R太のざっくり雑記

40代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2020年03月

土日一切外にでなかった

週末の土日。外出自粛要請により、仕事も休みになった。
そこで、ロックダウンになったときを想定して、一切外に出ないトレーニングをしてみた。

娘と妻は近くのピアノ教室に行ったり、買い物したり、
日曜は日曜で庭で息子と娘は、庭で雪遊び。
それでも、俺は意地でも外へ出なかった。ベランダの敷居すら超えず…。

しかし、きつい。

何がって時間の経過が長い…。思わず、昼から酒に手を出しそうになる。

日中の多くの時間は、息子とのゲームか、娘とのままごと遊びを強いられる。
もはや、長時間ゲームをするゲーム耐性がないのか、30分で頭痛がしてくる。

とはいえ、赤ちゃん人形の「メルちゃん」3体をベビーカーに乗せてやってくる娘との保育園ごっこも本当にキツイ。

俺が園長の設定で、3人を預かるのだ。
お熱を測って本日の預かりを断ったりだとか、リアルな情勢をいれつつやるのだが、こちらも頭が痛くなってくる。
がんばれて15分くらい。延々とやらなければいけないのがキツイ。

それでも楽しもうと、自分が赤ちゃんになった設定でバブってみるのだが、娘にそれは気持ち悪いと却下。
まったく、うまくいかない。

まぁ、それでもなんとか二日間は外に出ずにいけた。
しかし、これが2週間とかになると一体どうなってしまうんだろうか。
現実味を帯びてきている気もするが、それでも奇跡的に日本は終息に向かった…みたいなシナリオになってほしくはあるがなぁ。

無理だろうなぁ。

志村けんのシリアスな寸劇が好きだったなぁ…

いやぁ、まさかの志村けん死去。
コロナ陽性がわかってから1週間たらずだよ。
本人が一番驚いているのかもしれないなぁ。

まさか、このオリンピックイヤーに自分が死ぬなんて思わないだろうに。

コロナウイルスの恐ろしさをまざまざと見せつけられた。
末期がんだってもう少し時間があるよ、人と最後のお別れもできるだろう。
しかし、このコロナの場合親族でも近寄れない…。無慈悲だわ。

なんか、志村けん死去によってちょっとガクッときたなぁ。
テンションがさがるというか、もう駄目だこれは、みたいな。
これから2週間でどれだけの悲しい出来事が起こるかわからない。もうやめてー!

ところで、志村けんといえば、バカバカしいコントだけではない。
俺がもっとも印象に残っているのは、あれは何の番組かな?だいじょうぶだぁだったかな。
お笑いコントの間に挟まれるシリアスな寸劇。
宗次郎かなんかオカリナの音楽が流れるなか、セリフのない寸劇。

こんな寸劇。
志村けんがひそかに思いを寄せていた若い女性。彼女は視力を失っている。
その女性に内緒で、自分の角膜を提供する志村。
誰からもらったかわからない角膜に感謝しながら、好きになった男性と結婚する女性。
そこに、視力を失った志村が微笑みを浮かべながら彼女を祝福しているというようなもの。

思えば、あれはチャップリンからインスパイアされたものかもしれない。
あまり、話題にならなかったのか数回で終わってしまった印象がある。

しかし、爆笑コントの間に挟まれたその寸劇がめちゃめちゃ好きだった。
個人的には、映画「ライフイズビューティフル」のようなコメディとシリアスのギリギリをいく不朽の名作を作っていくことを望んでいたのに…。作れたはずなのに。
残念すぎる。今はご冥福をお祈りするしかない。

週末自粛かぁ

いよいよ感染が拡大していてる新型コロナウイルスである。
東京は週末外出自粛を要請されたので、自粛したいが、仕事はあるのかないのかまだ、未定。
休業にしてほしいところだ。

しかし、中国、韓国、日本がコロナの遡上にのっていたのも、今は昔。
それに加えて、アメリカ、欧州がとんでもない勢いで追いついてきた。
とくに、イタリア。人が死に過ぎではないかいくらなんでも…。
イタリアの商品を少々扱っているので、なんだか悲しい気分。
輸入もしばらくできないだろうなぁ。まぁそれどころじゃねーか。

先週末は、桜がきれいな井の頭公園を歩いたが、人で溢れており、たしかにコロナどこ吹く風であった。
ここらへんの気の緩みが、2週間後に来るんだろうけどね…。

でも自粛たって、大人だけで生活している人はいいよ。
この機会にAmazonプライムとか、ネットフリックスシリーズで見ちゃえとかできるからね。
問題は小さい子供をもつ親。天気のいい日に、小さい子供と家にいなければならない苦痛たるや…。

うちの子供は朝から晩まで、ほとんどゲームか動画である。
ゲームが子供に与える影響…などの本を読んで神経を尖らせていたこともあるが、もう関係ない。

未曾有の事態においては、子供の教育法や人生を輝かせる…なんてのが、てんで意味がないことを悟った。
死ななきゃいい、ってなもんである。

しかし、終息の気配を見せないコロナウイルス。
幸い自分は副業を含め、仕事に今の所、甚大な影響がある分野ではないのだが、ライブハウスとか飲食店とかみるにつけ気の毒でしかたない。
何らかの救済をしてほしい。
お金だって一律じゃなく二週間後に間違いなく、たちいかなくなる事業者や労働者に配ったほうがいい。

しかし、ウイルスというのはなんだろうか。
見方を変えれば、地球にとってはウイルスこそがワクチンで、人間こそが地球を破壊するウイルスとも考えられる…。

いやまぁ、だからなんだと。
見方を変えたところでなんの慰めにもならないわ。

山本周五郎の箴言が大好き

時代物小説はあまり読まない。
だが、山本周五郎は別だ。「さぶ」でハマって以来、事あるごとに読んでいる。
山本さんの良いところは、市井の貧しくも、気高い人々の姿を描くところ。

今やSNSが主流の現代。
いろいろな人が自由に表現できる時代である。
しかし、古い時代は貧しいものや弱き者たちは、権力者の影に隠れて見えてこなかった。
つまり、権力者が悪だと思った人間は、実際はどうあれ、後世には悪人と伝えられてしまうのだ。

思うに様々な創作物や歴史を語る声。それは、強きものが描いた世界であった。
そういった歴史の影に埋もれた人々を、うまくあぶり出すのが山本さんはうまい。
また、箴言が多いんだ。山本周五郎で一番好きな箴言がこちら。

「壮烈であろうとするよりも、弱さを恥じぬ時ほど人は強いものだ」
(樅ノ木は残った)より 

江戸時代の伊達騒動で従来は悪人とされてきた原田甲斐が、幾編かの逸話を語ったあと放ったこの言葉。
とても、しびれた。弱さを恥じない人間は、とても強い。こう生きたいと思う言葉である。


山本周五郎の小説に出てくる箴言はとても奥深い。

「人間生きているうちは、終わりということはないんだな」
(おさん)より

まぁ当たり前といえば当たり前だが、確かにそうだ。
死ぬまで人間には可能性があるということを言っている。いい言葉じゃないですか。

「悩みのみが正しい意味で人間を謙遜にする」
(周五郎 昭和25年のメモ)より

これも、シンプルでいて深い。
悩むことは、本来はストレスでしかない。できれば悩みは避けたい。
しかし、深く悩みきることこそ、人を人たらしめる。
悩んで出した答えが間違っていても、いい。
人の言うがままにやり失敗することで、人は謙遜になることはないのだ。

なにか山本文学の語録を抜き取るだけで、哲学者にでもなった気分である。
あくまで気分であるが…。 

男児と女児のすきなもの

典型的な男児の息子は、戦隊モノとウルトラマンにドハマリしていた。
だいたい3歳くらいからだろうか?
なぜか、仮面ライダーはそこまでではない。何か理由があるのかわからないが。

とにかく、合体ロボやウルトラマンの変身グッズはよく買った。
今メルカリを利用しているのだが、いま思えばもっと丁寧に扱っておけばよかった。
結構高値で売れたのにと思う。

しかし、子供に丁寧に扱わすのはほぼ不可能に近い。
最後の方は、接合部分に粘土を詰めたりしていたので、まぁ無理だったろう。

それらを卒業した頃にやってきたのが、ポケモンブームである。
ポケモンガオーレという、ガオーレディスクを集めて戦うゲーセンのゲームは、今もってドハマリ中である。
100円が嘘のように軽いタッチで吸い込まれていく親にとってはキツイゲームだ。
あとは、スイッチを買って以来、ゲームにも絶賛ハマり中。
総じて、インドアボーイである。

対して娘はといえば、今より幼少期は全く女子らしくないものを好んでいた。
兄の戦隊モノTVを見て、戦いごっこを一緒にして転んで泣くのが定番だった。

なんとなくこれはまずい、と思い誕生日にメルちゃんお世話セットというのを買った。
その当時は、あまり見向きもしなかったが、やっと今になって楽しんでいるようだ。
メルちゃんとポポちゃん合わせて3体。

お家セットや救急車セットなどで1人お母さんをしている。
やっと、女子らしくなってきた。
まぁ、そこまで女子らしさを求めてはしなかったのだが、あまりにも兄のコピーが多すぎたので、自主性が心配になっていたのだ。
自分の好きなものができてよかった。

あと、娘の場合は、逆上がりをいち早くできたり、うんていも早い。
補助輪なしの自転車も兄に先んじてマスターするなど、運動能力が結構ある。
アウトドア派といえよう。

それぞれ、親が導いたわけでもないが好きなものが自然とできてくる。
これから先はどういうのを好きになるか…見ものである。

小説を読むのが好きなわけを分析

いつくらいからか小説を読むのが好きになった。
といっても子供時代で覚えているのは、ズッコケ三人組シリーズくらい。
それ意外だと、同世代にはおなじみのアドベンチャーゲームブック。
これは、今もってすごい発明品であった。分岐点でどれを選ぶかで運命がかわる。
といっても、分岐点のところで指を挟んどいて、死んでしまう展開なら挟んでいた指のページに戻るというなんともいえないアナログのチートを使っていたのだが…。

子供時代に本を一生懸命読んだといえば、このズッコケとゲームブックくらい。

さほどの読書家ではなかった。
それがなぜか二十代後半くらいから小説が好きになり、結構読んできた。
思えばそのころは貧乏で、あまりエンタメにかけるお金がなかったからだろう。
一人暮らしをしていた近くの図書館で、小説を借りては読んでいた。
自分にとっては、寝転がって休日に小説を読むのは至福のときであった。
その感覚は、忙しくなった今も続いている。

しかしながら、どうして映画などよりも、小説が好きなんだろうか?と常々考えてきた。
小説なんて、音楽や映画みたいに誰かとその体験をタイムリーに共有できない。
もちろん、強引に一緒に読むことはできるだろうが、そんなことしている人いやしない。
かなり苦痛だろう。なんとなくであるが、

読書は孤独な作業であり、他のエンタメより時間がかかる。

ここにこそ、小説の良さがあるとみている。

人生の流れと似ているからである。
例えば、映画だって物語を映像にしているのだから、ある意味同じではないか?と思うのだが映画は長くて3時間ほどである。
3時間で完結する人生の物語など、現実にはない。

あくまでも自分の場合はであるが、小説を読み始めれば、完読まで1週間はかかる。
ときには、3日位のときもあるが、この長い時間軸の中で物語を読むというのが、とてもいいのである。

小説を読んでいる間にも、生活は続く。
現実の色々な出来事をこなしながら、また、小説の世界に入るという時間軸。
漫画もそうかも知れないが、漫画はなんていうか早いのよ展開が。
全体的には長いかもしれないけど、完結までは。

そう考えれば、純文学などというのが成立するのも小説だからであろう。
あんなのを漫画や映画でやると、かなり厳しいものになるだろう。
まぁ、やっているけど。

とにもかくにも、自分が小説が好きなのは、孤独に楽しめるところと時間軸が長いところであると分析した次第である。

早朝バイトで怒られた

台車の運び方がいまいちだったらしく、そこの長の人に怒られた。一瞬、えっ?怒られてんの、俺…と呆然となってしまった。もちろん、そこは即座に反応して、すみません!と元気よく答え運び方を修正した。

しかし、考えてみればいつ以来だろうか、仕事で客以外に怒られるのって。
正直なところをいおう。
いわれた瞬間は、カチンときた。ある意味自分が悪かったのだが、怒ることないじゃない!
といった感じで苛ついた。

いいおっさんになった俺。
もはや「怒られる」ことに対する耐性は、ないに等しい。
まぁ、似たような事象でも、本業の上司などの場合はは怒るというより、やんわり嫌味を言われる。
ダイレクトには怒られはしないのだ。
少しショックを受けたとはいえ、持ち直してすぐに修正した俺、なかなか柔軟ではないか。

しかし、怒られたり嫌なことって、誰かと共有して笑いに変えて初めて昇華される。
実際悶々としていたが、一緒に入った女性バイトが怒られてましたね、でも私も知らないですよ~と言ってくれたので、笑って昇華できた。

怒られたり嫌なことがあっても全然いい。しかし、それを癒やす存在もまたなければならない。
そんな存在にわたしはなりたい。
ちょっと怒られただけで、そこまで考えてしまった俺は、やっぱり耐性がないのである。

なのであまり怒らないでもらいたい。
普段あんなに子供を怒っているくせに。勝手なおっさんであるが…。

ゲームが好きならゲーム実況でもやらせようかな

小学校が休校になって以来、学童に行かない日はほぼ一日中ゲーム三昧の息子。
妻のピリピリ具合も気にせずプレイしとる。
まぁ、やることないからね。
さすがに小学生で、パズルとかお絵かきとかやらせるわけにいかないし、やんないもんなぁ。

宿題もさせるけど、小一時間がいいところ。
みんな何して過ごさしてんだろう。

我々がママ友とかパパ友とかほぼ皆無なので、親つながりで集まり、子どもたちが休日に遊ぶとかなし。
それができればいいのだが、なんだか面倒だからねそういった繋がりも。
ということでゲーム三昧。

最近、進学祝いで「ルイージマンション3」を買ってやった。
それから、昨日で3日目。もう最終ボスの手前までいった。すんごいやり込み具合。
ふと、ここまで好きなら子供のゲーム実況でYouTubeにあげてみてはどうか?と思った。

ゲームばかりで怒るのも疲れた今日このごろ。意外にいい案かもしれない。
実際、スイッチのマリオオデッセイなどのプレイを見ると、その年令とは思えないほどのテクニックでこなしている。
これをビデオで録画してアップしてみれば楽しいのではないか?

PowerDirectorでの編集を少し前にハマってた俺。
最近はネタがないのであまり手をつけていなかったが、久しぶりに編集してみたい。。

ということで、ゲーム実況の機材を調べたら、まずはゲーム画面をパソコンに映すためのキャプチャーボードというのが必要らしい。

安いので1万円超、高いのは4,5万。結構なお値段…、もっと安いと思ったが。
まぁ、投資だと思って買うか。

一つの作品を作るためなら、多少ゲーム三昧でも許せるという親心の盲点をついた作戦。
さて上手くいくだろうか…。


怪談といえば…

少し前に、テレビの本当にあった怖い話を子どもたちと鑑賞していた。俺は、怪談とか怖い話が大好きである。
しかし、やはりそこは子供。最初の事故物件、いわゆる人が死んだ家にまつわる話で息子ギブアップ。
緑の顔の人が出てきて、ビジュアルがとても怖かった。
ビジュアルはさておき、その話は不動産屋の裏話も含んでいて興味深かった。

昔合コンで不動産会社の女性がいて、人が自殺した部屋は次に借りる人への告知義務はあるけど、それ以降はないっていっていた。
つまり、次の人が出ていったあとは、普通の物件として紹介するのだ。
まぁ、たしかに永遠と死者がでましたとは言えないもんね。

TVのほん怖の内容は、不動産屋のスタッフがあえて形式上契約して、一個挟むことで、事故物件ということをもみ消して貸し出すという話。
で、借りた人がもれなく首吊りで死んでいく。
緑の人が誘い込むんだね。
それでも、また、スタッフ挟むから普通に借りる人がいて、また死ぬ。
これが本当の話ならとても恐ろしい。まぁ、あまりに安い家賃のところはやめたほうがいいのかも。

怪談といえば、自分の中で最も怖かったのが、陸上の女の子の話。

昔聞いたときから怖くて忘れらんない。
というか、ビジュアルに訴えかけた怪談話テクニックに翻弄された。

ご紹介すると、こんな話。

ある実力のある女子中学生の陸上選手がいた。
国体の決勝が次の月に迫る中、交通事故で両足を失ってしまう。
みなの励ましも虚しく、失意の中、女子中学生は自殺を図って死んでしまう。
それから、ある噂が流れるようになる。
夜になると、中学校の体育館から人が走る足音が聞こえるという。
「トントントントン」。
軽快なリズムで走り抜ける足音。
体育館は当然真っ暗闇。
学校の警備員が、ある日この噂を確かめるために、体育館へと足を運ぶ。
確かに聞こえる足音。
「誰か居るのかー!」
パチっと明かりをつけた警備員の目に飛び込んできたのは…。
足を失って肘だけで体育館を走るその女子生徒だった!
※ここで突然、机などに肘をのせてガタガタとやる!

 おわかりの通り、※の部分のアクションが肝である。
 
 実際にこれをやられて心臓が飛び出るほど驚いたのは中学生くらいのときだったか。
 誰から話されたのも忘れたけど、これが一番思い出に残る怪談である。

と考えて、ふと気づく。
これは、事故などで足を失ったアスリートへの差別にあたるのではないか?
昨今は、怪談も気をつけないといけない。
でも、まぁ死んでる女子生徒が走ってるのが本質的な怖い部分だけどね。

39度の発熱に焦る…

有給を使った月曜日。朝活としてジョギングをした。いつもどおりの体調である。
その日は息子の運動不足解消のため、公園で自転車の練習をする予定。張り切っていた。
しかし、朝食を食べてるあたりからやけに左の太ももが痛い。そして、寒気がする。

確実に体調が悪いのだが、公園に行こうとせがむ男児の誘いを断れず強引に出発。
テントを張ってお菓子を食べたりしている最中も、気の弱い笑みを浮かべながらしまいにはゴロンと転がった俺。

自転車貸し出しなどもコロナの影響で休止。早めに帰ることに。
息子を後ろに乗っけて自転車を転がすが、虫の息。
これはヤヴァイなと感じつつ、なんとか家に帰って体温を測ったら38度。

時世柄、とってもやばい感じである。
もうその日は、日中39度近くから下がらず、布団の中。
翌日は病欠で休みを取り、迷わず病院に。

インフルやましてやコロナだったら…と悪い考えがよぎる。
結果は、意外なもの。
乾燥肌で最近膝をかきむしっていた俺。そんで膝が切れてそこから菌が入っていたもよう。
菌がリンパに乗って、足が痛くなり、終いには発熱。

周りに伝染る感染症じゃなくて一安心。
とはいえ、このまま放っておいたら、確実に危なかった。
この手の雑菌で発熱までしてしまうのは、結構なことらしい。
そんでこの手のものはすぐに抗生物質でやっつけないと、ものによっては脊髄までいってしまい、大変なことになる。

すぐに点滴を30分受けてなんとか事なきを得た。
一昨日は擦り傷のようだった膝は、いまや、膝は赤黒く腫れている。
保健衛生の知識をないがしろにしていた罰である。

今後は、まずお肌のケアからである。乾燥しないように保湿する必要がある。
保湿男子なんて気持ちが悪いと思っていたが、脊髄に菌が入って足切断なんて、気持ち悪いどころの騒ぎではない。

早く処置できたのがラッキーだと思って今後は気をつけるわ。
しかし、今の御時世何かあっても、病院にすぐにはいかず経過観察という人も多いと思う。
でも、それは間違いだ。
すべてがコロナとは限らず、病気は大体が早期に処置すれば大きくならずに済む。
迷わずに行くべきであるね。
まぁ、確実に肺炎の症状がある人はまずは、そのガイドラインに従う必要があるけどね。
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