R太のざっくり雑記

40代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2022年07月

ADHDってまさにそれだろう…

発達障害というのは本当に難しい。かなり近くにADHDかなという人がいるので、最近はなんとなくそういうものだと分かり始めた。何でもそうなのだが、身近にいて初めてそのことについて勉強し始める。

ADHDというのは、アテンション・ディスオーダー(注意欠陥しょうがい)とハイパーアクティブ・ディスオーダー(多動しょうがい)が合さった脳の気質といわれている。人並外れて物忘れが激しかったり、いろいろなものに関心がいって集中できないなどが日常生活において生きずらさを感じてしまう2大要素である。

しかし、それ以外にも人によっていろいろな二次要素が出てくるため、定義するのは難しそうである。

とはいえ、その身近な人物はやはりADHDだと俺は思っている。ADHDってのは、例えば友達など多少距離がある人物ならば、面白いなこの人、このキャラクターなかなかいないな、などと魅力的に思えてしまう所作であったりする。

しかし、ひとたび一緒に暮らしたりすると、そのキツさに気が付く。財布やスマホなど比較的大事だと思われるものを、どこかに忘れる。これは、短期的には「おっちょこちょい」というカテゴリーである。女性の場合は、むしろ隙があり好ましいとすら思われるかもしれない。

しかし、それを3日に一度繰り返してみてください。地獄である。

俺も、最近家の鍵がついたキーケースをなくした。家の中にはあるはずだと思いながら、狂ったように探した。結局、布団の下にあった。その三日後にまたキーケースをなくした。また家の中で発見した。この2回だけでも恐ろしくストレスフルであった。これを繰り返しているんだとしたら、とてつもなく厳しい人生である。ぜんぜん笑えない。しかも、これは全ADHD気質の一部である。

最近タレントの木下優樹菜さんが、ADHDを公表して無茶苦茶叩かれまくっている。免罪符にするな!とか何とか…。

えっ?と思った。
なんと、ADHDの人を身近に持つ人も叩いている(コメント欄しかみてないけど)。俺からしたら、この間の悪さとか伝え方が、まさに皮肉にも彼女はADHDなんだということを証明したなと思って、ちょっとほっこりしているくらいだ。

これだからADHDの人は気の毒なのである。とくに日本では。

こもっている人ほどオンラインショップに向いている

オンラインショップ関係の仕事をやっているが、この仕事はコミュ力がない人や引きこもってしまいがちな人に大変向いている。商品の出品、在庫管理、サイトのデザインや出荷、いろいろな告知やクレーム対応(メールにて)。など業務は多岐にわたる。

最近は、さらにグーグルアナリティクスなどを使用して、ネット上の分析もしなくてはいけない。やろうと思えば際限なくやることがある感じだ。ここに必要なのは、黙々と積み上げていく地道な労働である。一日中誰とも喋らないこともあるくらいだ(これはこれで問題だけど)。

だからはっきりいって、コミュ力はまったく重要ではない。ミスった時に激しいクレームにあうが、これもタイムリーで電話などで怒られる機会はほぼない。メールなので、怒られている内容をじっくりみて、検討し、客を刺激しないように最善の対応をするのみである。ここでもメールが基本。

思うのだが、「コミュ力がない」ということは部分的には瞬発力がないのと同意ではないだろうか。俺もそうである。あとあと、ああ、あそこでああ返しておけばよかったなぁ、と思うことが多い。またはああ、ああいうことを言っていたのかと後で気づいたり…。その場で、ガンガン対応できないのである。

しかし、メールの場合は一度考えて、ゆったりと対応できる。
実は、こういうことは一般にコミュ力がないといわれている人の方が得意なのである。慎重だから、こうしてこうなると、こうなるからこの対応はまずいな、などと考えられる。

かつてオンラインショップというものは、いまほど簡単に運営することはできなかった。しかし、今はいい時代である。メルカリのように、個人で手軽にできてしまう。商品によっては、海外とのやりとりだって可能である。

現代は過剰にコミュ力が高くないと生き残れないといわれている。まぁ、そうなのだが、それと同じようにそれがない人にもいい時代ではある。

問題は、個人でやる以外は、会社に入らなければいけないということである。入社にコミュ力が求められてしまう点だ。そこをうまく回避して、もぐりこむことができるといいのだけどなぁ。就職でつまづく人が、コミュ力のない人であることもまた現実である。

コロナ再感染の恐怖

こんな暑いのに、コロナ感染者数が最多を更新しまくっている。東京は連日3万超である。

つい最近までは、三回目のワクチンを打ったし、なんといっても2月にオミクロンのコロナに一家もろとも感染している。ワクチンとこの感染による抗体があれば、いやはやもう怖いものはないじゃない!と思っていた。

しかし、一昨日みたニュースで2月に感染した一家が、再感染…というニュースが。2月って!なんて、うまい具合に不安をえぐってくるんだ。実際、半年未満で感染しているケースも散見される今日この頃。まったく油断できやしないじゃない。

今回も喉痛に苦しんでいる人が多くいるらしい。

いやだ、絶対。またあの喉痛だけは勘弁してほしい。唾を飲み込むだけで、体がぶるぶる震えるほどの喉痛なんて、聞いたことある?それが、コロナの喉痛である。

しかし、ここにきて、今まで免れてきた人が、捕まっていくような気がしている。意外と周りで感染したのはいまだに、俺と少数だけという感じなので、ちょっと寂しく思っていたところである。

そういう意味では、感染した人にやさしくできる自信がある。

一番いやなのは、誰をも先駆けて、また再感染してしまうことだが、それだけは絶対に避けて通りたいと思っている。
下手したら言わないで嘘ついちゃおうかなと思うくらい、嫌なのである。

テレビの犬の鳴き声

犬は頭がいい。申し訳ないが、うさぎを飼っていたものからすれば、うさぎと犬の物覚えは雲泥の差である。もちろん、その可愛さとか、ペットとしての質とかそういうのは別である。10年も過ごしたうさぎオーナーとしては、頭が悪かろうが、うさぎは魅力的である。

それは置いといて、犬である。

まずもって、エサの前にお座りだとかの芸をする時点ですごい。あとは、最初ドライヤーとかの音に吠えていたのだが、何回かするとなれるのである。異質な音を、ある程度把握する能力がある。散歩に行くときなんて、散歩に行くバッグを持つだけで、寝てたのにむくっと起きて大はしゃぎである。

離れた部屋で、そのバッグを取っただけである。見てもいないのに…。バッグを持ったそこから漂う、その匂いとか風を感じ取っているのだろうか…。とにかく、超能力みたいなのがあると感じるときすらある。

そんな犬さんであるが、いつまでも慣れないものがある。それが、テレビから流れる犬の鳴き声である。うちの犬は、ほかの犬がいると大はしゃぎになるので、仕方ないのだが、テレビの犬に吠えまくるのはやめてほしい。
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部屋の中に他に犬はいるはずがないのに、とにかくゲームの犬の声にも反応する。大興奮になってしまうのだ。学習能力が高いので、そろそろ学習してほしいなぁと思うのだが、こればっかりは駄目そうである。

子育てのアップデートが必要

しつけやマナーって日本人は好きである。相手の迷惑にならないことを、とかやってもらったらお礼を言う、とかである。家庭内のしつけはとりわけ大事といわれている。

うちも妻がよく、飲み物をとってもらった時、お礼は!といって、ありがとうを強要している。強要というとあれだけど、まぁ、本人がやらないことをさせるのは、広い意味では強要であろう。指摘されて、「ありがとう」と言うことになんの意味があるのだろうか、と密かに思ってしまう。

心から思ったら言葉に出す、というのが基本だろう。まぁ、きれいごとであるが…。

俺の場合はひどいもんである。父親の威厳などが基本的にないので、なにをやってもお礼を言われないし、当たり前のようにジュース取ってとか言われる様である。あまり、それに対して何も言わない。

確かに疲れているときは、たまにイラっとくるのだが、こちらもこちらで基本テーマがある。家庭は、「くつろぎの場」ということである。もう、何をやっても基本はいいということである。言葉遣いとかも適当でいい。そういった心許せるホームがあるからこそ、外ではきちっとできるのでは?と思っている。

関係ないかもしれないが、自分の仲で「抱っこ理論」(てきとうにつけた)というのがある。ある程度大きくなったのに、相変わらず抱っこをせがむ子ども。かつては、こう考えられていた。抱っこをしてしまうから、それが癖になっていつまでもせがみ続ける。つまり、悪い癖を親がつけてしまっている、と。

しかし、最新の脳科学だとこれは違うらしい。

抱っこをその子がしてほしいなら、何回でも何歳になってもしてやるといい。そうすることによって、コップに水が満たされるように、ふとある時点でせがまなくなる。つまり、満たされてしまうのである。それ以降はまったく興味がなくなる。これがいわゆる「自立」である。

コップを満たさないまま、だとどうなるか。

あの時満たされなかった、という思いがずっと残ってしまうのである。未練ともでもいうかなんというか。
これと同じことはいろいろなところでいえる。とにかく、子どもの望みは一部を除いて(お金がかかること)、すべてやってやるくらいの気概が必要である。

まぁ何が言いたいかといえば、こうである。日本のいままでのマナーとかって、もしかしてクソではないかということである。今の時代からみると…である。その時代はいい。子供が多く、全体をなんとかまとめなくてはならない。子供が5人もいるのにいちいち抱っこしてらんない!なんてのもあるだろう。
しかし、今はそうではない。アップデートが必要なのだ。

我々が受けてきたマナー教育やその他。それをさらに次世代につなげてどうするのか?この生きにくい社会を作っているマナー教育である。相変わらず、しつけやマナーに賛同している人たちはどうかしている。

子育ても、もうびっくりするような革命のようなアップデートが必要だと思う。似たような生きにくい子供を作らないように。ありがとういえるかどうかなんて、短期的にはどうでもよいでしょ。実際。と思っているのだが。
何をやっても、いいというような子育てのマナー。いや、それヤバイでしょ、と思われるほうが、実は正しいのかもしれないと最近疑っている。

コミュ力という魔物

コミュ力といえば、人と円滑に話してよい関係を築く能力である。これが高い人が世間にはいる。男性でも結構多い。

10年前くらいに、一か月間フィリピンに語学留学に行ったのだが、若い男の子で誰かまわず話しかけ、それでいて誰からも好かれるコミュ力の化け物のような人がいた。娘と参加していた親子にもいやらしくなく話しかけて、うまく談笑していたのにはびっくりした。

早朝のバイト先でも、やたらコミュ力が高い男の子がいる。彼も、自然体でいろいろな人に話しかけて関係を築いている。

彼らをみてると、どうやら自然体である。気張っていないのだ。それでいて、さほど面白い凝ったことを言っていない。ちょっとした、時事や凡庸なやりとりをしつつ、ちょっとしたユーモアのスパイスを入れているだけである。

まったくコミュ力がない俺にすら、ふところに入ってくる。また、話しやすいんだよね彼ら。

さて、現代は特にコミュ力がない人に厳しい時代だといわれている。独身40代以降で、さほど地位もお金もなく、友達もいない人は悲惨だという記事も見かける。俺だって、運よく結婚できただけで、独身だったらひどいことになっていただろう。

かつて、「寡黙」であることはそこまで悪いことではなかった。職人的な仕事があり、お見合いで出会って結婚。ひたすら仕事に打ち込み、子供が成長し、仕事を引退し、妻に小言を言いながら老い、そして鬼籍に入る。これがスタンダードであったとすらいえる。

そこにおいて、やたらベラベラしゃべくる男は、なんか詐欺師のような扱いをされていた。

しかし、今の社会はそうではない。職人といえば聞こえはいいが、それが機械的な仕事の場合は、文字通り機械やAIにとってかわられ仕事を奪われる。そうなると雇用が不安定で、稼ぎが少ないゆえに、お見合いもできない。

お見合いなんて、結婚相談所も含め、基本的な稼ぎがあって初めてスタートラインに立てる。そうなると、フリーの恋愛市場という荒野にいくしかない。そこは、まさにコミュ力がすべてである。あれよあれよといううちに、年食ってしまったとしたら、独身、稼ぎが少なくコミュ力がない男という感じで、市場でもっとも嫌われる人になってしまう。

若いうちは寡黙でもルックスが良ければいい。が、40代すぎると、竹ノ内豊くらいのルックスがないかぎり、かなりキツイ。耳毛がはえてるなんてもってのほかだが、誰も指摘してくれないから、耳毛の処理もできやしない。

俺も、独身以外はアラフィフだし稼ぎが少ないしで、けっこう当てはまるので恐ろしい。
なんだかんだ、性格を変えるのは大変だ。家庭をもっているという保険のようなバックボーンがあるのに、やはりコミュ力をあげるのは難しいと感じている。これは、資質というかそんな変え難いなにかなんだろうな。一瞬コミュ力を気合であげられても、疲れちゃうのよ。

自分を分析するに、人目が気になるということに尽きる気がするな。
これを言ったら…といちいち考える。
みみっちい人間だなぁと思うけど、しょうがないんだよなぁ。
最近は自分を変えたいなどと思わない代わりに、このみみっちさを人に知ってもらいたいと考えるようになってきた。逆にこれは新しいスタイルのコミュニケーションではないか?

山本周五郎の小説であった。
壮烈であろうとするよりも、弱さを恥じぬ時ほど人は強いものだ
この言葉のごとく生きてみたいと思っている。

今年もIPOは不振である

相変わらずちまちまとやっているIPOであるが、まったく当たらない。損したとはいえ、昨年度のエクサウィザーズ以来まったくである。しかし、興奮したなぁ当たった時は…、損してものすごい落ち込んだけど。

やはりIPOは宝くじのようなものである。とはいえ、今年のIPO株の初値を見てても、上がっているものもあれば、価格割れを起こしているのもあって、一概に当たればいいというものでもない。

興味があって、ものすごい価格が吊り上がった会社の過去のIPOを見てみた。IPOの肝は上場前と後の差益である。IPO抽選に当たったら、基本は、上場と同時にその株を売りだす。上場後は、その期待値によって株価は跳ね上がる。

その跳ね上がりかたが半端ではなかった会社が「HEROZ」である。

2018年あたりのIPOで、公開価格(上場前)が4500円である。これも、そこそこ高いけどね…。しかし、上場後たるや49000円である。つまり100株45万で買ったものが、490万になるのである。じつに450万円の利益。何もせず、IPOに当たって、約一週間後くらいには450万円手にするという。凄まじい美味しさである。

ここまでのって近年ではない。当たって初値売りした人はラッキー以外のなにものでもなかとです。いいなぁ、とぼんやりそれを見てたら、今いくらくらいだろう?と気になってしまった。IPOの株というのは素人が手を出しちゃいけないくらい乱高下するらしいが、今はどうだ?

AI関連だから、さらに上がっていたりして!

などと興奮しながら見てびっくり。
814円である。814円って。初値4万9000円が814円である。490万円が8万1400円である。ひどすぎる暴落。IPO株の恐ろしさを見た。IPOは絶対初値で売らなくては駄目という鉄則があるが、これは本当である。

エクサウィザーズの初値売りで、1万3千円ほど損したときはそのまま持っておけばよかったか…と悔やんだが、それとて現在持っていたとしたら5万円以上損している。

株はこわひ…素人は鉄則にしたがうのが一番である。
しかし、HEROZを初値で売れた人はいいなぁ。俺の今の年収以上を、1週間で稼いじゃっているよ。

自動車も外国産になる時代がきてしまうのか

おそらく見ているブログやツイッターや記事によっていろいろであるが、自分がチェックしている記事や人によると電気自動車(EV)で日本はかなり追い込まれているらしい。

世界は環境問題もあって、完全にガソリン車から足を洗い始めている。しかしながら、日本はトヨタを筆頭になかなかそこまで舵をきれてない。それでいてEVの開発競争ものんびりしているらしい。車といえば日本だろうという感覚があるのだろう。

しかし、この感じ、なにか既視感がある。そう、家電である。

かつて、あらゆる電化製品はメイドインジャパン!として尊ばれてきた。壊れないし、高性能だしで。しかし、今世界で日本の家電を使っている国ってあるのだろうか。むかしだが、フィリピンにいった時、テレビが大体韓国製で驚いた記憶がある。

それでも、国内でガッツリ流通していればいい。しかし、それも怪しくなりつつある。家電ではないが、自分の周りのものを眺めても国産品が確実に減りつつある。パソコンはマイクロソフトだわ、スマホはアップル、電子書籍はkindleだし。愛用しているのは、ほぼメイドインアメリカである。

それでいて、髭剃りやスマートウォッチはどこだと思えば、よくわからない中国製である。この中国製というのは問題がありそうだが、製品の質がなかなかいい。安くて、機能が攻めているのである。

よくアマゾンで髭剃りなどを買うのだが、少し前の髭剃りがもうないのだ。それだけアップデートが早い。顧客の指摘する問題点を取り込み、すぐに次の試作機を作ってリリースしている。この中国的サイクルが本当に凄いのである。

日本は完全に製品化して、それを何年も売り続ける。こういう機能が欲しいといってもそう簡単には取り入れられない。そうこうしているうちに、中国製のほしい機能を持ったものが出てきてしまう。

EVの世界も今、中国のこのスピード製品化が凄いらしい。ここれへんのEVが安く出てきてしまうと、消費者はそちらへシフトしていってしまう。国産品を守ろうという精神的なものでは太刀打ちができない。

そして自動車産業が衰退するとかなりヤバイことに…。なんて、話ばかり聞いている。自分の実体験からみても、人って得なものに飛びつく。そして一度体験したら、なかなか離れられない。

一時期、日本の本屋を守ろうという動きが(自分の中で)あった。けど、結局amazonの便利さにはかなわなかった。

それだけに、自動車分野が心配である。もっとEV頑張ってほしいな。中国だけでなく、テスラとかもすごいけどね。

平和島のアスレチック施設トンデミに行ってきた

運動がしたいというので、アスレチック施設を探して行ってきた。平和島にあるトンデミというところ。平和島といえば有名なのがボートレース場。その隣にたたずむ建物だった。外からはボルダリング的なものが見える。よじ登ったり、跳ねたりして遊ぶ模様。

今回は、子どものみの参加。一人3000円で、見学の大人は一人600円。まずまず、とるなという印象。しかも、時間制限があり2時間きっかりである。コロナだからとかではなく、元来そういうシステムっぽい。中に入ると、やはりボルダリングがメインかな。
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安全ベルトをつけて、いざ登るぞ、と。
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娘は鉄棒でも空中逆上がりをなんなくこなすので、ここでもガンガン登る。

反対に、もっぱらフォートナイトが得意かつ最近ぽっちゃりしてきた息子は、ボルダリングは途中でリタイア。まぁ、体重があるとキツイわな。
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ロープを渡って、空中散歩するのもあった。
高所恐怖症の俺には、恐ろしいだけ。見学でよかったわ。
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ターザンみいに空中を滑走するのもあった。

ボルダリングと並んでメインなのが、トランポリン。
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たくさんの種類があってここも楽しんだ模様。あとは、障害物をよけながら走ってタイムを競う、エアーランみたいのも楽しかったみたい。
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あっという間に時間は過ぎて終了の合図。
もう少し遊びたそうだった。

ちょっと気になったのはスタッフの少なさ。ボルダリングの安全ベルトをつけるだけで15分ほどかかった。もっと、人がいれば早く終わるのに…と思ったなぁ。まぁ、どこも人件費が大変だからね~。

つなぎの無料ゲームや人力ゴーカート、小さいキッズ向けの遊び場などもあり、まずまずの充実ぶり。

かつての子供は、アスレチックというと木に登ったり川を渡ったりして楽しんでいたんだろう。しかし、親としては水難事故やその他事故が恐ろしい。ひ弱になったなどと非難されようが、こういうアスレチックは安全があってこそ、初めて楽しめるのである。

最近こういった施設で子どもが転落して、大事故が起きたというニュースもあったから不安だったけど、安全性は問題なかったね。子供たちはフィッシャーズとかの動画で知っていたみたいで、フルに楽しんでいた。いってよかったと思う。

耳に毛が生えると年寄り

いつ頃そう感じたか覚えていないが、会社の上司だったか部長だったかの耳に生える長めの毛を見たときに嫌悪感を覚えた。それを見た後、いそいで自分の耳を鏡で確認した。俺の耳にもあるのではないか…と思ったからだ。しかし、なかった。一安心した。

ではあれは?と考えたときに共通点がみえた。そう、おっさんまたはジジイにのみ生えているということである。年取るって嫌だなぁと、若かった俺は思ったものだ。

そこから月日が流れたが、耳毛のことはとんと忘れていた。先日、何気なく触った耳の突起部分、そこに大分育った毛を発見した。一瞬、キモイなと思って思い切り抜いてやった。無茶苦茶、痛かった。

収穫した耳毛が掌で揺れていた。昔嫌悪したそのフォルムである。

それをみて、あぁ掛け値なしにジジイになったんだなぁ、と認めた。人は生涯自分というものから出ることができない。客観的に自分を見れないということである。だからこそ、若い時からなにも変わっていない気がしてしまう。

しかし、老いとは残酷である。耳毛あたりから、老いを突きつけてくる。
お前が嫌悪していたじじいに今まさになっているんだよ、と。
このくらいの年齢になると、アンチエイジングなどといっても、できることは少ない。
せめて、人を不快にさせないためにも、耳毛の乱立にはせめて気をつけよう、処理しようと思う次第。
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