだけだろう。だれか特定のものを憎んでいたのなら、その人物を殺傷する。しかし、今回のようなものは、社会に対する怨念が原因ではないだろうか?社会の人間が怒れば怒るだけ、この犯人にとっては溜飲が下がるのだろう。

きっと、これから明らかになっていく犯人の正体。願わくば、その人物像に共感する人たちがいないでいてもらいたい。特殊な殺人狂の人間であってもらいたい。

しかし、自暴自棄になり、他者をまきこみ、自爆する中高年はこれから増加していく気がする。結局、家族を持つというのは、なにがあっても自分は凶行にはしらない、という丈夫なネットなのである。

どんな事が起こっても、自分を必要としてくれる人間がいる限り、人は、なんとか踏ん張れる。そのようなネットがないと、底辺に落ちた時、自分だってどうなってしまうかわからない。

そんな、社会の危うさが今眼の前にある。

灼熱の運動会

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気温32℃。5月にしては異例である。

こんな暑さで小学校の運動会である。暑い、暑すぎる。観戦も大変だが、競技している方はもっと大変だ。早速、倒れた子が出たようだ。この倒れた子の親だったら、学校に文句の一つでも言ってやるかも知れない。

天候を鑑みて、種目をショートカットした小学校も多かった模様。そんな中、フルでやったようだ息子の小学校は。お遊戯的パフォーマンスも長い。5,6年生のパフォーマンスは、裸足で演じている。

たしかに、せっかく練習したんだから、フルにやりたいとは思うけどね。うーん、熱中症で死んだりしたら洒落にならないなぁ。見ている俺の方は、家が学校に近いということもあり、頻繁にエアコンのついた家に帰宅していたからいいんだけど、子どもは少し可愛そうだな。

まっ、こんな天候は誰にも予想できないからね。

ちなみに、息子のかけっこは四位。ちょっと、姿勢がバラけているので、トップ集団には入れなそうである。本人も、まったく悔しそうではないので、これで良しとしておこう。

しかし、高学年と低学年の体格差にはおどろいた。あと、5年でこんなにでかくなっちゃうの!?なんか嫌だなぁ。

「おとうさん!」なんて、声変わりたての、やや太い声で呼ばれたら…。なんだか、イベントごとに成長していく姿は頼もしいが、どんどん離れていってしまうのも寂しいな。

湿気と天パー

早くも唸りを上げてきた俺の天然パーマ。まだ夏ではないのに暑いし。

極力散髪を後回しにしたいが、もう2週間以内にはやらないかんかな。一回うねって、もういっちょ、うねる天パー。相当ウザい。

ストレートだったら多少長くても様になるのに。

いや待て、ストレートならやや薄毛が露わになるのでわないか?そう考えると、この幾重にも重なる天パーのうねりがハゲ隠しになってるのかもしれない。

気分的には染谷将太なんだけど、どう考えても妙齢のおばちゃん。
今年も湿気タップリの嫌な季節がくるよ。

炎上したから議論になっただろうという開き直り

議員の戦争発言や、他諸々…。過激な発言ほど、話題になる。主に、批判であるが。やはり、発言には一定の責任が伴う。しかし、言論の自由も同じように保証されている。では、何をいってもいいかといえば、もちろん違う。

電車に乗ってて、とても体臭が臭い人がいたとしても、「お前くさいから、迷惑なんだよ!降りろ」などと言ってはいけない。とても傷つくからね。とりわけ、身体的なことはどうにもできないこと。そこを、不快だからって攻撃するのはいかんのだ。(心に思うのは勝手だが)

戦争発言にしたって、そう。そのように言った先に、なにか策があるのだろうか?ただの、自分の不快感の押し付けである。しかし、俺がもっとも嫌だなぁ、こいつと思ったのが、「自分のおかげでこの問題がフォーカスされただろう」という開き直りである。

いわば、考える機会を与えてやったという、上から目線である。この問題に限っては、結局フォーカスされたのは、エリート議員の高慢さと、酒乱の愚かさとか、ごく個人的なものだ。

北方領土が一朝一夕にならないことは、誰だって知っている。だからこそ、地道に頑張っている人たちもいるだろう。そういうところを焼き尽くすような炎上はおそらく迷惑なだけであろう。

個人的には、最近、しみじみ思う酒の薬物効果がまたまた証明されてしまったような気がする。
酒は百薬の長ではない。

週末の運動会こわい…

なにが怖いって小学校の運動会が炎天下で開催されること。

5月のくせにこの真夏の天気なに!?確実に倒れる人が出る可能性あるなぁ。

70代後半の父も、孫の勇姿を見に来るのだがヤヴァイなこの天気。おそらく、父の目的は最近習い始めたカメラの腕試し。格好の場だからね、孫の運動会なんて。

俺も、いつものごとく一脚をもって、ビデオカメラを回すことになりそうだ。しかし、この時期にこの気温って、夏は40℃いくんじゃないの?いよいよ日本も、四季があやふやになりつつある。

二強(夏、冬)と二弱(秋、春)である。春が好きなんだよ俺…。

自動車教習所のイベントへ

実家へ子連れで帰省。まぁ、実家付近の教習所で祭りのようなイベントが有って、そこでの子どもの自転車練習がメインの目的。

10時から自転車の受付ということで、列に並ぶも午前中はもう終わり。次は12時からですって…。そこはかとなく漂う、残念感。見たらチャリのバリエーションも少ねえ。これは、客寄せじゃなかろうかと邪推しつつ、他の催し物を堪能。

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ミニSLや白バイに乗ったり、屋台なども。自転車に乗れず娘はオカンムリ。まぁ、ここでやらなくても、本格的にやってる自転車教室に今度申し込むか。

しかしながら、子どもがいる家庭は休日にどこへ行くかは大きな課題。そういう意味で、こういった無料イベントはかなり貴重なのだろう。クソ混んでいた。正直一個一個のも催し物はもう一つ感がすごい。

でも、天気もよかったので、特に息子はフルで堪能。おばちゃん(姉)と連れ立って、縦横無尽に遊んでいた。断食療法を始めたばかりの姉は、バテ気味…。俺は俺で、自転車に乗れず不機嫌な娘の脱走、追いかけ。また脱走、追いかけを繰り返して超疲れた。

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イベントにはステージもあって、個人的には、老齢のじいさんのバンドが良かった。テケテケでお馴染みのベンチャーズを演奏していたが、こんな老人になっても音楽を奏でられるっていいなぁと思った。俺も、やりたいなぁ。まぁ、来年は来ないと思うけど、無料だしまぁまぁ楽しめてよかった。

死んだあと、戻ってきた人生と考える

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例えば自分が今、幼児二人を残して死んでしまったとする。

ガンで徐々に弱り壮絶に逝く。または事故で突然あっけなく逝く。どちらでもいい。無念であろう。やり残したことが山積、いや、やり残したことしかない。その中で最も悔やむ事は何だろう。

子供や妻、そう家族の未来について大きな悔いを残すだろう。
自分の永遠の不在の代償はきっと大きい。様々な負荷がかかるだろう。そして、それに何もできない自分。たまらん。

ビッグダディはあるインタビューでこう言っていた。自分は、死んでしまった。でも神様がチャンスをくれてもう一度だけ人生をやり直させてくれた。そう思って子育てをしている、と。

凄まじい視点である。実際にそれが出来ているかどうかではない。その発想がビックリダディである。人の真実はわからない。しかし、この示唆1つで彼への見方は変わったといえる。

自分が悔いを残して死んでしまったあと、戻ってきたら何をするだろうか。

子育てや人生に行き詰まる時、この視点が少しの安息をくれる気がする。そこかしこに、考え方次第で幸せを感じることができる材料はある。
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