R太のざっくり雑記

40代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2019年09月

石井光太の「鬼畜の家」を読んだ

虐待の話はもうやめてくれ、と思う。こればっかりは、聞いたり見たりしてると怒りがわいてきたり、悲しみに包まれてどうにもならない。最近では目黒の虐待死事件の裁判をやっている。そこで詳らかになる、虐待の詳細を知るととても正気では居られない。

しかし、いつも気になることがあった。虐待をしていた親のバックボーンである。

そのバックボーンに光をあてているのが、このノンフィクション本である。これに限らず、実際の事件のノンフィクション本は報道ではわからない部分を知らしめてくれるので、たまに努力して読むようにしている。

本書でわかったのは、虐待親も、もれなく、自分の親から虐待を受けているという点だ。

つまり、虐待の連鎖である。愛情を知らず、非常を叩き込まれた人間。そして、その人生において愛情を知らずに育った人間。ある種の不幸は、虐待死した子供の祖父母から始まっているのだ。(継父の場合は別だが)
そう考えると、もっと先もありえる、その祖父母はその親からの虐待って感じで。

つまり、強力なウイルス感染と同じように、親から子へ虐待ウイルスが伝染しているのだ。
惨憺たる気持ちになるが、エンディングで石井光太が一筋の光を見出している。

偶然にも、最近NNNドキュメントの動画で見た、養子縁組組織Babyぽけっとが出てきた。そこでは、不妊治療がうまくいかず、悲しみにくれる夫婦。予期せぬ妊娠に困惑する女性をマッチングしている。生まれた直後に、子供は、養父母に引き取られていく。そして、愛情たっぷり育てられていく。

この形態が、負の連鎖を断ち切る唯一の道であるといっている。完全に同感である。

気になって、Babyぽけっとのサイトを見てみた。そこに、ブログがあった。特別養子縁組で子供を迎えた親たちが、ブログを書いている。
そこに現れる子どもたちの笑顔。
モザイク入りであるが、なんだか涙がでてきた。この笑顔は養父母にしか作ることができなかっただろう。
血の繋がりがなんだろうか。

きっと、自分も、いまのあなたの子供に血の繋がりがない。
そんで、あっちの子供が本当の子ですと言われても、今の子供を手放すことは決してしないだろう。
そう、海外逃亡しても絶対手放さないよ。

ともに過ごした時間というのは血よりも断然濃い、と個人的には思う。



優先席付近のスマホ

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ちょっと前は、優先席でスマホを見ているだけで、勢いよく怒る老人が多かった。2回くらい叱られた思い出がある。すんごい気まずいんだよね。

ネットに繋がってないキンドルを読んでいて、注意されたこともある。電子機器ではあるが電波もなく、なんの問題もないはず。そういう思いがあるので、反論したのだが、全くピンとこず、諦めた経験がある。

悔しいが、話の通じない人には何をいっても無駄なのである。

最近は、優先席付近でスマホをいじっていようが、なにか言う人はめっきり減った。むしろ、老齢の人でもスマホを使っており、席に座ってスマホをやっているのだ。携帯などの電子機器が、ペースメーカーなどに全く影響を与えない、ということが周知してきた結果でもある。

しかし、一番はスマホの普及率が飛躍的に上がった事が挙げられるだろう。いまでも、苛ついてる老人はいるとみている。しかし、あそこでも、ここでも、自分と同じ年代の人間も、となるともはや注意できないのだろう。

普及率があがり、ポピュラーになる。

人権意識とかもそうだ。LGBTの人たちを見ても、あまり嫌悪する人間は減った。ハーフの人も珍しくない。

多様性への柔軟な対応を…という言葉がある。しかし、結局は実践に勝るものはない。ある意味の習慣化である。珍しいものに対する忌避から、受け入れるまではあっという間である。いま避けられているものも、じきに普通になるものがある。それはなんだろうか。

横浜家系ラーメンの夕飯

駅前にある家系ラーメン。最近すごい増えているこのチェーン店が。

味とか油とか麺とか薄さ、硬さとかカスタマイズ出来るのが人気なのかも。とりいそぎ、スタンダードなものの大盛りをチョイス。麺硬め。
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出てきたのがこちら。普通の味にしたけど、メチャ濃そう。

実際、味が濃い!ビールと一緒に食べたのでなんとかなったが、こってりしすぎだった。
若いときはこういうのもドンと来いだったけど、今は…。

次食べる機会があれば、味薄めをチョイスしよう。

コブクロ小渕さんの国歌斉唱は後の鉄板ネタなのに、布袋氏のせいで…

話題だということでコブクロ小渕さんの国歌斉唱の動画を見た。妻からスマホで見せてもらったが、失礼ながら大爆笑してしまった。

素人のカラオケではよくあることだ。
女性ボーカルを選んで、高音で歌い始め、そうそうについていけなくなる。裏返りつつ、低音にいきなりもどすこっ恥ずかしさったらない。

プロの歌手である彼がそれをやってしまったのだ。
気の毒半分、面白さ全開である。
逆に、一定の歌唱力を有するからこその、失敗の妙みたいな気もする。

その後、小渕さんも思いが強すぎて、緊張してしまい、こうなったみたいなコメントを出していた。これで、完結であろう。数カ月後には、これは鉄板ネタとしてダウンタウンにいじられたり、自身のライブで黒田氏がいじったりして、それこそ最高のすべらないネタになるところである。

この寝かせる期間が大事である。

しかし、余計なことを布袋氏がしている。擁護するつもりもないが、反省している人を攻撃するのはよくない!みたいな意見だ。本当にいらないこういった意見。

なんとか感情をコントロールしてんのに、変なやつが「かわいそうだろう、泣いちゃってんじゃないか」と非難する。その言葉によって、なんだか悲しくなり、泣いてしまうということが子供の時よくあった。

こういうときの発言者は、自己満足人間である場合が多い。(単純に同情してる場合もあるが)

泣きそうになってるわけではないのに、こいつのせいで、なんだかよけい恥ずかしくなってしまうのだ。この度の布袋氏の意見にはそんな趣があるきがする。いや、全部読んでないんだけどね…。

とにかく、時間をかければ最高のおもしろネタになるこの一件。
そっとしておいたほうがベターである。

山梨のキャンプ場の女児不明…初日に自衛隊投入はやっぱだめなのか

とうとう5日も経過してしまっている。昨年の新潟の山での父子遭難でも思ったことだが、せめて初日や二日目に一気に捜索人員を投入できないものだろうか?
かなり経過して、自衛隊を150人投入するならもっと早く!と素人は思ってしまうのです。

命の期限は明らかにあるのだ。
7歳の女児の体力で5日…頑張ってどこかの山小屋にでも籠もっていてほしい。

病気でもトラブルでも全ては早いうちに解決するほうが、いい。いなくなったという段階で、100台くらいのドローンを投入したり。山好きのおじさんたちを500人強制的に徴収したりして、とにかく人海戦術を駆使する。(お前がいけという感じだが…)
ドローンなんかは、赤外線で夜間に探索できる技術がある。それを夜通しやるとかダメなんか?

まぁ、ニュースになる前にすぐにみつかるパターンが大半なのだろうから、なかなか初期に大規模にはできないとは思うけど…。

なんだか、SNSにて親を批判する人も多いのも哀しい。

なかなか、ずっと見てられるもんじゃないからね子供って。俺も、何度も見失った経験がある。2,3分が1時間に感じるくらい怖いことだ。頭真っ白になる。

あと年齢もある。携帯とか持たせるのが10歳くらいだとして、7歳はそのハザマ。小学一年は、いままで幼稚園や保育園でつきっきりで送迎していたところから、一人で通うデビューを果たしたばかりである。どこか、独り立ちした感があり、親としては頼もしさも感じている。

しかし、現実的にはいなくなれば連絡手段がない。

こういった不安を、俺も改めて感じてしまう。親の立場になると、ご両親が気の毒でしかたない。
早急に安全に出てくることを願わざるを得ない。

息子の中耳炎から嘔吐とまらず

自分の風邪が治ったと思ったら、今度は息子が、嘔吐連発。そんで、耳が痛いときた。中耳炎体質だから、よく罹患する。しかし、今回は嘔吐がやばい。水飲んでも吐くようになってぐったり。

休日だから、休日診療がやっている病院を探す。妻が、連れてくが、その道中も吐いた模様。妻は仕事があるので、途中で俺が交代しなくてはならないが、わんぱくな娘が問題だ。病院に連れてくと、そうとう暴れまわりそうなので、誰かお守り役を…。

そこで、実家から父を召喚。一時間程度で車で来てくれた。
毎度ながら本当に助かる。

子育てこそ、マンパワーが必要である。

こんなとき一人だったらどうしようもできない。下手したら、平日になる翌日まで待ってしまう可能性大である。そうなると、中耳炎などは悪化しかねない…。とりあえず、耳鼻科が終わり、内科の別の病院へいったとのことで、そこで交代しに車で向かった。

座席でぐったりスライムみたいになってる息子。診断では消化器の異常はなし。中耳炎からくるものでは?とのこと。水分をまったくとれないので、点滴とのことで近くの救急外来へ。

もう一段回アップしたぐったりした子どもたちが多くいた、さすが救急外来。そんな中では、比較的元気に見えたのか点滴してもらえず、そのまま帰される。時間を返せという感じ。

帰ってもぐったりだったが、そこで活躍したのが妻が買ってきたロックアイス。氷なら食べられるらしく、徐々に水分が補給されて、そのあと、うどんもぺろり。なんとか、事なきを得た。

いつも元気な子が病気でぐったりすると本当に心配になるんだよなぁ。
まぁ、重病じゃなくてよかったけど。

風邪からの病み上がりの俺には大変な一日だった。

久々の体調不良…だが娘の付き合いで自転車練習場へ

前日は祖父母が来てくれたが、優遇されたのは誕生日の兄。妹は、ずっと家でばあさんとの留守番。ストレスが溜まっているらしく、チャリンコを練習しに行きたいといってきた。

昨日から鼻水が止まらず、体調絶不調だったが、無理を押して交通公園という自転車を練習できる施設へ。補助輪なしを果敢にチャレンジするも、2回転くらいしかできなかった。もう少しというとこだが、それを教える気力もなし。

ズルズル鼻をごまかしながら、見守るも、9月後半のくせにくそ暑い。

熱中症にもなりそうで、もう最悪だった。なんとか、娘を載せて、無事帰還。ぶっ倒れた。薬を飲んで、早めに就寝。

発熱しなかったのが幸い。翌日には復活しました。
しかし、体調不良だと何をやるのもキツイよなぁ。やっぱ、健康第一。

SNSの繋がりのゆるさが救う

ドキュメンタリーをよく見ているが、どうしても多くなるのが闘病もの。がんなどは、誰にでも訪れる可能性があるのに、自分は大丈夫と思っている。

有名なキューブラーロスの「死ぬ瞬間」で、すごい目からウロコが落ちる記述がある。人間は、不幸なことや人の死をニュースなどで見ると、自分の不死身性を再確認するのだそう。

何でもいい。
例えば通り魔でたくさんの人がなくなるニュース。
これを見て、自分もどうなるかわからない…などと口ではいうが、その実、深層心理では、「やはり今回も自分ではなかった=自分は死なない」となるのだそう。

別に、悪いことではない。そうやって、自分は違うと思っていないと、気が狂ってしまう。それだけ、死というのは怖いものだからだ。

ところで、この前見た白血病で闘病している若者。SNSで積極的に発信していて、がんになってよかったという言葉が物議を醸したんだそう。この言葉だけとり、批判してくる人も多いらしいが、内容をみると、とても批判できない。

スポーツ万能で京大に現役で合格した順風満帆の人生に訪れた、過酷すぎる運命。

どこか性格的に尖っている彼。しかし、過酷な移植手術の前に、SNS経由で寄せられる大量の知らない人からの励しに、素直に感動する。インテリでタフそうな彼でも、SNSからの声というのは予想を反して、励まされるらしいのだ。

SNSからの励ましに力を得る闘病患者は、ネット上にたくさんいる。最初は、訝しく思っていたが最近わかってきた。親しい家族や友人とは違う、ある種、無責任なつながりが死と生の瀬戸際にいる人にとっては大事なのだろう、と。

もちろん、実生活は家族によって支えられる。しかし、距離感が近いだけに、その家族を病気によって苦しめている自分に心が痛む。そんなとき、ゆるい人たちが、大丈夫と言ってくれる。そういった、吐き出せないものの、はけ口として、ゆるい繋がりの人たちが活躍する。

同じ病の経験者とも、かんたんに繋がれるもの大きい。

たかが、言葉のやりとりで何が?と思うが、だからこそ、救われる気持ちがあるのだろう。

ネットのその先に、時間を使って返信しくれる人がいるというぬくもり。
世代的に、さすがにそのようなつながりをいきなり作れそうにもないが、もし重病になったら発信したりしたほうがいいかもなぁと思った。

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)
エリザベス キューブラー・ロス
中央公論新社
2001-01-01


若者の肉体っていいよね

いや、変な意味じゃなくて。単純に、若いっていいなぁと思ってきた。

通勤のときに、タンクトップ姿のおっさんと若者が歩いているんだけど、質感が違うんだよね。なんていうか、スッとしてるというか、背筋がいいというか。

おっさんも、絞っていい体してんだけど、なんかね。

例えるなら、若者が刺し身なら、おっさんは干物って感じ。同じ質量だが、フレッシュさが違う。

自分の体を見ても思う。
親父に似てきたなぁ体型がって…。
ズングリムックリしてて、俺が子供のときに見てた父の体っぽくなってきた。

いいことでも悪いことでもないんだけどね。これから枯れていく自分を意識しつつ、でも、武田真治とかすごいのもいるから、できるだけ鍛えてもいきたいな。

レンタルなにもしない人が話題

以前ドキュメント72時間に出ててお見かけしたレンタルさん。先週のフジテレビのノンフィクションにも出たよう。一気に知名度が上がった感じ。

とてもおもしろい試みだけど、まさか、無料でやっていたとは驚いた。といいつつ、最近一律1万円とる方針を固めたらしい。三十代半ばで、奥さんと幼い子供あり。それでいて、何でも屋の逆バージョンの何にもしない屋である。

この人を活用している人たちは、本当に多様だ。

なかに、臭気恐怖症のような女性がいた。つねに、おならが臭いのではないのか、周りに迷惑をかけているのではないか?と心身症のようになっている女性だ。普通にきれいな若い女性。精神科でも友人でも家族ですら助けれない部分に、このレンタルさんが役立ったらしい。

すごい。

この人への批判もいろいろあるらしいが、嫉妬ではないだろうか?俺は、羨ましいと思うなぁ、この仕事を考えて、実践している部分で。

個人的に最初から印象的だったのは、彼の目だ。ギョロリとしながらも、邪念がない。子供のような目である。このレンタルさんというものが成り立つのは、この人のルックスが大きいと思う。

なんだか、可愛らしいというか、性別とか老若を超えた佇まいが人を安心させるのかもしれない。

ノンフィクションの中で若い女性がレンタルさんをコピーして活動していたが、かなり性的な匂いが漂ってしまう。本人が意識しようがしまいが、デート的な佇まいがでたらアウトなんだよね。

そう考えると、かなりギリギリを投げ込むセンスが問われるこの仕事。果たして課金制になっても流行るのか…。みどころである。
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