自分の若いころは、セクシャリティなんて意識は皆無であった。もちろん、男性を好きであるというセクシャリティを持った人の存在は知っていた。
とはいえ、そのソースは「おすぎとピーコ」だった。
おかまやホモなどの存在は、笑いを彩るネタでとしか感じていなかった。
とはいえ、そのソースは「おすぎとピーコ」だった。
おかまやホモなどの存在は、笑いを彩るネタでとしか感じていなかった。
20歳くらいの頃、新宿で終電を逃しブラブラしていたら中年のおっさんに、マンションに来ないかと誘われたことがある。こちらも暇なので、路上で話の相手をした。
どうやら、若い子にお金をあげてマンションで軽い性行為をしているらしい。見た目は普通で、どちらかといえば紳士のようなふるまいのオッサンであった。
いまでいう、ジャニーさんのような性癖をもち、それ用のマンションがあったのでそこそこの高所得者であったのだろう。
自分はその気がないことを告げ、ジュースを奢ってもらい(?)別れた記憶がある。
どうやら、若い子にお金をあげてマンションで軽い性行為をしているらしい。見た目は普通で、どちらかといえば紳士のようなふるまいのオッサンであった。
いまでいう、ジャニーさんのような性癖をもち、それ用のマンションがあったのでそこそこの高所得者であったのだろう。
自分はその気がないことを告げ、ジュースを奢ってもらい(?)別れた記憶がある。
LGBTやそれに付随するセクシャリティは、昨今だいぶ浸透してきている。かつてのようにそれを笑う風潮もなくなってきている。
そんなときに、フィクトセクシュアルという性癖を特集したテレビを見た。
フィクションの世界の人を愛する性癖らしい。
フィクションの世界の人を愛する性癖らしい。
ほほぉ、THE多様性。いいじゃない、と思っていた。
しかし、キャラクターとの結婚式に式場を借りて友人たちをしっかり呼び、親も招待したかったが断られたという話をきくと、これはちょっと理解できないなと思ってしまった。
しかし、キャラクターとの結婚式に式場を借りて友人たちをしっかり呼び、親も招待したかったが断られたという話をきくと、これはちょっと理解できないなと思ってしまった。
理解したふりを最初はしていたが、なにかがしっくりこないのである。
以前ペットと結婚して、性行為をするズーフィリアという人たちの本を読んだ。
こちらは、理解できる。
こちらは、理解できる。
しかし、人形はなんというか、わからない。
セクシャルというからには、性行為をするのだろう。
セクシャルというからには、性行為をするのだろう。
これは、ダッチワイフではないだろうか。
おそらく、フィクトセクシュアルの人と会話すると、俺は怒らせてしまうかもしれない。
興味はあるのだが、絶対理解できないためいろいろと地雷を踏んでしまいそうだからである。
おそらく、フィクトセクシュアルの人と会話すると、俺は怒らせてしまうかもしれない。
興味はあるのだが、絶対理解できないためいろいろと地雷を踏んでしまいそうだからである。
なかなか世の中は広い、という漠然とした考えでそのテレビを見終えた。