もちろん、プライベートサウナなどに行けるような経済的余裕は皆無である。
とはいえ、一か月に1、2回度程度スーパー銭湯的なところでサウナを楽しんでいる。
いわゆるエセサウナ―である。
きっかけは、高学歴ニートで有名なphaさんの著書を読んだことである。
あのphaさんがサウナに目覚める瞬間のみずみずしいエッセイがとても良かった。
そしてサウナのメカニズムは理解したのもよかった。
曰く、サウナで血行が活発になる→水風呂に入り血管が収縮する→水から出て椅子に座る。
この椅子に座ってゆっくり目をつぶるという行為が重要であったのだ。
収縮した血管が、すこしずつ元にもどってくる。
その際に、なにか得も言われぬ快感があるという。
たしかに、この椅子に座って目をつぶっているとき、
やたら聴覚が敏感になる。
心を無にすると、もはやメディテーションなのである。
普段の床に座っての瞑想はなんどか試したがピンとこなかった。
しかし、サウナ後が瞑想に近く、きもちいいーとなっていたのだ。
1度で終わらず、2回くらいローテで繰り返すのもエセサウナーっぽいでしょう。
その効能を完全に理解してたとはいいがたいが、趣味も少ないし
とりあえずサウナやってけというわけで、サウナが自分のリラックスの手段として定着していった。
その効能を完全に理解してたとはいいがたいが、趣味も少ないし
とりあえずサウナやってけというわけで、サウナが自分のリラックスの手段として定着していった。
そして今回の事件である。もはや、殺人事件に近いくらいの恐ろしさだ。
サウナからさぁ出ようと思って立ち上がったとき、のライフは経験がある人ならわかるが
もはや1くらいである。
ややフラフラなのだ。ギリギリまで我慢することで、次の水風呂が生きてくる(と教わっている)
なので、ギリギリまで耐えるのだ。
そう、ここでサウナから出られないなんてあり得ないのである。
あと一分も耐えられないから出るのである。
仮にもう少し耐えられるのなら、もう少し耐えてから出ているのである。
仮にもう少し耐えられるのなら、もう少し耐えてから出ているのである。
そこでドアが開かないなんてありえないのだ。
夫婦でプライベートを楽しんでいたらしい。
きっと席をたったところまでは、リラックスしていたのだろう。
そこから、出られないとなって絶望するまで
男性がどれだけ奮闘したかは続報で詳細に分かった。
その状況を脳内でシミュレーションするにつれ、こわくて震え上がる。
しかも最愛の妻も一緒など…。
最悪、一人だったらいい。まだ妻が生きていて、
幼い子供を託せるんだから。
とりあえず、木の柱に遺書でも書くかもしれない。
それができなかったのは、やはり夫婦一緒だったから
なにがなんでも生きて出なくてはいけなかったのだ。
しかも最愛の妻も一緒など…。
最悪、一人だったらいい。まだ妻が生きていて、
幼い子供を託せるんだから。
とりあえず、木の柱に遺書でも書くかもしれない。
それができなかったのは、やはり夫婦一緒だったから
なにがなんでも生きて出なくてはいけなかったのだ。
ニュースなどでは、ドアノブ型はサウナでは非常識だ、などと語る専門家や玄人サウナ―が多い。
いやいや、だとしたら。
じゃあもっと先に誰かが批判しろよ。
じゃあもっと先に誰かが批判しろよ。
きっと、ジローラモ以外にだって詳しい人が体験したり、見たりしていただろう。
その時点で、いやこれは危ないからやめなよ と言ってくれればよかったやん。
こういう高級店なんだから使うユーザーたちだってサウナの達人たちだろう。
ちょっとSNSに載せて、これは少し怖くないか…とでも呟けばよかったではないか。
ちょっとSNSに載せて、これは少し怖くないか…とでも呟けばよかったではないか。
結局は、その誰もが違和感なく楽しんでたんだろう。
あり得ないつくりではなかったということじゃないか。
非常ボタンが入っていないのは、たしかにわからないがあり得ないだろうけど…。
結局は、こういった事件が起きて、批判され再発防止などが叫ばれるのだ。
予防できる人は山のようにいたのだろう。
それは経営者が一番わるいのはたしかだが…
それは経営者が一番わるいのはたしかだが…
この夫婦は、プライベートサウナに警鐘を鳴らすために命を落としたのか…。
あまりにも可哀そうだ。
あまりにも可哀そうだ。
そんな命の使いたかってない。気の毒を通り越している。
エセサウナ―である自分自身も、サウナがもはやいいものかも不審に思いはじめている。
そういえば、サウナいったあとってやけに疲れているなとかいっちゃって。
しかし年の瀬に衝撃的なきつい事件である。