R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2025年03月

春は卒業の季節

いやぁ暖かいうららかな日が続いている。
雪が降ったのこの前じゃなかった!?でもいまは暖か。
そして、卒業の季節の到来である。
小学校…うちもご多分に漏れず。
あの入学式から6年…。

成長した華々しい姿に…と思っていたが小6より不登校になってしまったのだ。
卒業アルバムもいらず(のらず)、式もでないのである。
なかなか腕白な展開であろう。

自分の子どものころはそういう選択肢は皆無であっただけに、困惑する。
そして、卒業式証書を親がとりにいかなければならないという針のむしろっぽい状況。
妻はそれを想像するだけで、心が病むとのことで大黒柱であるおいらが、
仕事を早引きしていってくる!

めちゃめちゃ行きたくないよね。
それもそうだけど、終わりよければすべてよし、という言葉が重くのしかかる。
これでよかったのだろうか…いや、良いのであろう、というか今更だろうね。
今年一年はこれからどうなるだろうか…。
不安もあるが、春の風にふかれながら適当にながそう。
そう、本来自分はてきとうな人間であった。
家庭をもって子育てをするうちに、リスクを考える真面目な人間になったんだよな。
適度に力を抜いて頑張りましょう。

地味に見ていたブログが途絶えると心配

このブログだって、ほとんど誰にも見られていないだろうことは、アクセスカウンターより分かる。
とはいえ、ちょっとだけ見る人もいてる感じもある。
はっきりいって、自分の備忘録だからいいんだが。

自分も、たまに見ている個人ブログがある。
有名人でもなにか役に立つ情報があるわけでもない。
ほんとに個人的なことを記している。
ちょっとした苦しみがあったり喜びがあったり。

そんな癖のようにたまに見ているブログが気づいたら昨秋より更新されていない。
心配してしまう。
十年以上続いているものだったので、なにかあったのか?と
とはいえ、つながりがないため聞くわけにもいかない。
Xと違って気軽にコメントできないのがブログである。

そういう意味では我がブログも十年超える。
地味に更新しているということが、まだ生きているよ…というメッセージになるのかもしれない。(誰に?)

DINKs ってはじめて聞いたわ

いやー知らないことって結構ある。
最近「DINKs」って言葉を初めて知った。
ダブルインカム ノーキッズ の意味らしい。
結婚して共働きで、子どもを持たない夫婦のことらしい。
あえて、このスタイルを選ぶ人たちも増えているとのこと。
仕事のキャリアなどを考えて、いつかは…と考えつつこのスタイルをずっとやっている夫婦もいるとのこと。

だいたい、こういう言葉を知るときはネガティブな記事が多い。
知ったのは、DINKSを選びつつ、あとになって子どもが欲しくなって云々みたいなやつね。
まぁそういうのはいいとして、
ダブルインカムで子なし と聞いたら、シンプルに羨ましい!と思ってしまうなぁ。
だって仕事をして、金を稼いで休みは旅行に出かけたりライブに出かけたり好きな趣味を満喫できる。
楽しいが沢山ある!っていいなぁ。

今や不登校で悩まされている我ら夫婦であるが、第一子が生まれるまで約3年間あった。
ある意味のDINKS。あまり収入は多くなかったけどね(テヘペロ)
この期間は、ご多分に漏れず週末は外食。長期休暇は旅行と夫婦生活を楽しんでいた。
忘れられない旅行が一個ある。
福井県敦賀市で行われるとうろう花火大会を目的地として、石川県の金沢を巡ったりして3泊か4泊の泊りかけでいった旅行。
目的地と一泊目の温泉地は予約していたが、途中は宿をその場で取ったりして。これが、まぁいわゆるラブホテルだったりしてね。
車での長旅。途中でゲリラ豪雨に見舞われたりしてハプニングもいくつかあった旅。
とにかく花火が良くて、感激したなぁ。
海外の新婚旅行もよかったけど、なぜかこの福井旅行が一番思い出に残っている。

子どもが生まれて大変になって、二人で長期旅行なんていけなくなって10年以上。それでも、たまに祖父母に預けて飲みに行ったりできる。
その際に、かつての旅行話をするのも楽しいのだ。
なんど話しても、なぜかスルメのように味がでてくるかつての旅の話。
きっと、何年たってもこの一度きりの福井旅行を思い出して幸せに浸れる。これはどういうわけか分からない。
きっと、人の人生は量より質なのかもしれない。
質の高いっていってもいいもん食ったとかじゃなくて、とにかく妻と楽しく旅をしたという経験はたとえ一度きりであっても生涯記憶の中で楽しめるのかもしれない。
もちろん、また行きたいなあという話になるのだが、まぁなかなか実現しないだろうね。

子を持つという旅は恐ろしい大変さである。旅行のようにナビゲートしてくれるものもない。
ココに行けば、絶対楽しいよ。という指針もあいまいだ。

さらには、いわゆる普通の子がくればいいが、
特性がアツい子が来た日には、いろいろと苦しむだろう。
それでも、この育児という旅は面白いといえるかな…。
だって、喜びも苦しみも未知の世界すぎるから。
少なからず、流産の経験や場面緘黙の娘、不登校の息子などなど
いままでは遠巻きから見ていた世界の中にズブズブと突っ込んでいかざるを得ない。
(ほとんど苦しみやん…。)
それだけ、自分もなんらかの糧を得ているに違いない。と思えるね。

あと大事なことを思い出した。
子が生まれるまでは知らなかった、妻の中の鬼神が見れること。
鬼のような顔や、叫び。これはね、ノーキッズだったらきっと見れんかった。
そして、これだってその人の大事な側面である。
受け入れられるかどうかはギャンブルみたいなとこがあるがね‥
自分もそう。
見られたくない一面が子育てというパンドラの箱を通してお互い出てしまう。
それが育児という魔物である。

今日知ったDINKS にそんな思いを抱いた次第である。

若い女性に恋心をいだくこと

いまや齢50歳。娘もいるからか、若い女性に恋こがれることはない。
もちろん、街を歩いていたりで、おっ可愛いな!と思うことは多々ある。
それは男の性である。いや、むしろそういう性はもういらない…とも思うんだけどね。
いまや害悪でしかない気もするなぁ。
中高年といわれている男性タレントが次々と性的な事象で問題になっている昨今だし。
性欲があるのは、自分でも分かる。男の性欲ってのは本当にしつこい。
なくなったか?と思ったら湧いて来たりして。

そんなこんなであるが、性的な欲求なら風俗でいいであろう。
でも、恋となれば話は別である。
昨今巷を騒がせている、動画配信者の女性の殺人事件。
42歳のおじが借金を重ねて貢いだ結果の悲劇ともいえる。
普通に考えてオッサンと20代のしかもインフルエンス的なことをしているならそこそこルックスもいい女子をどうにかデキルはずもないだろう。
結果的に、ハマってしまい人生を棒に振ったのだ。おっさん側も悲劇なら、命を奪われた側もキツイ。
いろいろ批判されているが、殺されちゃったんだよ!?反省も人生を立て直すこともできない。まだ余白はあったはず。

まだ二十代だったころ。上司に連れられてキャバクラに行った。
性的サービスもないキャバクラなんかに金を払うなんて頭がおかしいのでは!?と若かったので思っていた。
でも、1度ついた女性にすっかり心を奪われてしまったのだ。
英語で身を立てるために、学校に通いながらここで働いている。初めてこういう店で働くのだと。
援助がないから、一人暮らししながら、本当は接客苦手だけど…と恥じらう女性。
電話番号交換もして、なんとその後2時間くらい電話で話したりしたのだ。これは、むこうも惹かれているに違いない…と当時思った。
なんどか通ったが、突然店からいなくなり電話も不通。心に穴が空いたようになってしまった。

あとで発覚したのだが、ベテランのキャバ嬢らしくスカウトでその店に来たらしい。
恐らく苦学生のエピソードも作り。その人に合わせて適度なストーリーを展開して、各男性の心を掴んでいたんだろう。
あれ以来、女は怖い…と心に刻み込まれた。

そして、ハマってしまう男(自分)も怖い…と。
きっとこの事件の男性も、いやいや自分は配信で見るだけで楽しむだけで充分と思っていたんだろう。
そこからの、相手からのアプローチ。そして、ストーリー展開。すっかり、この子のために心を奪われてしまったに違いない。
自分の人生を棒に振るくらいの、狂乱である。
強奪されたのでないのなら、お金をつぎ込むのは、その人の責任である。
そういう意味では浅はかだったということだろう。

しかし下に恐ろしきはこの、恋焦がれるという気持ちである。
暴走もとめられない。
どうやら、この女性もその裏に別の男に搾取されていた図が浮かんでいる。
江戸や室町時代で息づいた短歌や俳句。メインは色恋である。
いつの時代も色恋は怖い。それを捨て去るには、ある意味家族を作ってそこに投資する、しかない。
娘に投資していると、(妻にも…)当たり前だがそんな時間も金の余裕もない。
性的な願望は、妻や彼女にとっては嫌であろうが、ある意味分かりやすいのである。
目的を達したら終わり。でも色恋は終わらない…

ひきにくです!

ひきにくでーす!でブレイクした ちょんまげ小僧たちは今どこへ行ったのだろうか。
中学生ユーチューバーとしてかなり、人気だったな。
迷惑系に凸されたり、収益をめぐって争いが起きていると変な噂を立てられたりしてたね。
有名になると面倒なことも多いもんだ。

なにを隠そう息子もちょんまげ小僧ばりに、中学生になるのである。
とはいえ、六年生まるまる不登校で卒業式にもでないのである。
大分ハードルが高いと思うのだが、ノー勉強にて中学には行くという…。
どうなることやら、心配している。

学校でいい友人ができれば、なんとかなりそうだけど。
ちょんまげ小僧のような、5人組くらいでいい。
上出来である。まぁ、心配してもしょうがないよね。

心を配ると書いて心配である。
英語だとworry や care というのが心配という意味である。
今自分が持っているのはworry かな…。悪いことを考えちゃう心配である。
本来、careでいいのである。
起きたことをcareする。常々そうしていきたいなぁ。

生GLAYを堪能した

いやー、よかったわ。何がってGLAYである。
妻がENHYPENという韓国系のアイドルダンスユニットの大ファンで、
その中の一人とGLAYがコラボしたらしく、それがきっかけで共同ライブを開くとのこと。
もちろん、そんなこと知らんよ。
妻がGLAYも出るらしいけど、行くかっていう。
あ?GLAYか~。大学時代によくカラオケで歌ったなぁ。HOWEVERとか唇ね。
とはいえ、バンド活動に興味を持ってからはもっぱらGLAYなんて…。やっぱミシェルガンエレファントだろうと。
いって、エレカシやなと。そんなこんなで、記憶の片隅で遠ざけられていたGLAYである。
でも、ライブって楽しそうだから ということで、妻に同行。
それが、先日。横浜アリーナである。

一言にいって、最高であった。正直、自分もそうだがテルも顔面はしわくちゃである。アップにするとね。
でも声の変わらなさタルヤ…音圧たるや。30周年だそうである。
対バンの形をとる今回。20代の畑違いのアイドルファンたちに向けて歌った「PURE SOUL」。泣けた。
いやぁ見に行って良かったなぁ。

一時間超でGLAYが終わり、感慨に浸っていたら、右横の若い女性たちが気が狂ったように歓声。
ENHYPENの登場である。
正直、男性アイドルのライブなんて初めてである。とんでもない嬌声がそこら中から。
妻は静かに応援するタイプなので、恐るべき会場にビビった。
ヨコの女の子たちは、ギャーっ、ヤベー、しぬーのリフレイン。
みんな精神異常者の集まりのような(失礼)盛り上がりであった。

GLAYとENHYPEN、最後はコラボして平和な感じで終わった。しかし、いろいろな意味で初めての体験である。
GLAYよく合コンのカラオケで歌ったよあなぁ。
自分も老けたが彼らも老けたのがなんだかうれしい。
でも、スリムでやっぱカッコいいけどね!

PROCO のRATが16万!

まじで捨てなくてよかった!
ギターのエフェクターで有名なPROCO のRAT。
はるか昔に中古で購入したのだが、常々これはRATなのか…。と思っていた。
なにやらボックスがでかいし、エフェクターがONになってるのかOFFになってるのかも
ランプもないからわからないつくり。
あげく、エフェクトしなくなったからどうせ捨てるんなら、中身開いてなおしてやれと
接点復活スプレーを適当なとこに吹きかけた。
いろいろやってたら、どうやら電池部分がよくなくてアダプター接続なら問題なしとわかった。
見事復活したひずみが大変よく、これはいいなぁと思い、捨てるのをやめた。

しばらくたって、最近ハードオフにてこのRATがどうやら限定的に売られていたラージボックスという
ものだと知る。
そして、中古の値段をみておどろいた。16万5000円也…あほか、捨てるとこだったやん
友達に昔貰ったバッカスのフライングブイもまぁまぁ高い値段で取引されているし、
楽器や音楽系は売ったらあかんね!生涯もっておく決意を固めた次第です。

できれば子供らが音楽に目覚めて引き継いでやりたいな。

生存者バイアス

日々影響されていることって、やっぱり巷にある情報。
テレビだったりネットだったり、雑誌とか?
でもそこにある情報は、発信者がいるんだよね。
たいてい発信できる人は元気。だったり、なにかトラウマがあっても乗り越えた人である。
たとえば、不登校のこと。
発達障害のこと。
情報としてだれかが発信しているものは、こういうことがあったけど、今はこんなに元気です。
や成功しています、となる。
でもね、その成功の影にはおびただしい数の脱落者がいるってことを忘れてはいけない。

目に見えるのは生存者たちの声。
災害でも、生存者がこうやって生き残ったってとこにフォーカスするけど、
だからってそれが正しいわけではない。
それをスタンダードにしてはいけないのである。

生存者以外に目を向けるのはしんどい。
でも、ずっと苦しみ続けている人も世の中には多い。
不登校で数十年ひきこもり。高齢になり家族間での負担となる。

そんななかでも、復帰する高齢ひきこもりの方もいる。
でも、それも生存者バイアスである。
希望ではあるが、稀少なのである。
人生いろいろ。みな四苦八苦しながら生きている。それも認める社会や自分でありたい。
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