R太のざっくり雑記

40代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2024年06月

ディズニーシーへ行ってきた2024

久しぶりにディズニーシーへ行ってきた。子供らは不登校なので平日に行った。
昨年のディズニーとは全く違う状況のもと、なんとか楽しんでリフレッシュできればという痛切な思いでね。息子は六年生の大イベント修学旅行も参加しないので、その代わりといってはなんだが、そんな意味合いも含めて。
小学校の欠落した思い出のパーツを少しは家族で行った旅行で埋められばいいなぁ。
本人は全然そんな感傷的な気分もなく、全快で楽しんでいる。
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今回も、泊りがけ。一泊の旅である。
ファンタジースプリングというエリアが新しくできたらしいのだが、こちらその中の乗り物の予約がとれないと中にすら入れないという。
もはやディズニーはアトラクションの奪い合いとなっている。

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運よくアナと雪の女王のアトラクションに当選。(とはいえ、18:00~)なんとかは入れることに相成った。

しかしながら、平日のくせになんて混んでいるんだろう。
なんだか昔に比べて外国人も激増している。円安の影響で観光地に選ばれやすくなっている。
逆に日本人は、外国に旅行に行きづらくなっており微妙な気分である。
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とにもかくにも、朝の7:30~並び夜は20時までディズニーを満喫したのである。何かと鬱屈する家族内であるが、娘も息子もまずまず楽しく過ごせてよかった。その後のホテルも部屋が広く、ゆったりくつろげた。

子供らが不登校になって初めての旅行である。親である自分は常にそのことばかり目がいき、ことあるごとに悩んでしまっていた。
そんななか、ソアリンというアトラクションに乗った。一回乗ったことがあり、感動した記憶があるので、再度である。
こちらのアトラクション、かなり素晴らしいので一度体験あれ。
空を飛ぶ疑似体験を通して、何を日本社会のちまちまとしたことに囚われているんだお前は。世界は広いし、人生は長い。思い煩うな、と言われているようですんごい勇気づけられた。アトラクションに勇気づけられるのは初めてである。

家に帰り、日常に戻ればまた傷つくことも多い。
でも、生きるってそういうことだ。傷つきながらも前に進み、打開していく。昔の人が毒で死にながらも、フグを食ったから、美味しいフグを食べられる(なんのこっちゃ)。腐った豆だって納豆になった。なんだって、今辛いことでも、未来から見ればよくやったと喝さいが送られることだってある。

子供が不登校って、とんでもなく疲弊する。こんなに大変だとは思っていなかったのだが、それでも貴重な経験をしていると思いたい。
生きることをやめなければ人間はすべてが経験である。 
がんばろう。

病院のオペレーションシステムがひどい

いちおう潰瘍性大腸炎患者なので、数か月に一度診察を受けている。
あと一年に一回、大腸の内視鏡も受けるんだけど、昨年はちょっと忙しくパスした。
この病気が発覚したのが、結婚した直後だったのでだいたい15年くらい前かな?
突然、血便が多発して当初は大腸がんに違いないと絶望したものである。
がんなのに結婚しちゃった…こいつはまずいと気に病んだものである。
とはいえ、その後の診察で聞きなれない病名の難病と知らされて、それはそれでショックを受けたのだった。

当初は、症状もまぁまぁひどく、大便のたびに尻からけっこうな血がでる。
おならをすると、血がでて下着を汚す。などが多かった。
処方された薬は飲み薬でこれがまた、体に合わなくて体内がムズムズして寝られなかったこともあったね。
そんなこんなから、下剤が登場しこれで一気に症状が和らぎ、いまではほとんど大腸もきれいなもんである。

となると年一の大腸内視鏡検査もしなくてもいいのでは?1万円とかかかるし…と思っているのだが、
医師が言うには発症から年数が経過するほどに大腸がんリスクが高まるらしいので、検査はしておいたほうがいいとのこと。
いまは炎症がないが、できてしまうと癌化してしまうとのこと。
そんなん言われたら、検査せざるを得ないのでやはり今年やることに。

いつもは直腸のみだけど、5年ぶりに全部の腸をみますか~?みたいな軽いタッチで言われる。
苦笑いながらも圧にあらがえず…。モビプレップを飲み干す苦行に耐えなくてはいけない。今から嫌である。
そんなこんなで、何度も内視鏡をやっているので説明もいらんのだが、なにかわからんけど初めてだと思われたのか内視鏡のDVDは見せられるは、30分以上待たされての看護師の説明があるわで…。

患者の記録って共有されていないのだろうか…。
病院のオペレーションってあまりにも雑というか、とにかく老人仕様なのかむちゃくちゃ遅い。
どれだけ待たせれば気が済むのか…とイライラしてしまった。
毎年やっていた内視鏡の情報くらい見ればすぐわかるのに…DVDなんて見せられちゃって。キツイよ。

墓移転あとの墓参り

父の実家の長野より昨年、墓を埼玉に移転させた。
二代前の祖先からの檀家でありずっとお世話になってきた寺であるが、今後を考えるといろいろと大変なので、明朗会計のメモリアルパークに移した。
これ自体はとってもよい選択だった。たまたまお墓の場所を譲り受けることもできたので、いいタイミングといえた。
このまま父が亡くなってしまったあとになれば、その遠方の寺とずっと付き合っていかなければならない。
戒名がいくら、建て替えがいくら、とよくわからないお金を納めなければならない。
正直、いやである。しかし、恐らく住職よりいろいろと言われれば自分は従わざるを得ないのかもしれなかった。
葬式や何回忌などになっても、その住職を呼ばざるを得なくなり、旅費やら宿泊費、食事代などなども持たなくてはならない。
田舎で寺と密接な付き合いがあれば仕方がないのだが、もはやこちらはほぼ縁がない。
昨年は父が何度も寺を行き来して、なんとか籍を抜いて、移転ができた。助かった…という感じである。

とはいえ、近くにきたのに墓参りに行く機会があまりなかった。
ちょうど娘と実家に寄る機会があったので、両親とともに墓参りをしてきた。
メモリアルパークは本当にいい。一定の料金を払えば、永代そこで先祖を祀っていられる。掃除も行き届いており、四季折々の自然もある。
なににもまして、寺などとの付き合いがいらん!お経を読んでほしければ、住職をパークでレンタル(?)すればいいし、金額も一定。
キリスト教からいろいろな宗教が入り乱れているのも、いい。

晴れた日で、娘が張り切って墓をきれいに掃除してくれた。
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なんだかわからないが、女の子って掃除とかお世話が好き。息子は絶対やらない感じ。
ここで、先祖さまにお祈りをする。
祈る内容は、うちの不登校児2人にいい未来が来ますように、である。いや、祈られたほうも困るよね、この内容。
まぁ、今もっか悩んでいることはそれなので、ついついね。
少し心を洗濯して、墓地をあとにした。ちょこちょこ来られるといいなぁ。

現実逃避したくなるな

たまに現実逃避したくなることがある。
今なら、子供ら二人が不登校になり、妻が情緒不安定になり家庭内がだいぶ、揺れている。
それを受けて俺も、いろいろとやらなければいけないことも多い。
子供らの相手や、妻のケア。
経済的には、家計がひっ迫しだしたので、もう一つバイトを増やすという選択をしている。

メインジョブに早朝バイト、それにくわえ、週2くらいのバイトである。
齢50近くになって、トリプルワークって…。
まぁメインジョブのほうの給与がガーって上がればしなくてもいいのだが、それは難しいからね。

こうやって、余裕がなくなってくるとたまに逃避行したくなる。
どこか外国でも高跳びして、潜伏して暮らす。語学も話せないから非現実的なのだが、とにかく逃げたくなることがある。
しかし、逃げたところで問題は解決しないし、より深刻になるだろう。

思えば人間って自分ってコックピットにひとたび乗り込んだら、一生降りれないんだよね。
常に戦い続けていなくてはいけない。こいつは、きついわぁー
たまに、コックピットを降りて、別の人になったり別の動物に乗りこんだりしないととてもじゃないがやってられない。
そりゃ、乗り込んだのが福山雅治だったらいいよ。
それこそずっと乗ってられるきがする。

でもそうじゃない。何もかもから解放されてコックピットを降りたい!と思うんだけど、それって端的に言えば「死」 なんだよなぁ。
死ぬほどではない、ライトな逃避ってないかなぁ。
旅行行ったって結局、中身は自分だからな。

水風船1000個のおおはしゃぎ とまつりの後の後始末

先に風船がついたプラスチックの棒がいくつもあって、その元に水を入れてくとこの沢山風船が一気に膨れる。
そして、取ると口が結ばれている水風船が出来上がり。
どんどん量産されて最後には千個。とんでもない量の物を買ってしまった。
と後悔するも時すでに遅し。水風船といえば、お風呂の水面にぷかぷか浮いてよくても30個くらいではないだろうか?
それを投げて割って遊んで、まぁ30分もすりゃ片付けて終わり。

ところがこの千個風船。風呂の水面だけでなく内部まで浸透。いや、もう水風船風呂なのである。
浴槽に使っても、もっちりとした風船が体中をタッチするこの感触。これがぜんぜん気持ち良くない!
しかも、これだけあるとゴムくさい。
しばし遊んだ後、ゴムくさくて気持ち悪くなったと風呂場をあとにする子供ら。
いや、これどうすんだと。祭りの後のこの風船は…。
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さすがにその日に掃除するのはやる気がしなかった。
翌日になれば水風船がしおれているのでは?という淡い期待もあり。
しかし、一日くらいで萎れてたまるかよ!とばかりパンパンの空気圧感。
逆に頭にきて、そのパンパンを利用してハサミでツキまくって破壊した。
かれこれ一時間くらいやったかしら。
やっと終わりが見え、萎んだゴムをごみ袋で回収。大変すぎる。二度とこんなもん買うかと心に誓う。

チャリンコで36キロ走った

息子のたっての希望で立川までチャリンコで行ってきた。
なんだかんだ8駅くらいあったのか?もはや、何駅かわからんけどとにかく、15時に出て帰ったの22時半といえば、その過酷さが分かるだろう。
娘は置いていきたかったが、私も行く!という高らかな宣言のあと、俺のママチャリの後ろに乗り込むという暴挙。
電動自転車ではなく人力自転車である。同世代の平均よりは体重が少ないとはいえ、25kgを超える物体である。
いやこれ、いけるかな。キツイなぁ。

もっか不登校の息子、運動不足解消にちょっと出過ぎたことをする。一人で行けと言いたいが、そうもいかず付き合った。
しばらくタイヤの空気やクレ55でのメンテをしていなかったので、息子のチャリをメンテナンス。
驚くほど乗りやすくなったようで、その勢いでサイクリング旅スタート。

とりあえず、線路沿いを行くのがいいということで、チャキチャキと乗りこなす。
運動不足がウソのように早いペダリング!
あっというまに、俺が独り暮らしをしていた思い出の地、国分寺についた。
あぁ、小金井の大勝軒にチャリンコこいで行ったなぁ。かれこれ15年以上前の出来事だ。
あの頃も今も懸命に生きてたなぁ俺。ザ・ノスタルジックである。

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住んでたアパートの前でパチリ。まだまだ健在のボロアパートであった。(失礼)

順調にいったのもここまでか。この後道筋が難解になり、坂道を登ったりと大変だった。
中途にあったスーパーでアイスを買ってしばし休憩。
ここで、休憩の大切さを実感。アイスを食っただけでモリモリと湧いてくる活力。
残りの道をなんとか乗り切って、立川へ。この段階で19時過ぎ。
すぐに帰りたかったが、息子がここで思い出をつくるため、クレーンゲームをやる!(なぜ?)と。
止む無くチャリをとめて、タイトーのゲーセンへ。
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駆け足でクレーンをやり岐路につく。しかしここで、息子の自転車の電灯が壊れてることが発覚。日も暮れてあぶねぇ。
どうしよう。と思ったら、なぜか鞄の中に、本を照らすブックライトがあった。本に挟むクリップをチャリのかごに挟んでなんとか点灯。
備えあれば憂いなし。(だがこのブックライト途中で、外れて大破した)

なんとかかんとか、地元のガストまでたどり着いたのが21:30 夕飯を食べて、家へ到着。
しかしながら驚いたのは息子の体力。引きこもってゲームばかりやっていたとは思えない。
いやぁ、その体力あるんなら学校へ行ってくれという不登校親の定番文句を言いたくなるのをぐっと堪えた。

サイクリングの感想としてはチャリがあればどこへでも行けるなぁと。でも、夜は危ないなぁと。
そして、娘は終始後ろに乗っていたなぁと。それでいて、最後のほう疲れ切って寝たな。
娘曰く、こっちはこっちでケツが痛いんだって。

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