R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2025年06月

軽度知的障がいとはいうのだが、高齢になるとそれに近いのでは…

息子の学習障害を調べていると、よく行きつくのが「軽度知的障がい」である。
軽度なので、見落としやすく学齢期など育ってくるとわかってきて、学校生活などで苦しむらしい。
とはいえ、ネットなどで調べても軽度とはいったいどのようなものか皆目わからない。

会話や普段の生活は問題ないが、釣銭を数えたりできなかったり、こまかい作業ができなかったり。
物忘れをしてしまったり、でいわゆる労働の場で困ったりするとのこと。

軽度知的障がいというのは子供などを対象としているのだ。
当たり前か…。
ひるがえって自分はどうだ?

昔はできていたことが、かなりできなくなっている。
娘のクイズ選択肢5つあったのだが、3つめねーと言われている途中から最初のなんだっけ?である。
はっきりいって、目も遠くのモノが見えなくなってきている。
しじゅう眠い。
ほとんど、慣れで仕事をしているからなんとかなっているもんだが、これだって立派な軽度知的障がいといえる。

電車や街を見てみて欲しい。
いいおっさんが、些細なことでキレちゃっている。これも前頭葉の衰退であろう。
つまり、加齢で脳が衰えていく人間だって、先天性ではないが同じようなものである。

発達障がいという言葉も、新発見のように言われるが、昔からあっただろう。
障がいという言葉のインパクトが強いから、なんなのだが、加齢だってこれは立派な障がいであろう。
十度になると認知症になるが。
何がいいたいかといえば、発達障がいなどをもたない人だっていつか機能は衰える。でも、生きてきた経験値みたいのでカバーできる。
世の中苦しんでいる障がいを持つ人は多いが、俺もそうだ、と考える人が増えるともっと優しい世の中になるはずだろうけど。
なぜか、いい年になったおっさんは、自分を認識する力が弱いんだよね。

潰瘍性大腸炎と口内炎の関係…

潰瘍性大腸炎を患ってほどなく15周年ほどになる。
ここまで歴が長くなると、病とも友達のようになる!?いやならない。
でも、自分が罹患していることが自然となるのだ。
幸いこの病で直接死ぬことはない。
難病なので、発症から死ぬまでは一応患者ということになる。
一般人からしたら嫌だろうが、結局は慣れなのである。

潰瘍性大腸炎も故・安倍さんでかなり有名になったと感じている。
それが原因か、罹患者が増えに増えて自分レベルでは助成金が出なくなってしまった。
かなり重症度が高いと助成が出るが、自分程度の月4回診察・年一回内視鏡検レベルでは、駄目。
まえは、三か月にいっぺん三万五千円の難病助成金が出ていた。
これを、妻にはお腹のボーナスといってジョークを飛ばし、喜んで受け取っていた。
ただ、それなりにお金がかかるので、助成金が出るのはべつに変なことではない。

ただ、助成金というのは際限があるということ。
つまり、患者が増えたりいろいろな要因で、簡単に受け取れなくなってしまうのだ。
この助成金がなくなり小遣いに困ったので、早朝バイトを始めたのだが、これは結果的に良かった。
普通に5年以上続いていて、まぁ眠いのだが続けていると人が入れ替わり、なんだか知らんが重宝されているのが単純労働のいいところ。

そんなこんなで、直腸型の潰瘍性大腸炎なので薬でほぼなんの影響もない今なのだが、一点。
口内炎が異常にできやすいのである。
これは主治医に言うのだが、そのような明確なエビデンスはないようなので、毎回ケナログ塗り薬を渡されて終わる。
潰瘍性大腸炎で口内炎に苦しんでいる人ってもっと多いと思うがなぁ。
この前も、舌先というレアな部分に1週間居座った口内炎。
はっきりいって、痛い。痛いと不機嫌になる。もはや難病より、口内炎がもっかの悩みの種である。

光陰矢の如しですな 不登校編

気付いたら一か月ブログを書かずにいた。
一か月ってまぁまぁ長い。30日もあるからね。
とはいえ、一か月で何かが劇的に変わるってこともない。
そんな中途半端な時間。

とはいえ、変わることもある、そんな時間…(どっちやねん)。

中学入学以来なんとか通っていた、息子氏がまた再度完全不登校になった…!
一か月前は危ういながらも、なんとか行きつつ、
なんか、中学生活慣れていたわ…とか軽口を叩いていた息子。

ここにきてへばってしまったようである。

とにかく公立だからか、作文なり漢字なり筆記が求められる。この筆記がとりわけ苦手な息子である。
そして、課題も多い。地理なんて、グーグルマップなどがあるのだから、検索して楽しく学べばいいのにダメ。
時代が変わろうが、ネットで何でも瞬時に正解が出てこようが、
小中学生のダイレクトに脳へ行う詰込み教育は変わらない。

ネットがあるし…そんなにやらんでも…。
といえば、
いやだからこそやん!だからこそ、自分で考える能力が大事やん。
ネットですぐ検索しちゃ駄目やん。
ジョブズは子供にデジタルデバイス与えなかったっていうやん。
やっぱ、駄目やん!?と。
ジョブズ~の話。それもネット上でよく転がっている反デジタルデバイス派が喜ぶお話しである。

しかしながら、はたして、今の学校教育が自分で考える能力なんて育てているのだろうか…。
育んでないでしょう。不登校児も増えてんだから。

んが、人の不登校は冷静にみられるが、
自分のとこの不登校は冷静ではいられないのが親である。

あぁ、またか。
給食とかいろんなイベントもなくなる。
中学生だから、恋愛イベントだってあるかもしれない。
個人的に、リア充が一番よい!と考えているが、息子はそうはならないようである。
どうなっていくのだろうか…。

不登校は繰り返す…誰かが言っていたが、うちもまさにそうなってしまった。
悲しいが、嘆いていても仕方がない。次の一歩を探すしかない。

いままで、いろいろな人に不登校になって困っているという話をしてきた。
友人や職場のひと。
誰一人、ガチの不登校の子どもがいた経験がなかった。
そう考えると、貴重な経験である。

ある日誰かが、そっと打ち明ける。子供が不登校だと…。
それは大変だね。
うちも不登校だよ。だったよ、よりもより癒される一文だろう。
なにより、自分が一番求めているのだから。
不登校児への共感なぞいらん。
いま、多いからね、変なことじゃないよ
休ませてあげなよ、自分で歩き出すって…

やんわりとしたことを言う人に限って、己が倅はまっとうに学校行ってたりすんのよ。
まぁそんな僻みはいいとして。

存在そのものが幸福である。
アドラーでお馴染みの岸見さんのブログに気になる記述が。

成功するためには何かを達成する、例えば有名大学に合格するとか、一流企業に就職することが必要です。
他方、幸福は存在であるというのは、幸福であるためには何かを達成する必要はなく、今ここですでに幸福で「ある」ということです。
そのように考えれば、人はどんな時も幸福であることができます。つまり、老いることで何かができなくなったとしても、そのことは幸福であることには何の影響も及ぼさないということです。 岸見一郎 noteより

そう、ここにある。それのみで幸福である。この域にいければ人間はエゴも捨てられらくだろうなぁ。

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