川崎の通り魔事件を考えてると、ブルーになる。そんななか、弱者救済を叫ぶ識者もいる。たしかに、いうべきかもしれない。
しかし、社会的弱者は、社会的なステータスにおいて弱者(稼げないとか、歩けないとか)であるだけだ。べつにすべての面で弱々しいわけではない。
むかし、電車の中で怒鳴り散らす車椅子の人をみた。なんの理由かわからんが、関わりたくなかった。弱者が、おそろしくネジ曲がった性格の人間である可能性は、大いに有り得る。
「最貧困女子」という本を昔読んだ。貧困で風俗に落ちるような悲惨な女性を、女性救済団体のNPOかなんかが助けるのだ。しかし、この貧困女性は社会的な弱者であるが、性格がひどく、セックス依存症である。NPOの男性スタッフに色目を使うのだ。そのことにより、この支援団体じたいの人間関係がギタギタになる。結果、再度、放り出されて終わりだ。
人は、人間関係を上手く構築できない相手には、とても冷たい。手を差し伸べて、握ってくれて、また感謝をしてくれる。そんな美しい相互関係が築けない相手。だからこそ、社会的に孤立してしまう。このパラドックスを変えるのは、とても難しいだろう。
社会的なつながりをといって、何かを組織しても、そこに来るのはまだレベル1か2のビギナーだ。
ほんとにやばい人は来ない。
しかし、社会的弱者は、社会的なステータスにおいて弱者(稼げないとか、歩けないとか)であるだけだ。べつにすべての面で弱々しいわけではない。
むかし、電車の中で怒鳴り散らす車椅子の人をみた。なんの理由かわからんが、関わりたくなかった。弱者が、おそろしくネジ曲がった性格の人間である可能性は、大いに有り得る。
「最貧困女子」という本を昔読んだ。貧困で風俗に落ちるような悲惨な女性を、女性救済団体のNPOかなんかが助けるのだ。しかし、この貧困女性は社会的な弱者であるが、性格がひどく、セックス依存症である。NPOの男性スタッフに色目を使うのだ。そのことにより、この支援団体じたいの人間関係がギタギタになる。結果、再度、放り出されて終わりだ。
人は、人間関係を上手く構築できない相手には、とても冷たい。手を差し伸べて、握ってくれて、また感謝をしてくれる。そんな美しい相互関係が築けない相手。だからこそ、社会的に孤立してしまう。このパラドックスを変えるのは、とても難しいだろう。
社会的なつながりをといって、何かを組織しても、そこに来るのはまだレベル1か2のビギナーだ。
ほんとにやばい人は来ない。