R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2025年07月

高学歴難民  読了

高学歴難民 (講談社現代新書)
阿部恭子
講談社
2023-10-18


いやぁ、高学歴難民。まったく気持ちがわからないではない。
自分も高校受験で意外といい進学校に行けてから、一浪したとはいえ
まずまずの私大へ行き、経済学部というなんだかよくわからない学部を出た。
その段階で、どう思っていたか。俺は意外と頭がいい である。

就職してからも、その変なプライドが抜けず、こんなところに一生いるわけにはいかない…
なんてずっと思ってるもんだから、仕事も身が入らず。
ちょっとしたトラブルで仕事を辞めてから、彷徨い、結局鬱病になって病院に入院という憂き目にあう。
まぁ高学歴というか、プライドがとっても高かったと今なら思うのである。

本書の事例も、身に覚えが多少あるので共感しながら読了した。
法科大学院なんて、まさにダイレクト世代で親がお金を出してくれて、もっと精神的に安定して入れば
踏み込んでしまったかもしれない。断言できるが、確実にお金の無駄になっただろう。

そして、入院した先で出会った東大、京大などの高学歴の人々。
躁鬱や統合失調症で、もはや人生のリスタートができるかどうかの瀬戸際である。
ただその人たちの話は、とても刺激的ではあった。
はたから見ると、白い目で見られる高学歴難民であるが、もがきながら人生を生きようとしている姿は
誰にも馬鹿にされる筋合いはない。

高学歴難民なんてのも、きっと社会が生み出した犠牲である。まぁ、親世代が強要するから仕方ないんだけど。
大変なのは、現代でもほとんど同じような高学歴信仰があるということである。
少子化なんだから、子どもにはもれなくその子たちに合った教育を受けさせればいいじゃないか と思うんだがダメなんか?

50付近まで生きてきても、やっぱり今の自分の立ち位置に劣等感がある。
それを認めつつも、じゃなければ分からなかったことも沢山あるので、
それをかみしめながら、自分を変えつつ生きていきたい次第。

Xのインディーズ系エロ漫画がしつこい

Xに投稿を時折している。
日常を綴って、やや困りごとをすこしのユーモアとかをまじえて。
意外とフォロワーも200人くらいになってきた。
一年続けているとそれなりになるもんだな、と。

それはいいとして、
Xにエロ漫画広告がしつこく付く。
もうなんかこんなにエロ漫画家っているのか?ってくらい色々な作品が五月雨式にくる。
たしかに、一、二度エロ漫画のためし読みをした。
それが悪かったのは分かる。でも、最近は嫌だから頑張ってためし読みをしていない。
何個かこの先は?と気になるものもある。そこは男だからね…。

このアルゴリズム広告、本当にしつこい。いかにエロ漫画がネットに力を入れているのかが分かる。
俺のようにためし読みした先に、気になるからちょっと買って読んでみようか…という層も多いのかもしれない。

なかなかの画力の作家が多いのに、エロ漫画かくかーと思うのだが、それだけ儲かるのだろう。
エロ産業の収益率は恐るべきである。
こんなためし読みしてやつにしつこく付き纏ってくるんだもんなぁ。
普通にX投稿したり、他の人の見たりしているだけなのに、ニ三個のエロ漫画の触りを見なくちゃいけないのが苦痛である。
エロ漫画大好き人間みたいではないか…。

広告というのはこわい。
何度も何度も立ち現れているうちに、たまたま好みのエロ漫画(?)がでてきて
ふと見てしまう。そうなると、またアルゴリズムの思うつぼである。

こういった時代においては、いかに欲望にあらがうかも大変である。

鬼滅の刃 無限城編を観てきた

家族全員が好きである。鬼滅の刃の最終章の1番目の映画が公開された。
さっそく公開日付近に観てきた。
新宿のTOHOシネマはほとんど鬼滅の刃の映画しか上映してない状態。
どんだけ?と思うがそれだけ興行が期待できるし、実際グイグイ観客動員があがっている。

内容は割愛するが、とってもよかった。
だいたいどこの映画が、3時間も飽きさせずに魅せられんのか。
驚いたことに、3時間一度も中ダルみもなく後半のアカザの人生まで突っ走って泣かせに入りやがった。
恐るべき映画である。

ご存じの通り、鬼滅の刃はもうすでに連載もはるかかなたに終わっている。
終わり方も潔く、まったく長引かせることなく終わった。

思えば、漫画の最後は悲惨なものが多い。
ドラゴンボールしかり北斗の拳しかり。
もっと、いいところで終われたものを、人気コンテンツだけに出版社はそうそう終わらせられたら困るので、
粘る。結果的に、締め時を失敗するパターンばかり。
それに比べて鬼滅の刃のいさぎよさ。

それでいて、まだまだ映画やアニメで人気を継続させるとは。
こんな作品はいままでなかったよね。

そんなこんなで、あと2作も残っている。
これは今から期待大である。

どれだけ大事に生きても奪われる 人生の不条理

人生とは不条理である。
どれだけ大事にされても、自分で自分を大事にして大切に生きていっても
突然奪われるということがある。

京都アニメーションの事件なんてそう。
36人もの夢をもって自分を大事にしてきた人たちがたどり着けいた場所で、
突然命を奪われる。これを不条理と言わずなんというのだろう。

加害者に同情してはいけない。でも、加害者のたどってきた人生も、命ではないが不条理に奪われたものであることもある。

関係ないが鬼滅の刃では、鬼の鬼になる前の人としての人生にスポットがあたる。
そこが画期的であった。鬼にも鬼になるべくした、悲劇があったのだと。

死ぬ瞬間という本がある。
キューブラーロスの著名な本だ。
そこに人間の無敵性(不滅性?)というような項目があった。

ニュースで事故で何人死にました のようなものが報道される。
この時、人は怖いなぁと思うと同時に、自分の無敵性を再確認するという。

つまり、これだけ死亡事故のニュースが流れていても、やっぱり自分は生きている、と。
時分は死なないんだと。
ニュースを見れば見るほど、自分は死なない 周りも死なない と思う。
だから、死ぬことが目の前に訪れるまで、人間は自分が不滅であり無敵であると思い込む。

唯一、病気で徐々に弱っていくことは例外かもしれない。
でも、病気が発覚するまではやっぱり無敵なのである。
生きているということは、おそろしいことである。
この、理不尽なものと向き合わなくてはならないからである。

常に奪われる怖さを考えていたら、狂ってしまう。
だから人は、忘れるという能力があるのだろうね。

水難事故のニュースは嫌だね

夏になると増える水難事故。
恐ろしい。
とりわけ、親子が事故に遭うのが辛い。
子どもがなくなるケースもあれば、追いかけた親が亡くなるものもある。

なんだか、親子で親が亡くなり、子どもが助かるというのが多い。気のせいかなと思っていた。
しかし、そうでもないらしい。
子どもが助かるケースは、かつてに比べて80%とかなり増えているって。
水難学会の人が言っていたが、浮いて待てという教育の普及のおかげとのこと。

浮いて待て、というのは溺れたらとにかく背中を向けて体を伸ばして浮く。
これをしていれば、体力もキープしつつ誰かが助けてくれる間の時間を稼げる。

それに比べて親である大人はどうだ。
浮いて待っている子供を、傍観などできない。すぐにその場にいかなきゃ!と慌てる。
とちゃくそな泳ぎで、子どものところへ向かっているが、川や海の流れはプールとは違う。
凄まじい負荷によって子供のところにたどり着くころには、力尽きて水の中へ落ちていく。
めちゃ怖い。

最近プールに行っているから分かるのだが、
自分の体を水上で浮かせているだけでもけっこうな体力がいる。
これが、海や川なら… もう25mも持たないよ。
うちは海にも川にも行かない。怖いから。
これがいいことかは分からないのだが、子どものころに溺れて死ぬということは避けられる。
少なくとも。

水難事故といえば、印象に残るものがある。
静岡大学生3人が海の波にさらわれて亡くなったものだ。
なぜこの事故にそんなに惹きつけられたのかはわからん。
でも、夜に海辺で男女でテンション高く遊んでいたのは想像できる。

その波がくるまでは、爆笑していたのだろう。
その波がきて、波にのまれたときも、苦笑程度の笑いの余裕はあっただろう。
沖に流されていく体。もしかしたら、波間に飲まれながらも3人で言葉を交わしてたかもしれない。
ヤバイヤバイ。くらいは言ってたかもしれない。

そこから、一分もしないうちに非現実が現実になる。
自分も海で溺れた経験がある。運よくレスキューの人に助けられたのだが、何度も波の中をもみくちゃにされた。
徐々に体力が奪われていくあの感じ。
この事故に惹きつけられたのも、あの怖さが蘇ってしまったからかもしれない。

とにかく、自然はこわい。慣れていても、慣れていなくても怖いと思って接したほうがよいだろうな。
息子が逗子海岸に行こうといったが、即断った。かわいそうだけど。

参院選には珍しく投票したい政党があった+最近読んでる本「近親性交」

今回の参院選は、個人ではなく政党というか弱小だが応援したい団体があったから、
積極的に行ってきた。
その党首が一人当選したから、よかったのだが、一人くらいじゃあな…という感想である。
まともな人は、過剰なことを言わないのであまり目立たない。
でも選挙というのは、限られた時間内でのアピール合戦なので、なかなか難しいなぁと感じる。
とはいえ、政治家のなかにまともで若い人が増えれば少し変わってくるのでは?とも思う。

ところで、今絶賛読書中の本「近親性交」があまりにもキツイ。


著者は阿部恭子さんという、日本では珍しく犯罪の加害者家族の支援を長く行っている女性。
それだけに、間違いなく真実の内容で有ろう。
だがしかし、あまりにもタブーに触れる内容ではある。

近親性交とりわけ、父親と娘、母親と息子の性行為に触れている。
内容はあまりにもダークである。
異常なのはどっちかといえば、やはり親であろう。
子どもは、親という絶対的な存在に絡めとられていくだけの存在である。
そして、将来のすべてを破壊される…。
事例のすべてが衝撃的であり、救いがない。

娘に性的な関心はもちろんないのだが、
自分がこの立場だったら…と考えるとそうなってしまうかもしれない
と思う部分もあった。
父親ならこうあるべきという、家族の不文律を破壊されたら…。

まったく父親として顧みられず、妻にも子供にも罵声を浴びされ続けたら、
それでいて、社会的地位も低かったら。
家庭内で誇示する暴力しか、屈服する手段をもたなくなる恐怖がある。

いまのところ、妻が自分を尊重してくれているから、少々威厳がなくても
子供らは父親を好きでいてくれる気がする。
しかし、このバランスもなにがきっかけで崩れるか分からんもんなあ。ああ怖い。

中で虐待死した千葉県野田市の事件。栗原心愛ちゃんの件が出てくる。
性交事案ではないのだが、
強権的な父親が、娘を虐待死させた事件である。
しかし、父親がたどった事件へ至る道を見てみると、一概には悪人とは言えなくなってしまう。
母親の双極性障害と、その母親に洗脳された娘が起す父親への度重なる暴言。
自分が育ってきた父親像と、著しく乖離していく中で、
むりに戻そうとしたのが、この暴力であったのでは。と考える。

人間の闇は怖い。
とりわけ劣等感の闇。
こんなはずじゃなかったという理想との乖離。

馬鹿になれ というアントニオ猪木の言葉を胸に、生きるしかないなと思う。
馬鹿だもんね と笑っているその心に闇が巣食う… こわ

人生とは本来、こんなはずじゃなかった の連続である。
そこを楽しめればいいんだけど、なかなか人間の精神はそんな強靭にできてないんだよね。

愛されなくても別に 映画 を見た

かつてのCDにおける、ジャケ買い(内容知らずに、ジャケットだけ見て買うこと)のようなことを
映画でたまにする。
仕事が終わるタイミングで、新宿のこの映画館でやっている映画。という感じで、チケットをとって見に行く。
だいたいは、まるで上映していたことを知らなかった映画である。

今回は、「愛されなくても別に」という映画を見に行った。
原作は、響けユーフォニアム で有名な作家さん。これ自体、音楽のアニメ?くらいにしか知らんが…。
とにかく、2人の若い女性の物語っぽい。
報われない家庭環境と未来。鬱屈しながらも、友情をはぐくむ。そんな感じである。

二時間弱の映画。早朝バイトで早起きしたというのもある。
しかし、それを除いても、とても眠い映画であった。
内容的には、過激なものを予想していたのでまぁ、寝ないだろう と思っていたが、
終始、眠かった。
正直にいおう。つまらなかった…と。

ただ、主演の二人の女性はよかった。
その輝きのみで押した感じがあった。
本田望結も入れたら、本来三人かもしれなかったけど、
彼女の役どころがかなりやすっぽい。

新興宗教の教祖みたいのを、安易に使う映画は多いが、やめたほうがいい。
というか原作がそうだからか。
その存在感が、あまりにもチープすぎる。こういうところに、日本の宗教に関しての浅さがでてしまう。
とりあえず、教祖だしておけばいいだろ 的な。

まぁそれはいいとして、それぞれ重いものを抱えているのだが、なにか浅い。
地方のコンビニが登場するのだが、あれはなんかホッコリシテよかったな。
ただそれだけである。
映画は定価で2000円。同じスクリーンに何を写すかで感情の揺さぶられ具合が違う。
来週は、きっと鬼滅の刃を見るだろう。
まちがいなく凄い映画であろう。

ただの個人の感想である。
でも、こういった知らずに終わっていた映画に触れるのはとても刺激的なこと。
今後も続けていきたい。

ドラゴンボートの男たちに思う…

早朝バイトに行く前の午前4時半くらいにやっているテレビが意外と好き。
NHKでは国際情勢を専門家が語っていたり、ほかでは昼や夕方にやってたワイドショーの再放送かな?
いずれにしても、普段あまり触れないティービーショーがやっている。

先日見たのは、沖縄か何かでドラゴンボートという競技をやっている男たち。
太鼓のリズムに合わせて、10人くらいの男たちがボートをこぐ。
シニア部門なので、40,50台が多い感じ。

男たちは、日ごろから体を鍛えてムキムキ。
ボートを漕いで練習を重ね、次の大会はドイツらしい。
強いのだろう。

こういうのを見てあこがれる…かといえば、
ひとまず去来するのは、嫁さんと子どもどうした…だ。
いや、結婚してないかもしれないんだけど、こどもいないのか知れないけど。

ドラゴンボートで本業稼いでないだろうから、仕事あとだろう。
週に何度も外出して、おまけにドイツである。
ドラゴンボート代表という伝家の宝刀を切られたら、そりゃにこやかに送り出すしかない。

男たちにはこれが許される。
しかし、女たちがたとえば社交ダンス選手権でイタリアに行ったらどうだろう?
それを許す男たちがどれだけいるだろうか?(いや、いない)

このドラゴンボートのニュースから、そんなことをツラツラと思う俺は、
もはや戻ることのできない境地へと来てしまったんだろう。
不登校の子をしり目に、ムキムキになってドラゴンボートに夢をかけるオッサンども。

いや、妄想だけどね。
たいていの家族は応援してんだとおもうけどね…。
でも、男女の格差が大きい日本。応援するというのも、洗脳に近いのだろう。
だって、どう考えても家事やいろんな負担あるから
おれなら、竜の頭のついたボート漕いでる暇あったら、家の片付けしろや と思っちゃうのだ。

沖縄は子供の貧困率が日本一だという。不名誉である。
そういったところを改善しなきゃいけない、シニアのおじさんたち
ドラゴンボートかよ…ともはやドラゴンボートをなぜか憎んでいる俺がいる。わけわからん。自分でも

フェルナンデスのギターをもらってギターを始めたのだ

楽器メーカー フェルナンデス破産したという。
寂しいなぁ。
今ギターを弾くことができているのも、フェルナンデスのおかげといっても過言ではない。

大学3年くらいまで、まるでギターや楽器に触れてこなかった。
やろうとすら思ってなかったのではないか…。
しかし、当時着ぐるみのバイトをしていてそこの破天荒な先輩が、
ギターをやる と言ってくれたのがブラックのエレキギター フェルナンデス製である。

フェンダーでもなく、ギブソンでもない。
人にあげるなら、やはりフェルナンデスなのである。
絶妙に人にあげてもいい価格帯とブランド感。
そして、そのギターを得たことで、練習を始めた。

四季の歌から練習して、最終的にはスピッツのチェリー(結構簡単なコード)まで弾けたときは感動したものだ。
遅咲きのデビューといえばデビューである。
そこから、社会人になってバンド組んで、ライブにまで出てしまうのだから勢いって恐ろしい。
この先輩からの譲渡というイベントがなければ、間違いなくギターを弾いてはないだろう。
そして、そこで活躍したのが、お手頃だけどダサすぎないフェルナンデスのエレキなのだ。

今は壊れて廃棄してしまったがあのフォルムは忘れない。
その思い出とともに、ひさびさに 見たフェルナンデスのニュースが破産なのだ。
寂しいなぁ。
とはいえ、かくいう自分もフェルナンデスのギターからフェンダーにステップアップしてから、
つぎはグレッチかなぁ リッケンバッカーか と上位を狙いフェルナンデスには目もくれなかったのだ…。
でも、名機も多いし、なんといってもギター人口を増やすことに大きく加担していた気がする。
ありがとうフェルナンデス。

50代のヤリガイを考えたいが、はとても眠い…

いやー更年期かな。とにかく、疲れやすく、眠い。
そして、やる気がイマイチでない。
少し前は、ビジネス本や自己啓発本を読んで、知識を増やしたり、
Pythonを学んだりしていたが、まるで今はなし。

40代と50代は世界線が違うのかもしれない。

しかしダルイカラと言って、休日はずっと寝たり、映画をみたり、ゲームをやったりなどできない。
ひたすら娘や息子の相手、また、家事をして妻をサポートしなくてはならない。
疲れたが、口癖になっているのだが、つかれた というと煙たがれるという始末。
いや疲れてんだって。

ふと、自分が独身貴族だったらどうだろう…と考える。
離婚してシングルとかではなく、まんま生粋の独身だとして。

もしかしたら、30代に住んでいたアパートにまだ住んでいたかもしれない。
立地がいいから、なかなか引っ越してたかなぁと考える。
それでいて、給料が今の感じだったとしたらまずまず余裕のある暮らしではないか?と。
アフターファイブは映画みたり、サウナ行ったり、はたまた性欲もまだ少しあるからAV動画を見たり…。
風俗なんていってしまっているかもしらん。
そうそう、ギターの練習だって英語の勉強だってやっているかもしらん。

と考えるが、なんかしっくりこない。
それは、ストレスフリーで自分のことだけを考えて生きていける世界線。
その世界線が、あまり楽しいと思えないんだよね。

今はどうだ。
決して順風満帆じゃない子供らと、メンタルの上下もある妻と過ごしている。
そして、家計は厳しく、朝から晩まで働く曜日もある。
更年期もあいまって、なんだかつらいなぁと思う日々。

でもね、この想定外のことが起こり続けるのが人生なんだろうな。
家族がいるって、想定外の連続である。
好きな人と結婚して、子どもが生まれて、息子は中学生、娘は小学生。
この一文に書かれた、幸せから読み取れることは少ない。
あぁ、いいなぁと思われるかもしれない。
そんなことはなく、子どもの不登校に悩み、ジャブジャブ出ていく金に将来を不安視したり、
妻が鬱になれば深刻化しないように気を揉む。

これのどこが幸せか…と思うのだが、独身がよかったなぁとは思わない。
子供らと会えない人生なんて嫌だし、妻がいないのもありえない。
結局のところ、今の自分は大変だけど孤独ではないんだよな。
孤独にさせてくれない…というか。

人間を一番やませるのは孤独である。
とりわけ、高齢になるほどに怖いのが孤独である。

若いころの孤独はいい。
なにか孤高の雰囲気があり、エネルギーもある。
でも、孤独で老いていくのは本当に怖い気がする。
逆に言えば、孤独でさえなきゃ、人生は幸せにすごせると思う。独身でも。

でも独身だと、老いれば老いるほどに孤独になる可能性は高いから、怖い。

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