R太のざっくり雑記

40代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2022年01月

中華そば みたかへ

三鷹といえばここをスルーしては通れない。というくらい有名な老舗ラーメン店「中華そば みたか」へいった。

地下への階段を下り、着いてビックリ。あえて時間をずらして、11時くらいに来たのに、すでに10人くらい並んでいる。平日よ!しかも。かつての俺なら、この時点で方向転換してほかの店を探していただろう。しかし、中野ラーメン探訪により鍛えられたからか、並ぶという決断をくだす。以前の自分には考えられない。

並ぶこと15分くらいで、呼び込まれ中へ。
すごい小ぶりなスペースに、真ん中に職人さんのような風貌の店員2人。それを囲むように席が9席。自然、ラーメン作りを凝視することになる。なんとも手早い動きで作り出すどんぶりの芸術作。ごくりと喉を鳴らしながら、水を飲む俺。半分も飲んでないののにすぐに注がれる水。ちょっと、接客が良すぎないか!?ラーメン屋でこんな接客する?昭和を感じる店構えながら職人頑固おやじはどこにもいなかった。

さてさて、ラーメンはと。
これが、うまい。チャーシューワンタン麺をオーダーしたが、なんと麺が食べやすいサイズに切られているではないか?ラーメン屋でカットされた麺を食べたことがないので驚いた。ずるずる啜りたい人にはアレかもしれないが結構よかったカッティング麺。

ラーメン職人の手さばきを拝みながら食べるラーメンもまた乙。

最近はやりの食券もなく、手渡しの金銭のやり取りもなんかいいよね。ちょっとラーメン屋の店主が角刈りで見た目が怖かったので、ラーメンを撮影できなかった。小心者ぶりを発揮しつつ店を後にした。
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次々に人が並んでいてここは凄い店だなぁと思った次第。

雪と犬さん

犬はよろこび庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる。おなじみ、雪やこんこんの歌詞である。それに従えば猫は、寒がりで犬は寒さに強いはずである。

しかしながら、室内犬である。ほとんど室温を調整された場所でぬくぬくと育った犬は果たして、それでも寒さに強いのだろうか。以前から思っていた疑問を試すチャンスが来た。

軽井沢への旅行があり、犬も連れて行った。

その時に降ったのである、雪が。普段忙しさにかまけて、散歩にあまり連れて行ってやれないのもあり、散歩といば尻のしっぽをブンブン振り回して喜ぶお犬さん。この雪ではどうだ!というつもりで外に出てみた。

足先にザックリとした新雪。
埋まりこむ犬の素足…。
次の瞬間、ガンガン駆け出す犬。つええ。まったく意に介さず雪の散歩を楽しんでやがる。いったい、どういう感覚神経をもっているのだ!?その後、近くの無料ドッグランに連れて行くと、水を得た魚のように走り出す。
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思えば、エスキモー犬もいるくらい犬は寒さに強い。エスキモー猫はいないのだ。同じ体に毛を生やした種族なのにどういうことだろうか。犬のなんというか野生の強さを見て感服したしだい。

着込んでいるのに震える俺。人間のほうが弱いよねフィジカル面で、犬より。

音楽と記憶

My Little Loverの「Hello, Again 〜昔からある場所〜」をご存じだろうか。いわずと知れた名曲である。1995年にリリースされ、たちまちヒットした曲である。今聞いても、迸る良質なメロディーと歌詞の切なさ。しかしながら、この曲は俺のある記憶にびったり張り付いている。だから、この曲のイントロが流れるや否やその記憶が否応なく入り込んでくる。

かつて大学生の時、俺は日雇いのバイトに精を出していた。
長期働くレストランなどのバイトは肌が合わず、すぐにやめてしまった。人間関係が嫌だったのだろう。その時は斜に構えていて楽しそうにしているバイト仲間たちの間に入っていってたまるかみたいなムードがあった、俺の中で。必然的に孤独になってしまい、つまらなくなってバイトをやめてしまう。こういった繰り返しであった。

しかし、金はほしい。
そうなると日雇いバイトである。当時、がくと、と呼ばれる学生にバイトを斡旋する場所があって、足しげくそこへ通っていたのだ。そこで出会った、高収入バイト。騒音調査24時間32000円である。24時間、なにか調査すれば32000円もらえるのである。すぐに飛びついた。

しかし、これが自分バイト史上に残る大変キッツイバイトであった。
仕事は簡単である。住居が立ち並ぶある場所に、なにかよくわからない機械を置く。そして、1時間の中で10分だけその機会を作動させ、数値を記録する。これだけ。無茶苦茶簡単だ。なにが、きついんだ?と誰もが思うのだ。しかし、これを24回続けてみろ。朝8時から翌朝の8時まで。

毎度、10分だけ機械を作動させる。あとの50分は何もすることがない。散歩をしたりもしたが、とにかく暇だ。どこかへ出かけようにも、必ず50分後に帰ってこなくてはならない。これは厳しい…と思ったのが、ちょうど12時間経過した20時であった。

ここから、あと12時間ここに居続けんのかよ…と溜息をついた俺。
夏だったので蒸し暑く、かつ蚊もいて容赦なく肌を刺しやがった。唯一の慰めは耳に挟んだイヤホンから流れるラジオだった。

そこから、頻繁に流れてきたのがこの「Hello, Again 〜昔からある場所〜」である。

深夜2時に調査場所の近くの公園のブランコに乗りながら、聞いた「Hello, Again 〜昔からある場所〜」。やさぐれた心が一瞬ふわっと優しくなれた。音楽は時に体験とリンクする。とりわけつらい時に慰められた音楽は、その体験も含めてその音楽を名曲とする。

俺にとって、この曲は騒音調査のバイトとがっつり結びついて、セットで名曲となっている。

友人と対面でお酒を酌み交わすこと

昨年12月はしばらく会っていなかった友人に立て続けに会って飲みに行った。コロナが少なくなったタイミングを見計らって、である。

最近のオミクロンの流行の勢いをみていると、行っておいてよかったと思う。
正月には、実家にも帰った。いままで、親しい人と対面で会うことがこんなに有意義だとは思っていなかった。いつでもできる状況だったからだ。でも、やはり対面で親しい人と会合を開くのはシンプルに楽しい。

今どうしてるの近況報告から始まって、過去のくらだない話、また、誰がどうしたであるとか。話は尽きない。
この年になると、友人たちとは二十年以上の付き合いである。ものすごい貴重な自分の財産である。一人ひとり過去を振り返っても、偶然出会ったとしかいいようがないのだが、どうしてだか気が合って今も会っている。

そう考えると、最も近くにいる家族にも感謝してしまう。
家族はまぁコロナ禍だろうが常に一緒にいるわけだから、改めて考えることはしない。でもその当たり前も、友人たちと楽しく語らって初めてありがたいなぁと思った。孤独を感じずにいま過ごせてることに…。

現実的には、もっと俺の時間をくれよ!と文句も言うのだがね。
とはいえ、みななんだかんだ変わらず元気で嬉しかった。次はいつ会えるかわからんけど、早いとここのディスタンス的な世の中なんとかならんかな。

実家の近くのバッティングセンター

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年始は子供もつれて久々に埼玉の実家に帰省。コロナでしばらく宿泊などはしていなかったが、当時はだいぶ落ち着いていたので2泊3日でお泊り。

親も高齢であるが、孫と長く過ごすのは久しぶりで、その発育ぶりに驚いていた。少し会わないだけで、特に娘などは言葉が大分発達しているのだろう。息子もなんだか、饒舌になっている。

子どもたちにとっても両親にとっても楽しい時間だったよう。
親孝行とはこういう何気ない時間ではないだろうか…と勝手に思う。というか、我々夫婦も子供を預けて、二人でちゃっかり焼き肉食べに行ったりしたった。

ところで実家の近辺には、小学生の時から行っていたバッティングセンターがある。
いまだ健在で、昭和の雰囲気がそのままタイムトリップしたがごとくのたたずまい。本当に昔のままであった。昭和はいい。なんだか落ち着くわ。

中にあるゲーム機も「ぷよぷよ」である。
まったく更新されていないこの感じ。昔は、管理部屋みたいなところに、白髪のパンチパーマをしたおっさんが金属バット片手にテレビ見てたけど、今は…。同じようなおっさんがいるよ!おっさんすら時空を超えている。

ちょっとした感慨に浸っていたが、目的は子どもたちにバッティングさせること。
初めて来るという子どもたちに、200円を渡してとりあえず一番スローな60kのソフトボールの打席へ立たせる。

まずは息子から。ほぼ本格的な野球やったことがないからか、へっぴり腰。しかし、熱血指導者さながらに、教えたらチップやゴロを打てるようになった。

運動好きの娘も5球くらい打てた。
しかし少し、不満そうな二人。満をじして俺が打席に立つ。バッティングとはこうやるんだと見せるためである。子どもの手前、格好つけたい。

さりげなくバッターボックスに入ったがソフトボールの75kである。見たところ子供らに、その難易度の低さはバレていないようである。

200円投入し、大リーガーのごとくバットを後方でグルグル回しながら構える。コイコイ!
しかし…。うんともすんとも言わないバッティングマシーン。
あれ…金入れたけどな。
さらに、しばらく待っても球が来ない。

くそ、硬貨がつっかえてるのか。っち、これだから昭和は嫌なんだ。舌の根も乾かぬうちに昭和をディスる俺…。目の前に昭和君がいたら、顔面に唾を吐きかけそうな悪態をつきつつ、ホームベースをまたいでお金を入れる場所に行こうとした。
その刹那「シュッ」という音。左のモモに何かがあたる。どすッという鈍い音。遅れてくる激痛。「いたっ!」そう、ソフトボールの凶弾が左の太ももを襲ったのだ。

遅ればせながら始動したバッティングマシーンの投球が俺のモモにストラーーイック!
一瞬、赤ちゃんのようにゆがむ俺の顔…しかし、次の瞬間、微笑んだ俺。
もちろん後ろのガラス越しに見ている子ども+妻を意識してのこと。

本当は転がって派手にパフォーマンスしたいところである。痛いからね。
ぐっと堪えて、二球目を平然と打ち込む俺。その後もバッターボックスに立ち続け、なんと19球中(1球は俺の太ももへ)18球ほどを打ち返した。
軽快な動作で、どうだった?と爽やかな笑顔で語りかける俺に、すこし苦笑していた家族の面々。

翌日、左ももに見事な大きさの痣ができた。そこから3日くらいずっと痛い。そこそこの内出血。
まだソフトボールだったからよかったが、これが100kの軟球だったら…。
再起不能に陥っていたかもしれない。
昭和レトロのバッティングセンターは時間軸もレトロである。なかなか球が来ないからといって、ホームベースを横切ってはいけない。
せっかちな人ほどお気をつけください

中野 大勝軒再訪

何度か訪れたことがあるお店。大勝軒といば東池袋系と永福町系であるが、個人的には永福町系が好きである。しかし、のれん分けが少ないからかなかなか多くない。それに比べて山岸さんを創始者とする東池袋系は支店というかのれん分けが多い。

なので、大勝軒といって入るとだいたい、東池袋系となる。
こちらもどっちかといえば東池袋系であろう。店内は昼時だからか結構込み合っていた。かつて食べた印象では、そこまで美味かった!という印象はなかったのだが、さてどうだったっけ?
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うーん、少しスープが薄いかなぁ?
麺は太麺でコシがあってよし。よくいく吉祥寺が濃い目のスープだから少し物足りなかった。中野ラーメン食べ歩きを始めたから舌がこえたのかも…。かなり美味しいのハードルが上がってしまった気がするね。

そんなこといいながら、スープをすべて飲んでしまったけどね。
寒い日は、ラーメンスープがあったまるんだよね。また、時を経てきてみようかなぁ。

20年ちかくぶりのバンド活動

久々に昔のバンド仲間というか、大学時代の友人とスタジオに入って音を奏でてきた。

何を隠そう20年以上前に3ピースバンドを組んでライブハウスなどで活動していた三人である。当時、就職して間もなくあまりにも空虚なサラリーマン生活に嫌気がさし、ちょっとしたノリでバンドを組んだのだ。

当時ビートルズやミッシェルガンエレファントなど適当にコピーしていたが、どうも俺(ベースボーカル)とドラムが下手くそでリズムがボロボロ。ギターの友人だけが経験者で玄人という構成。

コピーするとお手本があるだけに、下手さが際立ちちょっと微妙な空気に。
最初は音を出すだけで楽しくてよかったのだが、徐々にうーんどうなの?という空気に。それを打破すべく始めたのがオリジナル曲への挑戦である。

ギターの友人と俺もコードは弾けたので俺でいろいろと作って演奏したりしていて、それが楽しかった。下手であろうが、オリジナルなのでそれがバンドのグルーブだと胸を張れる。しかし、オリジナルをやっていると頭をもたげてくるのが、ライブをしたいという熱情である。

ときはまだ二十代前半。
次第にライブ活動へと傾いていった。そして、ある程度楽曲がたまった時、とうとうライブ出演を果たしてしまう。

ギターの友人はライブをしたことがあったが、俺とドラムの友人はまったくの初。
まさか社会人になって、バンドを組んでライブに出るなんて思わなかったので、とても興奮したことを覚えている。

場所は、たしか大塚のCAVEというライブハウス。
ベースとボーカルというリズム&お歌という重責を担った俺は、緊張のあまり酒を飲んでしまいライブ演奏は酷いことになってしまった。まぁ、それでもなんだか楽しかったなぁ。

それから、いろいろなライブハウスで2,3か月に一度のペースでライブをやっていた。まさに青春の一幕である。3年くらいやったが、結局いろいろあって、最期は喧嘩別れのようになるというドラマティックな展開もまた、今思えば乙であった。

そんな時からずいぶん経って、久々のバンドである。
場所は池袋のペンタ。今は会員証もアプリでの登録なのね。
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客観的にみて、練習不足もありクソ下手であった。
でもなんか、楽しかった。

俺の夢は子どもにバンドを経験させることである。友人たちも子持ちでコロナ前に、子供も含めてバンドなどいいね、などといった話が発端で今回のスタジオになった。
楽しかったのだが、ひとつ勉強になった。
子どもにバンドを経験させて、さらに楽しいと思わせるには、我々がかなりの腕前になってないとイカンということである。指導者は教えを乞うものの何十きである必要がある。

そういう意味では、もっと練習せなアカンなぁという気持ちになったのである。
まぁいくつになっても、モチベーションを高められる趣味があるというのはいいことである。

吉祥寺の 貝出汁中華そば 竹祥でランチ

一人休日のお昼。前から行きたかったラーメン屋「竹祥」へ。
吉祥寺では大勝軒しかほぼいかないので、中野同様開拓していこうかと思っている。

地下へ入って驚きの狭さ。横一列に椅子が7個くらい。その対面に調理スペース。
すっごく狭い室内にて提供されるラーメン。ここは混んだら待つのも大変そうだけど、時間をずらしてので並ばずにIN。

貝をベースにしたラーメンを展開。
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最近は年のせいか健康志向のラーメンが好きなのでこちらもその類。貝の旨味が魚介だしと混ざって美味。もうラーメンってまずいとこがないから困る。うれしいのだが、なんだかツマラナクもある。

昔はファミコンとかも正しい評価がわからないから、いわゆるクソゲーを買ってしまい厳しい思いをしたことがあった。
今はレビューがインターネットで見れるから、クソゲーが存在しない世の中になっている。
しかし、失敗することで選球眼が磨かれるのでは?という気がする。

今は、人の意見の集積が自分の判断基準になっていて少し不安だなぁ。
とはいえ、食べ物屋の場合はまずいものを金出して食べたくないからまぁいいのかね。

10歳のうさぎが天国へ

昨年末、可愛がっていたうさぎが天国へ行ってしまった。
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早朝バイトで起きた4時過ぎ。普段なら活発な彼が、おなかを下に横たわっている。
まぁ、たまにあるので、ゲージをゆすって反応を確かめた。普段なら、むくっと起き上がってくるところが起き上がってこない…。

えっ、と思ってゲージを開けて背中を触って悟った…もうお亡くなりになっていると。
もう朝からパニック状態。妻を起こして、ことの次第を伝えると子どもも起きてきてパニック増幅。

でも俺は朝バイトがあるので、すぐに家を出なくてはならないのでなくなく外出。
その後家に帰るまで悲しみに包まれながら放心状態…。前日まで元気だったのに突然の死。

享年10才と7か月。
まずまずの長生きであるが、後悔が多い。
最後になるとわかっていればもっと撫でていればよかったとか、りんごあげればよかったとか、うさんぽすればよかったとか…。

帰宅して子どもたちは習い事だったので、俺が家に一人。泣いたともさ。背中を撫でながら…。
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でも、幸せに過ごしてくれたんじゃないかな、こんなに長生きしてくれて…。
うさぎの介護もあるかも…と思っていたのに、なんの手間もかけさせずふわっと逝ってしまった。

ありがとう、また会おうね。子供よりも一緒に長い時を過ごしたうさちゃん。
もう10年生きるだろうと勝手に思っていたのに。初めて味わうペットロスだぁ。

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