R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2022年05月

無償の愛は取引をしない!

またまた、ちょっと前に再読しはじめた「子どもを信じること」から面白い部分があった!子どもへ、ご褒美をあげるとき、どうしているだろうか?たいていは、何かがあってのご褒美だろう。テストでいい点をとっただとか、お手伝いをしたとか。

だが、著者の田中さんは言う。それは取引であろうと。何もないのに、ふらっとなんか買ってあげたりどっか連れてあげるといい、というのだ。これは、ビックリである。

誕生日でもなく、なにかいいことしたでもなく、なんでもないのにいいことがある。よく考えたら、たしかにこれはとてつもなく嬉しい。いいの!?ってテンション爆上がりである。

こういう、取引をしない施しをなんというのだろうか…なんか聞いたことがある。そう、愛である。

これが、子どもにとって良い効果をもたらすらしい。かつてこれを読んで、とても衝撃を受けた記憶がある。それ以来、ちょくちょく無償の愛を施そうと思っているが、なかなか。誕生日まだでしょ!とか宿題したら、とか取引をしてしまうんだよねぇ。

最近見た記事に、子どもがポイントをためてそれを「学校を休む」という選択肢にも使えるというものがあった。学校を休むことを子供に与える親、なかなか画期的!というのが大方の筋であろう。しかし、先の著書からすると、もはやいいことをしてポイントを貯めさせること自体、取引なのだ。

子どもを信じる悟りを開いた親は、いやもうポイントとかなんとか、そんなもんいらねぇよ、と。休みたいなら休めよ、となる。無償の愛である。

ここで気付く、ネグレクトと無償の愛、この境目の難しさたるや…。結局親がこどもをどれだけ考えているかが、その違いなのかもしれないけどね。

フォートナイトでビクロイ!!

今日も今日とて息子とフォートナイトをタッグを組んでやった。夜に一戦だけやると決めている。意外と時間かかるから、一戦でも三十分くらいかかっちゃう。ゲームによって夜更かししてしまったら、親として本末転倒である。あくまで、息子とのコミュニケーションツールとしてやっているのである。

この日は、動体視力が衰えているにも関わらず、やたらと敵がみえた。なんなら息子より先に発見して、銃撃を浴びせたりとかも。なんだか調子がいい。ロボコップが出たときに、勢いで課金したのが功を奏したのか、キャラクターに対する愛着も次第に強くなりつつある。

ロボコップとはまた、我々おっさん世代をうまく魅了しやがった。絶対課金しない!という誓いがそうそうに破られてしまう。課金する俺を見て、めちゃくちゃ喜ぶ息子。さながらこちらの世界にようこそ…といったところか。

話はそれたが、この日はそのロボコップが1キルし、2キルした。2人も倒せたのは初めてである。そして、運命の瞬間がやってきた。あと4人にまで迫った時、息子がやられた。だいたいデュオで息子がやられると、俺もほぼ同じくらいに死んでいた。

しかしこの日は違う、やってやる!とばかり息子のそばまで躍り出て、いましがた息子をキルした敵にマシンガンを浴びせかけた!うちの息子になんてことすんだ~!と言わんばかりの猛攻撃。ジャンプで弾をよけながらガッーっとやった。

我武者羅、へっちゃら。

次の瞬間、武器をぶちまけて倒れる相手。そして、この画面。
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ビクロイ(最期のサバイバーになること)である。

まさか、単独で勝つとは思わなかった。めっちゃ興奮したビギナーおじさん。息子も大興奮。いやぁ、なかなかムネアツな展開であった。

なるほど、ゲームもただやるだけでは駄目だ。極めないと…そんな悟りを静かに開きつつ、オンラインゲームの世界にはまりつつある俺。ゲームコミュニケーション…恐るべし。でも、もう課金はしないぞ!

仕事を辞めての転職活動はだめである

自分にとっては当たり前だが、意外と次のあてがなく辞めてしまう人も多い。確かにすぐにでも辞めたい気持ちはわかる。だからこそ、転職するんだろうし。でも、絶対的に仕事をしながら転職活動をしたほうがいい。

もうかれこれ20年以上前になるが、ふとしたきっかけから仕事を辞めてしまった。その後、資格をとろうかと学校に行ったが、結局さほど続かず、ならばと転職活動を始めたことがある。この時さんざんな目に遭った。

当然ながら、転職の動機を聞かれるし、その時失業保険を満期もらっていたので失業期間はすでに半年を超えていた。それでも若かったからか、どうにかなる!と高をくくっていたのだ。しかし、ことごとくアウト。どんどん、焦っていき最終的には心の病を発症した。(まぁ、それだけが原因ではないが)

実際、よほどの専門的な技術がないかぎり、現状の仕事を辞めての転職は冬場に丸裸で外に出るようなものだ。ブルブル震えだしたころにしまったと思っても遅い。下手したら、死んでしまう。自分の経験上、こういったアドバイスはなかなか聞く耳を持たれないことが多い。

なぜなら、辞めてしまう人は、もっと成長したいという前向きな姿勢ではなく、一刻も早く別の場所に逃げたいと思ってる場合が多いからだ。

俺もそうだった。巷にあふれる、とにかく逃げろみたいな文言。もちろん、わかる。しかし、逃げた先を確保していないとまた違った地獄が始まるのである。

当時、転職雑誌かなんかの広告でスガシカオが語っていた。俺も、サラリーマンであった。やりたいことに飛び込んで今がある、みたいな。この広告に刺激を受けて、飛び込んだやつが何人もいたのではないか?

真っ裸で飛び込んだ先には、ドッキリでお馴染みの滑り台。真冬の山を滑走し、ポーンと体が宙に浮く。そして、遭難。仕事を辞めての転職には、そんなイメージが俺にはある。どう考えても、厚手のダウンを着て、食料もたっぷりもって、スマホと無線機も、そう、いつでも帰れる準備万端で山へでるべきである。

とはいえ、こういうことも経験してみないとわからない。
まったく勧めないが、それでも辞めて背水の陣でのぞむのだ!というのなら、若いうちがいい。最近とくに思うのは、若さというのは素晴らしい資源であると。

子どもは、自らの手で自分の人生を豊かにしたいと思っている

子どもが幼児のころは、小学生くらいに育ったら、子育てがさぞ楽になるだろうなぁと思っていた。しかし、実際に育った子をもつ親たちは、いやその年代年代で大変なのよ、と言っていた。

最近は、この当時は理解できなかった先人の言っている意味が理解できる。不登校気味になったり、ゲーム中毒気味になったり、かたや家ではすごいおしゃべりだが、学校ではまったく沈黙しちゃったり。いろいろな心配が頭をもたげる昨今である。

そこで自分の子育てのバイブル書 田中 茂樹「子どもを信じること」を読み返した。
やはり、いろいろな育児書を読んできたがこの人のが一番面白く、勇気づけられる。なかでも、子どもの誇りについての章は秀逸で、目から鱗なのだ。

子どもは一人の人間として誇りをもって生きている、というシンプルな真理だ。それが親の目からしたら破滅に向かっているように見えるから不思議である。例えば危ないことも、なんでもしたがるのだが、早くこれをマスターして一人前になりたいからやっているのだ。少なくとも純粋な子ども時代に自虐願望や自殺願望はない。つねに、向上心をもって物事に取り組んでいるのだ。それが短期的には親にとってとても見てられないものであることは多いので、つい小言を言ってしまうのである。

俺は今、禁酒まではいかないが自分で酒を買うことを断っている。依存体質があるし、二日酔い体質でもあるので、いいことはないと思ったからである。なので、かなり最近は健康的な生活である。こういった生活改善も基本的には、自分に誇りをもっていて、もっとよりよく人生を生きたいと思っているからである。

子どもも大人も人間である限りは、そのような誇りと自ら楽しくいきたいという願望がある。そうじて、幸せになりたいと思っているとでもいうか。

この本は、そう思っている子供を信じるということに焦点が充てられている。この本を読むと、なんと自分は子供を信じていないのだろうか…と目から鱗が落ちる。しかし、たいていの落ちた鱗は、数日もたたないうちにどこかへいってしまうのである。とはいえ、こういった自分の心に響いた本は、大事にしたいと思う。ちなみに、子育て本はたくさん読んだが、響いた本は「子どもを信じること」と「父親になる、父親をする」の2冊のみである。あとは、まぁ似たり寄ったりだった気がするな。

個人的に、こういった育児書の役割は具体的な方法を教わるとか、画期的な行動を変えるきっかけ、とかではなく、安心感をくれることにある。実生活では、思ったようにいかないことが多く孤独に陥ることもあるが、いや、間違ってないよと優しい言葉をかけてくれるのが育児書の良書だ。そういう意味では、この二冊は自分のシチュエーションにあった優しさを持ち合わせていたといえる。

子どもを信じること
田中 茂樹
さいはて社
2019-04-10



海はこわい

知床の観光船事故の詳細をみるに胸が痛む。この事故の恐ろしいところは、乗ったが最後ひとりも生き残らなかったことである。

タイタニックだって、航空機事故だって、事故はたいていサバイバーがいたりする。そこで、生死を分けた行動などが問われるが、この事故に関してはそのツアーを選んだが最後、どうあがいても終わりである。被害者家族からしたら、自分の寿命を売ってでも時をさかのぼって忠告したいだろう。

海はほんとうにこわい。20才ころ、年上の友人に連れられてサーフィンをしに神奈川のほうに行ったことがある。サーフィンなんて、まったくしたことはない。遊泳可能域であったが台風がやや近づいており、結構荒れ気味であった。

調子に乗ってサーフィンを借りて、大胆にパドリングしていたらとんでもない沖にでてしまったことがある。やっべっと思ったが最後、波にのまれた。サーフィンは離れないように足首に取付用のロープで取りついている。これが、よくない。波が来るたびにサーフィン飲まれる、引きづりこまれて俺も飲まれる。を繰り返した。

飲まれて波に沈むと中は洗濯機のようだった。グルグル回る俺。ブホって海上に出る、また飲まれる。これ何回か繰り返してると体力がなくなってくる。もう、これ死んだかもなぁと風景がスローモーションになった。そんなとき、レスキューの人が泳いで来てて、助けてもらった。本当に遊泳可能区域だったからこそ助かったようなもん。あれ、誰もいなかったら人知れず溺死してたわ。

そんな経験を有しつつ、だれもが大人になる。誰だって、これは死んでたかもなという経験が大なり小なりある。寸前で助け出されるのだが、そんな余地もなかったこの観光船事故。せめてご遺体が遺族のもとに戻って荼毘に付されることを願うのみである。

風船怪人あらわる

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こわっ、くびどこいった?
娘に、こっち見ないでと言われて数分後にあらわれた怪人。ふつうに首どこ行った?という感じ。

なかなかのクオリティ。おそらくYouTubeなどの動画で見たのだろう。

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こうなってました!って振り返ったけど、こっちはこっちで薄気味悪いね。じっさい。

フォートナイトで1キルできるようになってきた

息子とフォートナイトをやっている。フォートナイトとは言わずと知れたオンラインゲームである。最後の一人になるまで殺しあうというシンプルなゲームである。

親によっては、無条件でこれはイカン!と禁止する類のゲームである。俺は禁止しない、進んだ精神の親である…とマウンティングを取りたいところだが、俺も禁止派といえば禁止派であった。しかし、あまりにも楽しそうに友人とオンラインゲームをやる息子を見て、考えを変えた。

昨年末は自分へのクリスマスプレゼントにSWITCHライトを購入した。そうなら、と子供とゲームコミュニケーションをしてみようと思っていた。そこでもってこいなのが、このフォートナイトである。

デュオといって二人で組んで、最後まで勝ち抜くのである。いざやり始めたが、そこは40代後半のおっさん。まったく意味が分からない。いきなり戦場に放り出されて、あっという間にやられるということを繰り返していた。

かなりの実力になっている息子の容赦ない罵倒に正直腹が立っていた。並みの親なら、コントローラーを投げ出すところであるが、M気質だからか罵倒に耐えつつ、徐々に操作方法を覚えた。そして、いまや息子を助けつつ、一人はキル(倒す)できるように。

とはいえ、オンライン上には世界中から集まったツワモノたちがしのぎを削っている。うまくできるときもあれば、酷く無残にやられるときもある。一度だけ、俺のミラクルプレイが功を奏して、ビクロイ(最後の一人(1組)になること)できたことがある。

この時は、息子と大興奮。無邪気に抱き合ったものだ。

こうやってオンラインゲームを実際に経験してみると、別にこれやったからって残酷な気分になったり、人を傷つけたくなったりなんてまったくナッシング。やられれば悔しいし、勝てばうれしい。単純なゲームの喜びがあるだけである。

それでいて、戦略を練ったりするので、けっこう頭も使う。やり始めて結構そういう利点に気づいたよ。

よくない点ももちろんある。
不特定な人ととやるので、やはり子供は誘拐などの危険性があるだろう。それと、単純に中毒性はあるので長時間やると目に悪かったり、脳にも影響がある。ゲームという悪者にされがちだが、電子コンテンツに共通の危険性があるというだけである。

そう言った部分は気を付けつつ、一緒にプレイしてみるとまた違った世界が見えて面白い。

シンウルトラマン を見に行った

ウルトラマンを見る年齢ではないが、予告に刺激された息子と庵野秀明が総合監修をしたシンウルトラマンを見に行ってきた。

前日に友人と飲みに行き、久々に大量飲酒。正直体調が悪かったので、外出したくなかった。それでも、たしかにシンウルトラマンちょっと見たいわという思いがあったので、だるい体を押して新宿へ。

映画館ではないが、シンゴジラも以前観た。
なんというか、ゴジラのくせに日本の行政のシステムの対立などがリアリティをもって、描かれていてこれはこれで面白いと思った。

しかし、シンウルトラマン。こちらも、シンゴジラと同様政府高官たちが出てきて、わちゃわちゃとなんか言ってる。難しい言葉が早口で展開されているのを観ているうちに、こちとら二日酔い。ちょこまかと寝てしまった。

ウルトラマンや怪獣がでてくるところはそれなりに迫力があって、目が覚めるが、わちゃわちゃとしておしゃべりになるとまた眠くなる…という繰り返し。

分かりやすい娯楽要素はあんまなかったけど、まぁこれはこれでエヴァンゲリオンぽい要素が好きな人はいいだろう。

はて、息子はちょっと難しかっただろうなぁと聞いてみると、面白かったと。ドリルの怪獣凄かったと。二時間うつらうつらしていた俺と、ドリル怪獣などで楽しんだ息子。ちょっと、難しかったろ?と尋ねても、いや全然、ドリルよかったと。ドリルって序盤だぞ…。

まぁ、そこはいいか。
いやしかし、俺が若干退屈する映画も、全然苦も無く観れるようになった息子の成長を感じた。

忍び寄る老いの影…

50の影が見えてきた昨今、精神的には相も変わらず変わっていない。意外と肉体的にも、肩こりとか腰痛とか慢性的なものがないから、そこまで衰えている感じがしない。

唯一衰えたなと感じるのが、気力である。

なにか新しいものにチャレンジしよう!という気力は確実に衰えている気がする。もともと臆病体質であるが、それでも昔は、突然なにかに目覚めてそれに飛び込むということがあった。

子供が生まれる前の、フィリピン英会話留学もそう。仕事にしたって、インプットとアウトプットを心がけて日々頑張ろうという熱気があったはず。ところが今はどうだ。確かに二年前より始めた早朝バイトで疲れているというのはあるにせよ、まったく気力がない。

生きているだけで、いい。みたいな、みつを的な感覚である。

ある意味「正解」である。しかし、内なる俺が声をあげている。このまま人生終わってもいいのか?と。「いいんだよ…それで十分」と諭す俺と「いや!だめだだめだ後悔するよ!」、と熱くるしく叫ぶ二つの声が「いい」と「いや」の最初の言葉で被っちゃって、お互い気まずく下を向いている状態である(なんのこっちゃ)。

果たしてどちらが正しいのだろうか。
無理をせず、マイペース、普通が一番。
はたまた、人生一度きり、やりたいことをやれ、明日死ぬかのしれない。

この二つ、巷でよく聞かれるフレーズだが、本当に真逆の感性である。

どう考えても、体調がいい時は後者だが、なにか不調に見舞われたときは前者である。
例えば、俺が癌に侵されたとしよう。その場合に、アグレッシブな後者を選ぶだろうか。当たり前の人生のありがたみを感じ、きっと草花を愛でるだろう。

逆に体調がバリバリ元気、エネルギッシュな時に道端で立ち止まり小一時間も草花を眺めるだろうか…。いな。どうしたら成長できるだろうかということに目を向けるに違いない。まだまだ俺はいけると。

そう考えると、結局人間はフィジカルないきものと言わざるを得ない。いま、俺は後者的な考えということは、単純に体調がいいんだろう。なるほど…。なんだかな。

道端のエロ本とネット広告

一人部屋を獲得した息子であるが、そろそろ性的な目覚めも出てき始めているのでわ、と睨んでいる。まだまだたまに添い寝をしてくれと、せがんだりする男児である。可愛いことこの上ない。でも、思えば俺も、10歳前後で股間が膨らんだりしていた気がする。意識するしないにかかわらず。

よく覚えているのは、小学生の時、性的に進んでいた隣の席の友人が、教室でふっくらと盛り上がった自らのズボンを指さしてにやりとしていた。いわゆるモッコリである。それをみて、こいつスゲーなと思った記憶がある。

でも、これはなんだ??という疑問はなかったから自分もそれを理解していたのだろう。

とはいえ、そこから本格的に自慰行為などにいたるのは、まだまだ先の話。でも、芽生えではあった。エッチなものに触れそうになった時、これは子供は見てはいけないモノという自制心で見ないようにしていた。

最近、息子や娘が見たりやったりしている動画やゲームアプリ。その合間に広告が挟まれる。ゲーム広告が多いが、制限していないせいかけっこうエッチなゲームの広告が入り込んでくる。クレーンでアニメキャラの女性の服をとったりすると下着が露わになる。とんでもなく下世話なゲームである。昨日も広告で流れていた。

否応なく性的な何かを刺激されてしまう。

そういえば、道端に落ちていたエロ本(ガチのエロ本もあれば、ヤンマガのグラビアなどもある)を足で、草陰にドリブルした記憶がある。さりげなく見るためである。持って帰ったこともある。小学生の時だと思う。ああいう、突如現れた性的なコンテンツというのは、インモラルでエロ心を刺激したものだ。

今の広告もそういった道端のエロ本に近いきがする。
意外と大事なのよ、ああいう出会い。

なので、息子が突如として現れたややエッチなゲーム広告にドギマギしているのを遠くから見ながら、ほくそ笑んでいる。もちろん、特に煽ったり注意したりはしない。

困ったのは娘がやっているアプリの広告にも現れる点。女の子はなんだかんだ、エロコンテンツ界では搾取される側である。先のゲームでは服をとられてしまったり。女の子が見ているときは、逆に男のジーパンをクレーンで取ってブリーフが丸見えになるような性別を逆にしてくれないだろうか。

かねてから思っている。
エロ業界にも女性が楽しめるコンテンツを豊富に、そしてもっとオープンにしてくれればいいのではないか。実際にはあるのかもしれないが、ホストなどやたら中毒性が高くリスキーなものが多い。もっとライトで日常的なものは、昔から希少な気がする。

こういう部分でも多様性を大事にし、性差別をなくしてほしいな。
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