R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2020年06月

ノンアルコールビールが健康飲料みたいになってる

早朝バイトなどもあるので、今年に入ってからぐっと飲酒量が減った。翌日起きられないと困るからね。もともと父親がまるっきり酒がダメな体質を少し受け継いでいるのか、すぐ顔が赤くなったりして酒に強くはない。

しかし、大学卒業後、社会人になって酒に強くなくてはならん!と思って、毎日ビールを飲んでいた時期がある。なぜかラガービールだったが。その成果があってか、まずまず飲もうと思えば飲めるようになっている。

しかし、アルコールが強い体質とはいえないので、酒を飲んだ翌日は確実にダルくなる。では、飲まなければよいのだが、長年の飲酒習慣からついつい飲みたくなってしまう。平日有給をとったりするともうダメ。朝から飲酒してしまい、ダラダラと一日飲酒。せっかくの休みを一日中ウトウトして終わる。
きっと、体質的に中毒体質なのだろう。

そういえば、パチスロにはまった時もすごかった。店の前を通るだけで、ちょっと、見るだけ…とかいって、気づけば一万円すっていたりした。これから人生を歩むうえでこの依存というか中毒体質には気を付けたほうがよいだろう。

そんなこんなでノンアルコールビールである。

ノンアルは、飲みたいという意識を少し満足させることができる。最近は、飲みたいときの半分はノンアルコールビールでごまかしている。そんで、最近のノンアルコールビールって、なんか表示が健康食みたいで驚くことしかり。内臓脂肪を減らしたりするって。

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もうタイトルが「体を想うオールフリー」って…。いや、体を想うやつは野菜ジュースとかだろ。こんなバリバリの炭酸飲料、体によくわないだろう??しかしながら、この手の表示ってなんだかずるい。コーラにもあるダイエット的な表示。でも、人間の心理として、同じようなノンアルコールビールがあるなら、体を想うほうを買っちゃうんだよね…。

味はまるで変わらんが、最近のお気に入りは、このオールフリーになってしまってます。

幡野広志さんの人生相談を読んでいる

昨年くらいから、幡野広志さんをネットで知って、ちょくちょくいろいろ読んでいる。強気で明快でカメラを生業にしている。そして、がん患者である。幼い息子もいるらしく、親近感も沸く。

ブログでもSNSでも世に触れるものを書くとき、だいたいの人は人目を気にする。人目となんか気にしねーぞ!という人もいるかもしれないが、では親族の目とかだとどうだろうか。絶対気にしてしまう。

そういった些細な感覚は、なにか表現をするうえでは、邪魔なものであろう。しかし、幡野氏はそういったいわゆる人目や常識とされるものをあまり気にしない。親族ですら盛大にディスる。こういった人は珍しい。いそうでいない。そして、正直なその感性ががんの余命と相まって、なんだか知らないオーラを醸し出す。

cakesという媒体でやっている、なんで僕に聞くんだろうという人生相談。この答えが素晴らしく個性的で楽しい。人生相談にありがちな、軽い納得感で煙に巻く答え方はあんましていない。けっこうストレートでだからこそ、相談者にとって時に残酷だなと思わせる部分がある。

ちなみにcakesは課金しなくてはいけないので嫌だったが、課金してみた。結果的に、この幡野人生相談だけでもそれなりに価値があると思った。

その最新の相談に、三十代の女性の悩み相談があった。

結婚を望む自営業の彼がいるらしいその女性。自分の父親とその彼を会わせることになる。まぁ、結婚の挨拶だろう。ところが、父親が挨拶時に彼の履歴書を持ってこいといったのだという。経済力やその人間の履歴をしっかり観察してからでないと、結婚は許さないというスタンスである。
当然彼は自分がモノのように見られていると感じ、怒る。

怒っている彼と、くせのある父との間で板挟みの女性。という相談。

幡野氏の答えはいつもながらサバサバしていた。それはさておき、この相談で自分の記憶が刺激された。そして、この女性の父親は本当にバカな親だなぁ…とつくづく思った。

この行為が及ぼす影響は、その場だけではないのだよ。と。自分の場合はこうだった。初対面ではなかったが結婚の挨拶時、リビングの席につくなりのいきなりの催促。「ほら、早く言って」と、義父。きょとんとする俺。

どうやら、早く宴がしたいから「早くあれをいってくれ」ということである。つまり、娘さんと結婚させてください的なことを、早く言ってということであった。汗だくで、せかされながら定型文のように言った。間髪いれずにオッケイをもらい、宴が始まった。

ドラマでは、よく一発ぶん殴らせろだわ、これをクリアしてからまた来い、だわがある。
あれとは無縁の世界である。

そこにあったのは、娘が連れてきたのだから、間違いない!という絶対の信頼感だけである。不思議とこんなに無条件に信頼されると、逆にまじでしっかりしなきゃいけない!と思う。相手の両親に対するなんていうか感謝というか、この信頼を裏切れない!とかそういうのが沸くんだよね。

そして、将来自分の娘が男を連れてきても、俺はこの伝統を受け継いでいきたいと思っている。どんな輩がきても、相手を試したりしない。早く言いなさい!アレを。というだろう。それが、一番の子供への信頼である。

そういえばお笑いの土田も同じようなことを言っていた。まだ売れてない自分をウエルカムしてくれたご両親。のためというより、自分を信頼して受け入れてくれたご両親のために頑張ってきた、みたいなこと。そう考えると、人間の一番うれしいことは、やっぱり信頼してもらえるってことなんだよね。

そういう意味では、履歴書を持ってこさせることは愚策中の愚策だと思う。その彼を信頼してないばかりでなく、娘をも信頼していないということを公言しているようなものだからね。

楽しむなら今!感がそこはかとなく漂う今日この頃

東京も自粛全面解除となり、街に人があふれ出している。
観光地も結構な人出らしい。

いわれなくても、きっと、皆わかっている。
コロナは何も解決していないことを。
志村けんという偉大な才能を奪ったコロナウイルスは、相変わらずヤヴァイ。

しかし、かくいう自分もこの夏は楽しもうと思っている。
来週は、くら寿司にも行ってしまおうと思っている。
鬼滅の刃とコラボしているらしいし。

悲観主義的な俺であるが、この今を楽しもうという感覚が止まらない…。なぜだろうか。

そう、それは何を隠そう来るべき冬将軍到来を予感しているからであろう。
きっと、コロナは秋から冬にかけて猛威を振るうだろう。
それこそ、ぐわっ!!と来るだろう。
だから、今のうちに遊んどこうか、いい思い出作っておこうかという浅はかな考えである。

三か月後に死ぬと宣告されているが、その間ずっと健康体だったらどうだ?
めちゃアクティブに動くのではないだろうか。
そんな感じ。

もちろん、感染症対策はする。でも、この今のうちに!感はかなりの油断を誘う。
しかし、夏はウイルスが弱まる。
そんな根拠のない学説を信じてややアクティブに動いていきたい気持である。

拳銃自殺にちらつく難病

約5か月ぶりくらいに持病の通院をしてきた。
通ってる病院の近くの病院でクラスターが起こったらしく、怖いなぁと思いつつ…。
そもそも、4月が本来の通院日だったのだが、病院に行って感染したら…と思い延長していたのだ。
持病である潰瘍性大腸炎は、ほぼ寛解期を迎え座薬をいれていない日々が続き薬は余っている。
なので、行かなくてもよいかもしれないのだが、医師いわく油断すると大腸がんになる可能性があるので、定期的な通院と投薬が必要とのこと。

結局治らないから難病なのである。とはいえ症状はほぼない。
いや、あった。口内炎である。
なぜかいつも担当医には苦笑されるのだが、やたら口内炎がいやらしい位置にできる。
これは今も定期的に続いている。
医者に言わせると大腸炎との明確な因果関係はないが、たまにそういう人いるみたいな感じ。

そんなこんなで、口内炎をふせぐための投薬になりつつあるのだが、とりあえず延期していた通院にいってみた。

来てみてびっくり。めっちゃ空いてる。
やはりコロナは高齢者の動きをかなり止めている。
ただ、普通に必要な人もいるのだからそこらへんは大丈夫なのだろうかと心配になるけど。
血液検査を受けて診断したが、いつもどおり特に変わりなし。経過観察である。

今はこんなに楽になったが、潰瘍性大腸炎を発症した約十年前は結構厳しかった。
もうすぐ、結婚式という時期だったかな。ある日突然、尻から血便が大量に出たのだ。
はっきりいって、これは癌だと思ったよ。
結婚なんてとんでもない、キャンセルしなきゃと思った。

それでも、これは痔だと無理やり思い込み、のらりくらりと痔の薬で防いでいた。
しかしさすがに、オナラをブッとやった後にパンツに血がついているのを見て、観念。
すでに結婚式前であったが入籍はしていた妻に告白。
すぐに病院に行かされたのだ。そこで、診断されたのが潰瘍性大腸炎である。

診断されてからも、薬が合わず血便が出まくっていた。そんな数年を過ごして、新薬が出た。
それが、劇的に効いて今に至るのである。薬だけではない。
自己免疫系の疾患であるこの病気は、若ければ若いほどヤバイ。
細胞が活発で、自分を攻撃する力が強いからである。
幸か不幸か、三十半ばの発症で今四十半ば。加齢も病気の弱体化を後押ししているのである。

最近拳銃自殺をしたという十代の若者。拳銃に注目が集まっているが、消化器系の難病を発症したと聞いて俺は即座にピンときた。
潰瘍性大腸炎ではないかと。そして、十代で発症することの大変さを思った。

自殺に至るには、もちろん病気だけが原因ではまいだろうが、病気のつらさはなった人しかわからない。人工肛門にして生きていかなくてはならない人も少なからずいるという。
始終、血便や腹痛に悩まされる人生に悲観してしまっても、責めることはできない。

自殺は二つ以上の複合的な悲劇が重なった時に起きるといわれる。
なんらかの悲劇プラス難病、そしてそこに、拳銃があったら…。
まぁ、そこに拳銃があるってのがかなり飛躍しているのだが、実際あったのだよね。
センセーショナルな事件だけど、自分に関係なる難病が絡んでいるだけに他人ごとではなかった。
せめて40代で発症していたらたいしたことなかったのにな、などと思ってしまう。

オンライン英会話をやめた

かれこれ十年くらい継続していたオンライン英会話をやめた。
かなり悩んだのだが、早朝バイトを始めたので朝活の時間が一気に激減したのが原因である。

あとはコロナの影響もあるかも。
なんだか、このご時世で海外の講師と英語で話しても全部その話になりそうで。
という気分的なことと、時間的な制約が理由だ。
あとはもちろん、月額6千円近く払うから懐具合もあり。

しかし、十年続けたことをやめるのは勇気がいる。
まぁ、毎日ではなく週3回くらいではあったが。

いつか…のために筋トレのように25分のオンライン英会話(主にフィリピン講師)をやっていたのだが、結局、仕事など実践の場で英語を使う機会はこの十年とうとう訪れなかったのは残念であった。

オンライン英会話で一番よかったのが短期留学である。
職場に頼んでオンライン英会話会社が主催するセブ島の1か月短期留学にもいったのだ。

子供が生まれる二か月前に思い立って行ったのだが、これは本当に良かった。
若い時から燻っていた留学したい熱を軽く満たしてくれた。
実際、子供が生まれてからは、当たり前だが留学なんてできやしない。

英語学習のメソッドは数多あるが、今でも、英語学習をするならオンライン英会話一択である。
だからいつか再開したいと思うけど、
コロナの影響でこれからグローバル化が急速に萎んでいく。

そうなると、また内需が大事!みたいになるかも。
思えば英語至上主義みたいなのが今までスパークしすぎていたのかもしれない。

なぜ英語を学んでいるか?
オンライン英会話で得たのは、その答えである。
単純である。外国の人と通訳を介さず話すのは「楽しい」のである。
つたないながらも、時に日本人と話すより饒舌に、表現豊かになっちゃうから面白い。

この楽しさに、ブームとか経済的なメリットとかは関係ないのだ。

朝のオンラインをやめて3か月あまり。
知らない異国の人と話して、感じる気分の高揚感がなくて少し寂しいなぁ。

関係ないけど、10年の費用を計算してみた。
料金は変遷したので、単純に月額5千円かけるの120か月である。=60万円!結構なもんだなぁ。
はたして60万円の価値はあったのだろうか…。なんだか金に換算すると損得勘定が出てくるから、やめよう…。

自作。禁断のチョコバナナ…

海外製のでっかい板チョコをもらったのだが、扱いに困っていた。4,5枚ある。
なにしろ、軽くダイエット中だし、これをそのまま食べるのはカロリーがすごすぎる。

子供にあげるのも虫歯になったりすると嫌だな。
とか、そもそもこんなデカくて甘いの子供も食べないだろうとか。

とはいえ、このまま放置していてももったいない。
ということで、板チョコをそのまま鍋で溶かして、チョコバナナを作ることを思いついた。
チョコバナナなら、果物も摂取できる。なんだか祭り的な楽しさも味わえ一石二鳥である。

そういえば、去年祭りの出店で売っていたチョコバナナは400円もした。
チョコにバナナで400円って高いよなぁ、とずっと思っていたのでリメイクがてら作ってみることに。

チョコが滑らかになるとのことで、オリーブオイルも少量まぜいれ、鍋でコトコト。

いい具合にドロドロになってきたぞ!というタイミングで、おもむろに冷蔵庫から取り出したバナナにこすりつける。

しかし、ここで予想外のことが…。
まったくバナナにつかないのよ、このチョコレート。
それでも、無理やりなでつけて、表面がコンモリするころにはこんな感じになってしまった…。

image2
こ、これは。アレではないか。
もう、言葉を選ばずいうなら、う○こ…である。

ちょっといやな気持を抱えながら、冷蔵庫にインサート。
この段階でなにかをかぎつけた息子。
冷蔵庫を覗いて大爆笑。うんこじゃん、、と。(言っちゃった)

IMG_9588

とりあえず、一時間くらい冷蔵庫に寝かせてビジュアル面の変化を期待。

表面が若干乾いたくらいで、さしたる変化ナッシング。

呆然としつつ、とりだしたうん○、いやチョコバナナ。
大爆笑しながら、息子と娘がとりあう姿はなんだか異様な光景…。

IMG_9587

子供たちがフォークでぶっ刺し、パッカーンとなって出てきたバナナ。
IMG_9589
なんか心なしか哀愁漂う姿。
ごめんね思いつきで辱めて…。バナナに心で謝罪した。

しかしながら、あの屋台のチョコバナナの滑らかなチョコ、どうやって作ってんの?
まあ、チョコレート自体の材質が違うのだろうね。
少なくとも学んだのは、板チョコを溶かしただけではあのような代物はできないということである。

とはいえ、見た目はあれだけど、味はクランキーチョコとバナナみたいでおいしかった。

そして、まだまだ巨大板チョコは数枚ある。
そして、もう一度うん〇を作って食べたいという子供たちの声。
こんどは、駆け引きなしのリアルなうん〇をチョコレートで作ってやろうかな。
もはや目的が変わってきてしまったが…。

娘の画力が上達してきている

やたらお手紙やお絵かきにご執心な娘。
最初は、なにを書いているのかわからなかったが、最近上達してきた。

ホワイトボードでのユニコーン対決を挑まれたので受けて立った。
こちとらキン肉マンで鍛えた画力。負けてたまるかと描き切った。
とはいえ、ユニコーン…どう描くんだっけか…。

なんとなく描いて、娘にバトンタッチ。
手本を用いなかったので、俺のユニコーンをコピーしたようだ。
しかしながら、結構なコピー力である。
image1
昔から、自信のない絵は太陽でごまかすのだが、俺の四分の一の太陽をフルバージョンで描いている。

やるなぁ。

これもしかして、ちゃんとした絵をお手本にしていたら、負けていたんではないだろうか…。
俺の中途半端な構図と娘のフルの構図。

いつの間にか絵が上達しているなぁ。

絵が上手だと人生得しそうだから、このまま腕を上げていってほしいと思う次第である。

ゼルダの伝説 ブレスオブファイアがすごすぎる

息子がかなり前からプレイしているニンテンドースイッチのゼルダの伝説。
小学校低学年にはまだ早いと思っていたが、追い付いてきたようだ。
四人いる神獣をなかなか解放できずに、いら立っていたのは昨年のこと。
しばらく投げ出していたが、またやり始めてからの進み具合がすごい。

神獣を全部開放して、ラスボスに挑むも食料不足であえなく退散。
そこから、ハートの数を増やそうと祠チャレンジを始める。

はたでゲームをプレイしている姿を見ているが、動き回れる世界が広くて、なにをやってもOKである。

よく言われるゲームのデメリットとして、決められた枠組みで遊ぶから、クリエイティブ能力が育たないみたいなのがある。

しかし、ゼルダに関してはまったく逆である。

めきめきと上達しているが、この自粛中にかなりやりこんだからである。
ゲームばかりしていることに苛立ったりもしたが、よく考えたらすごい成長につながっているのでは?とも思う次第。

良質な本を読むことを10時間していたら、親はほめたたえるだろう。
しかし、ゲームの場合は否である。

アナログとデジタルでなぜこんなに印象が違うのだろうか。
やっていることは、ほぼ同じかそれ以上である。

ゼルダで繰り広げられる物語はとても上質で、感動する。
また感動するためには、文章をそれなりに読み込む必要もある。
夢中になるという行為は本来素晴らしいはずなんだけどね…。

ここまで考えてきてデメリットがわかった。

ゲームのデメリットは、良質すぎてその世界にはまってしまい、出てこられなくなるからなのかもね。
昔のゲームは、ファミコンでもMSXでもかなり単純なゲームが多かった。
頑張ってやっても、一時間が限度。飽きちゃうんだよね。そんで、外に出て遊ぶという。

それに比べて今のゲームは、飽きが来ない。
良質すぎるがゆえに、危ないという…。本末転倒。
ただ子供の学習としては、とても多くのことを学んでいる気がする。

息子は、もはやクリアできないところを、YouTubeで調べている。
こういうリテラシーが育つのは悪いことではない気がするのである。
が、ゲーム中毒という病気があるのも現実だし…。難しいところではある。

子供の水難事故のニュースがつらい

今年は、水難事故のニュースの時期が早い。
いつもなら7月あたりからだろうから。

今年はコロナの影響で、学校が休校になっていたからであろう。
今は、学校が再開しているところも多いが、それでも、平日は隔日とかが多い。
そうなると、この暑さも手伝って友達同士で水場で遊ぼうってなるのだと思う。

毎年子供が巻き込まれる水難事故は、主に川が多い。
流されたサンダルを追いかけていたら、突然水深が深くなって、結果溺れてしまうという。
楽しい体験が一転…気の毒すぎる。

キャンプで子供がおぼれ、それを助けた父親が亡くなるというのも最近あった。
このニュースでもそうだったが、子供だけ助かるケースが多い。
しかし、親の立場としても、子供の立場でもつらいものがある。

自分が同じ立場ならどうだろう?
嫌々でも、飛び込まざるを得ないだろう。
目の前で流される子供を見捨てられないし。

とはいえ、子供には川や海に行かなくても死ぬことはないから、極力行くなとは言っている。
数年前に「レスキューハンドブック」を読んで以来、川の底知れぬ恐ろしさに恐怖しているからだ。

レスキュー・ハンドブック 増補改訂新版
羽根田 治
山と渓谷社
2020-05-07



これを読むと、表面から見る情緒豊かな川と、その中身はまるで違うとわかる。
浅瀬から突然深くなるなんて当たりまえ。

足がズボリとハマってしまうことも多々ある。
ハマったあとはひたすら流れに体力を奪われ、もがけばもがくほどドツボである。
そのまま、体力が尽きて死んでしまうこともある。

最高潮に恐ろしいのが、岩と岩の複雑な絡み合いで生み出される水流である。
四方八方からくる水流にはまると、体が抜け出せないらしい。
楽し気に遊んでいるように見えて、中では水流にもみくちゃ。

とにかく、ストレートに流れる川なんて、そんなないのである。
自然の作り出す水流は恐ろしい。

もし、川へ行くのなら必ずライフジャケットは着なくてはならない。
これを装着しさえすれば、水流があっても、浮いていられる。
浮いていられれば、誰かがいつか助けてくれるのだ。

かれこれ10年近く同じ床屋に通っている

散髪にはかなり悩まされた歴史がある。
若い時から、安い千円カットの店にいってはテクノカットのようにされたり、
おしゃれな美容院では、会話が苦手なので緊張して対応できず。
それでいて、変なヘアーにされたり。
それでも、見つけた良い理容室はいつのまにかつぶれていたりして…。

がっつりとした床屋はきつい。
が、おしゃれな美容室も無理。
その中間をいく店を求めていた。

今行っているのはまさにそれ。
無口な若い店主一人の店。おしゃれな雰囲気もありつつ、でも床屋。
散髪中も余計な話はいっさいなし。
それでも、店主が子供が生まれて以来、子育て話は最近よくしている。

このコロナ中もどうやら、普通に流行っているようで安心した。

なんだかんだ、一人で切り盛りしているからいいのかも。
店員も多ければ多いほどリスクがあるだろうし。
あまり話し好きじゃないところも、このご時世に味方している。

思えば、散髪っていちど気に入ったところを見つけたら離れられない。
とくに俺はやっかいな天然パーマもち。
頭に癇癪親父を抱えているようなもの。

とくにこうしたいとか言わなくても、天パーをうまくなだめてもらえるこの店。
少し相場より高いけど、常連はなかなか離れないだろうね。
こういった店にはいろいろなヒントが詰まってそうである。
なんだそれは?と言われてもわからんが。

確かな技術とほどよい武骨さ。
俺が好きだっ武蔵高萩の大勝軒にも似たにおいを感じた。

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