またまた衝撃的なニュースであった。ダチョウ倶楽部の上島竜平がお亡くなりになったと。その前には俳優の渡辺浩之さんが…。二人とも自死らしい。様々なことが語られるだろうが、最終的には亡くなった本人しか真相がわからない…。それが自死の恐ろしさであろう。
家族がいて、仕事や仲間にも恵まれて、身体面も重い病気などがないなら、なぜ?と思ってしまう。実際なぜ?である。人の心の裡はわからないが、問題ないような人が自死に至ってしまうのなら、間違いなく少し前からうつ病を発症していたのだろう。
かれこれ二十代後半の時期、自分もうつを経験した。そして、文字通り死にかけた。その経験からわかるのは、死に至る前は、ほぼ毎日、毎時間、毎分、希死念慮に苛まれるのである。死にたいという願いが止まらないのだ。
結果、自分は「入院」というポケットに転がりおちたのだが、どんなポケットに転がるかは運である。あのころ考えていたポケットは、自死を筆頭に新興宗教に入信、クスリ、はたまただれかを殺す(これはなかば妄想であるが家族が最有力であろう)などなど破滅的なポケットばかりであった。
苦悩から逃れるために開いているものは禄でもないモノばかりである。これがうつ病の怖い所である。発症時に大きな決断をしてはいけないというのは、それその通りである。
家族がいて、仕事や仲間にも恵まれて、身体面も重い病気などがないなら、なぜ?と思ってしまう。実際なぜ?である。人の心の裡はわからないが、問題ないような人が自死に至ってしまうのなら、間違いなく少し前からうつ病を発症していたのだろう。
かれこれ二十代後半の時期、自分もうつを経験した。そして、文字通り死にかけた。その経験からわかるのは、死に至る前は、ほぼ毎日、毎時間、毎分、希死念慮に苛まれるのである。死にたいという願いが止まらないのだ。
結果、自分は「入院」というポケットに転がりおちたのだが、どんなポケットに転がるかは運である。あのころ考えていたポケットは、自死を筆頭に新興宗教に入信、クスリ、はたまただれかを殺す(これはなかば妄想であるが家族が最有力であろう)などなど破滅的なポケットばかりであった。
苦悩から逃れるために開いているものは禄でもないモノばかりである。これがうつ病の怖い所である。発症時に大きな決断をしてはいけないというのは、それその通りである。
どうすればいいか?これは大変難しい。しかし、おそらく、自死した人たちは不眠に陥っていただろう。シンプルだがまず第一には、不眠を解消しなくてはいけない。睡眠薬によってこれは可能である。そして、意外かもしれないが、第二に「元気をだしてはいけない」のである。
よく覚えているが、落ち込んでいるのが嫌だから元気を出そうと、いろいろ試みたことがある。友人に会いお酒を飲んだり、ギターを弾いて歌ったり。その時はいい、しかし、根本的には何も解決していないので、すぐに落ち込むのだ。
この元気→落ち込みは、落ち込み続けるより実はキッツイ。落差のある落ち込みは、ジェットコースターのようである。あんなに、元気になったのにコレかと思って自分に絶望してしまうのだ。あとは、元気になることで自殺をする行動力まで元気になっちゃうってのもある。
だから、うつ病の時は、とにかく現代医学の投薬治療でずっと寝てる。これがいいのだ。
そのうちに何か変化するだろう、くらいの気持ちで。
実際そんな簡単に切り替わらないけど、経験上一年くらいなんの情報にも触れず、寝っぱなしの廃人な生活を送っても、胸板がペラッペラになるくらいで大したことはない。元気になったらまた活動すれば、きっちりリカバリーする。
人の心の裡はわからない。でも、そのプロセスは経験上なんとなくわからないでもない。だからこそ、そのポケットに落ちてしまったことが、悲しい。そして、まわりの方々の悲嘆はいかほどのものか。でも、なんで?と思わないでほしい。答えはどうやったって出ない。
そうなってしまったのだから、運であり、ある意味仕方ないことであろう。まだまだ精神の病は恥ずかしいという感覚があるが、どんな時も、誰もがなりうり、特別なものではないのである。
よく覚えているが、落ち込んでいるのが嫌だから元気を出そうと、いろいろ試みたことがある。友人に会いお酒を飲んだり、ギターを弾いて歌ったり。その時はいい、しかし、根本的には何も解決していないので、すぐに落ち込むのだ。
この元気→落ち込みは、落ち込み続けるより実はキッツイ。落差のある落ち込みは、ジェットコースターのようである。あんなに、元気になったのにコレかと思って自分に絶望してしまうのだ。あとは、元気になることで自殺をする行動力まで元気になっちゃうってのもある。
だから、うつ病の時は、とにかく現代医学の投薬治療でずっと寝てる。これがいいのだ。
そのうちに何か変化するだろう、くらいの気持ちで。
実際そんな簡単に切り替わらないけど、経験上一年くらいなんの情報にも触れず、寝っぱなしの廃人な生活を送っても、胸板がペラッペラになるくらいで大したことはない。元気になったらまた活動すれば、きっちりリカバリーする。
人の心の裡はわからない。でも、そのプロセスは経験上なんとなくわからないでもない。だからこそ、そのポケットに落ちてしまったことが、悲しい。そして、まわりの方々の悲嘆はいかほどのものか。でも、なんで?と思わないでほしい。答えはどうやったって出ない。
そうなってしまったのだから、運であり、ある意味仕方ないことであろう。まだまだ精神の病は恥ずかしいという感覚があるが、どんな時も、誰もがなりうり、特別なものではないのである。