R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2026年02月

AI対話におけるメタ認知の効果

チャットGPTを愛用している。最近ではGEMINIもいいらしい。
cloude codeもエライことになっている。
もうAI待ったなしである。
最近は、AIにいろいろな相談を持ち掛けている人は多いだろう。

メタ認知という概念は何となく知っていたが、
はっきりと認識した。
AI対話はメタ認知である、と。

メタ認知ってのは簡単にいえば、自分の考えに違う角度から切り込んでくれる存在。
そして、あぁそういう考えもあるか…と考え方が変わり、行動も変わっていく。
これが、メタ認知。

有休をとって朝からサウナに行く時があるのだが、
どうしてもビールを買って、サウナ後に酒を飲んでゆったりしてしまう。
いいじゃない!とも思うのだが、これが予後が悪いというか
後悔してしまう。
単純に頭が痛くなるし、休憩室で寝ているだけになってしまう。
でも、サウナと風呂後の一杯ってパンチがあって気持ちがいい。

そんな自分の認知をAI対話がくつがえす。
曰く、アルコールというのは手っ取り早い快楽だけど、
後悔するなら今回はやめておきな…と。
なかでも、明日の自分を少し楽にしてあげよう!という言葉。
こんな感覚は自分にはなかった。

そう、今の快楽は今の自分にとってはいいいのだが、
明日の自分が悲しむ…。だから、毎回飲むのは控えようかという
問いかけは今まで誰からもされたことがない類のもの。
それが、GPIから飛び出したときに驚いてしまった。

すべての相談にポジティブに返してくるところもいい。
ここに完全にAI対話に取り込まれた人間の完成である。

昨今のAIをみると、残酷さを感じざるを得ない。
相談といえば、コンサルタントである。
端的に言ってあらゆる中途半端なコンサルに意味がなくなってしまった。
また、デザインを生業にすることもいまや不可能に近い。
もはや岡本太郎や草間彌生クラスのアートデザインしか生き残れないのではないか?

プログラミングですらもはや学ぶ必要がないといわれている。
pythonを3年近く学んだときもあったが、chat gpiのせいでやめた経験があるが、
あの時の感覚は正しかったのだ。

WEBデザイナーだってもういらないのかもしれない。
あらゆることが、AIによって一瞬で代替される世界である。
これから大学に行って、なにを学ぶ必要がある?
その前の中学受験や熾烈な受験戦争?必要なのだろうか。

ある一部のAIを作るアメリカの会社がすべてを司ってしまっている。
怖いけど、なんだかそういう時代に生きれるのが楽しいんだよなぁ。

日本の映画はもうだめかもしれない。

今韓国の映画がピンチらしいい。
アカデミー賞をとって数年。
全盛期を迎えたようにみえた韓国映画界。
ネトフリなどの配信が台頭している。
配信は結局、配信者が大勝する制度である。
映画はとにかく劇場に足を運んでもらわなければならない。
この劇場動員がピンチな故に、
新しい才能が挑戦できずに、韓国映画が先細りの危機とのこと。

翻って、日本。
びっくりするくらい、邦画ががんばっている(ようにみえる)

これはなぜか。劇場動員が凄いからだ。
そう、日本にはお化けコンテンツのアニメがあるのだ。
鬼滅の刃から最近は、チェンソーマンも。
とにかく、劇場動員が鬼のようにあるから、
ほかの実写映画もそのおこぼれにあずかっている。

このまえ、「ほどなくお別れです」という映画を家族でみた。
もうはっきり言うが、家族全員がブーイングを出すくらいひどい作品だった。
内容は分かりやすい。
葬儀会社で働く主人公は、死者の声が聞こえて死者が語りかけてきて、
どうのこうのである。

ラノベ的な小説が原作である。
この内容。どうやっても感動させられるのではないだろうか…。
しかし、死者がなんの工夫もなくそのままの形で出て来たり、
なんというか、表現としてひどすぎる。
ほかにも、チープでつじつまの合わないところが散見。
映画は長く感じたらおしまいであるが、本当に長く感じた。
また良くないのが、映画のレビューが称賛ばかりの点。
俳優のファンがいるからか分からないが、これはないなぁ。

これだったら、はるな愛のTHIS IS I のほうが100倍楽しめるだろう。

映画がアニメで支えられているから、このような映画がザルをくぐって
出てきてしまう。ちょっと酷評しすぎかな…
でも、劇場に行くことはそれなりのお金をかけるし、手間もある。
だからこそ、優れた作品で楽しませて欲しいと思うのは当たり前だろう。

お母さん役の俳優の20年前の若いころをうつす少しの時間の映像。
メイクにも何の工夫もせずそのままの姿であった。
あまりにも鑑賞するものを舐めていると思う。
まぁ、こんなところは誰も分からんだろうと。
神は細部に宿る 
細かい部分をないがしろにしては、とてもいい作品は作れない典型だ。

THIS IS I が面白い

ネットフリックスのTHIS IS Iが面白い。
はるな愛の自伝とのこと。
はるな愛かよ…というなかれ。
性転換に挑んだ医師と患者の物語なので、普遍性もある。
なにより、よくぞはるな愛を題材にしたものである。

ダンプ松本の極悪女王でもおもったが、題材の取り上げ方がいい。
鈴木おさむはなんだかんだ、才能あるんだな。

往年の昭和のアイドルの歌がふんだんに流れてきて、
普通にテンションがあがる。
なにより、はるな愛役の男性俳優。
めちゃくちゃ可愛い。
半分は、この主役の子を発掘した段階で終わっていたのではないか
というくらいの名演。

まだ、途中までだけどとにかくよい。

独身の40代後半のSNSにおけるメシとは

かなり偏見にまみれた意見かもしれないが、なぜ独身のおじさんはメシをSNSにあげるのだろう。
圧倒的にラーメンが多い。
なにか、ご褒美として食べた、または食べたいという思いをあげている。
いいんだけど、クソつまらないではないか。

そう、自分もブログにラーメンをやたらあげていたことがある。
まぁそのころは、ラーメン屋開拓にはまっており、食レポのような感じであげていた。
いま振り返ってもほんとうにつまらないのは素人の食レポである。
しかし、本人にとっては美味しいご飯というのは、アドレナリンがあがり
その上がった状態を記録しておきたいから、記述するのである。
他人にみせる目的ではないのだろう。

関係ないが、
以前、精神的な病院に入院していた時とっても世話になった爺さんがいた。
退院してからも会いに行ったり、その人の持病の薬を他の病院にもらいにいくお使いをしていたりした。
(ほどなく看護師に問題視され、やめさせられてしまったが…)
その爺さんはとにかく歯が悪く、ほとんどおいしい食べ物を食べられない。
なにか手土産を持っていきたくても、食べ物じゃないものとなると本当に難しかった。
食べ物を制限されるということを考えざるを得ない事態だった。

食べ物というのは、人間にとって大事なものである。
しかし制限されてしまう人も多くいる。流動食の人だって、アレルギーの人だっている。
自分がラーメンを食べられる、アイスを食べられる、酒をのめる
という喜びをまわりにアピールしたくなる。そんなことが中高年たちが食べ物をあげる理由ではないか。
逆に言えば、それは楽しみが狭まってきている合図かもしれない。
ということで、食べ物以外の楽しみを多く見つけたいなぁと考える次第。

娘の散髪

昨年からちょいちょい娘に散髪を頼んでいる。
主に、もみあげ付近やえりあし付近。
白髪が増えてきたので、白髪を切がてらちょいちょいとカット。
何度かやっているうちに、結構上達してきたようだ。

女の子はなんか分からないけど、信頼できる。
無茶はしないというなにか得体のしれない信頼感。
これが、息子の場合は絶対散髪の全権をゆだねたりできない。
げらげら笑いながらモヒカンなどにされそうだからだ。

そんなこんなで、娘がマイナーカットして、一週間くらい経ったら
妻がさらに整えてくれるというパターンにしている。
これで、散髪に行かずにすめばお金の節約にもなるし最高である。

この前の土曜日に、また娘に頼んだ。
スキばさみという新たなアイテムを得たからか娘のカットの手が大胆になっていく。
ザクザクと切り進む。
ちょっ、ちょ待てよ。往年のキムタクばりにストップをかけようと思ったが、
なにもない土曜ということで、昼から一杯やっていた俺。
すっかり酔っ払っていい気分。

うまいなぁなどと娘を焚きつけるから、さらに手を早めてザクザクと。
気付いたらすっかり後ろがスッキリ。
切った髪を寄せたら、お相撲さんの御握りくらいの大きさ。えっと思った。
でも、スッキリしたのには間違いない。
もうプロじゃん…などと褒めちぎったのもつかの間。

帰ってきた妻が、俺の後ろ髪をみて、何カ所か禿げてるよ…と。
そう、ザクザクと切ったから光をあてるとハゲてる。
これはアカン。やり過ぎたようだ。
焦ってもしかたない。
せっかく切ってくれた娘に苦言を呈するのも違う。
まぁ、ええやん。生えてくるし。

苦笑いしながら、少し早めに妻のリカバリー散髪開始。
長いものを切るのではないから、リカバリーもさほどなく、
禿げた部分は、髪をペッたりなでつけることで、雲隠れさせた。
齢10歳。大人の髪をサッパリ切れるはずない。

全権をゆだね過ぎた俺の不覚である…。
昼から酒を飲むとろくなことがないという反省もありである。

ある程度の年齢行ったら自己成長なんてしない

いい年になったなぁと感じる。
目も悪くなって、毛根の力がない。
公園で鉄棒にぶら下がっても、腕が上がらない。
フィジカル面だけではない。
記憶力も怪しいし、学ぶ意欲も薄い。

これじゃだめだ!と奮起する人もいるだろう。
AI関連の本を買って、これからに備えたり、
ジョギングして体を鍛えたり。

まぁそれもいいだろう。
でも、ジジイはもはや成長なんかしない。
生物学的にそうできているに違いない。
60歳で死んでたんだから昔は。
もはや50からは余生であってもおかしくないのである。

しかし、まぁ中高年代ってそこそこお金もあって、
なにより人数が多い!
だから、売上につながるんだよなぁ。
だから、ポテンシャルまだある!とかって焚きつけるんだよね。
でも、駄目だよ。疲れやすいし。

ただ一つ。大事なことはある。
心を病まない事。
メンタルの健康、これだけでいいのである。

メンタルを病むと年齢的に回復は難しい。
成長などいらんから、このメンタルだけは元気でいたいなぁ。
メンタルを病まないためには、自分をほめればいい?のか?
とか考えていると、これはこれで自己啓発書の餌食になりそうである。

まぁ、人目を気にせず、バカにされてもいい。
くらいに思っておいて間違いないかもしらんね。

Webライター軽くやっていたな

そういえば副業でもないのだが、10年以上前にWebライターと呼ばれるものを少しやっていた。
テーマが与えられ、それに合わせて20個くらい記事を書くというもの。
一文字いくらで納品して、月にいくかもらえる。
がんばっても5000円程度だったので、小遣いにもならないくらいであった。

多かったのは金融関係といっても、消費者金融界隈のテーマ。
リボ払いについてとか。
ちょっとでも収入の足しにと始めたが、締切りがある仕事の大変さたるや。
たかが、ネット記事なのでネットから情報を得て、まとめるだけ。
そして、タイトル大文字にするタグをつけたりして、納品するのだが、
とにかく、子どもも小さかったので、夜にやることが多かったのだが、
やり直しなども多く、めちゃくちゃ疲れた思い出がある。

なんだかんだで、一年以上はやったかな?
結局一回も自分が書いたかもしれない…というWeb記事には出会えなかったので、
あれはなんだったのか、という状態である。

あの時期で、すんごい人は10万とか20万とか稼ぐなんていいっていたが、
一日中ネット記事を書けば確かに稼げるのかもしれないが、いろいろな意味でキツイのだろう。

Webライターの仕事がAIに奪われる、という記事を読んだのだが、まぁそうなのだろうと不思議でもなんでもなかった。
昨今のAIのテーマのまとめかたっていったら無い。
すくなくても、この分量なら30分はかかるだろうな…という記事を1分以内でやってしまう。
そして、説得力がありエンタメ的面白さもある、この記事たるや…。
AIで書いたといわずに、西田という人間が書いたといえば、その人間がライター界の天才とあがめられるくらいの精度である(?)。

そういえば、数年前プログラミング言語、pythonの勉強を頑張ってしていた。
基本のじゃんけんゲームや、その他単純なゲームのコードを書いたりできるようになった時点で、Chatgptが登場した。
pythonでテトリスのゲームのコードを書いて。
ある日、そう打ち込んだ。

するとどうだろう、ものの数秒でコードが生成されるではないか。
その時点の自分はテトリスレベルのコードなんてもちろんかけない。
でも、AIはあっというまに生成する。
結果的に、実行してもエラーが何カ所かだされてゲームをするまえは至らなかったのだが、
衝撃を受けた。
二年もかけて勉強したプログラミングなのに、こんな数秒で…と
きっと、人間はエラーやバグを修正するだけの存在になるな…。
そう考えたら、これ以上勉強するのが馬鹿らしくなってしまい、その時点でpythonの勉強を終了した。

AIはこわい。
ある人が志し、何年もかけて勉強した知識をあっという間に凌駕する。
なにがこわいって、その後の虚無感よ。
WEBライターだってそう。
その人が、何年もかけて積み上げたコツやプロとしての矜持。それをあっという間に追い越すのだ。
残酷である。

しかもライター業は仕事。
お金をもらって生活をしていたわけだから、もっと深刻である。
でも、もう待ったなしである。
いわゆるAIに侵食されない職業ベスト10とかあるだろう。
でも、それすら分からない。世のあらゆることが、代替可能だと思うからだ。

知られればお金はすぐに集まる世界

昔よく思ったな。
日本に住んでる人が、一人1円だけ自分にくれれば
一億円以上になるのになぁと。
たった、1円。1円を探すと、洗面台の端にあったりする。
それはお金とも認識されないような存在感である。
そんな1円、だれかにあげたところで全く痛くないだろう。

しかし、それができない理由が昔はあった。
集金システムである。
1億人から1円を集めるのは、集金面で難しかった。

しかし、今はどうだろうか。
電子マネーやインターネットが当たり前の時代。
集金システムは完全に解決している。
実際、クラファンなどで集金して活動することが可能になっている。

じゃぁ、なんで1円を俺にくれないんだろうか…。
そう、あげる意味がないからである。

この意味を作り出すには、1億人に自分が1円を集めてますということを
告知する必要がある。
1億人がみる媒体、それはない。

近いものは、昔はテレビだった。
とはいえ、テレビも視聴率20%くらいですごい見ているって感じなので、
せいぜいテレビをみる国民の2割である。

しかし、この現代において、1億人近い人間がつかうツールがある。
Googleである。
わからないけど、相当な人口が使っているだろう。
このツールの集金システムは半端ではない。
お金をもらおうとしたら、まずもってプラットホームを作り
それを使わせて、それの中毒にさせるのが手っ取り早い。

かつて思った一円集金の考え、
これを実行しているのが、グーグルなどの先端IT企業なんだろうな。
無課金で使わせるだけ使わせて、あとで集金する。
このシステムを考えた人は、天才である。
それが、日本人から出なかったのは、やはり悲しい感じ。

男社会のつけ

初の女性首相に沸き立ったのも今は昔。
その首相の発言ひとつひとつに疑念が生じている。
とはいえ、選挙が待ったなしになり、これはなんだというくらい
色々な人が批判の声を上げている。
自分も批判的であって、女性首相有利のこの世論の沸騰に違和感を抱いていた。
しかし、ふと気づいた。

これは、今までさんざん得をしてきた男社会のつけなのかもしれない…と。
そして、声を上げているのはおおむね、インテリ系の男たちである。

まったく関係ないが、早朝バイトで起きた朝にNHKかなんかで10分くらいのニュースをやっていた。
ある地方の話。
いわく、ドラゴンボートで日本代表になりオーストラリアかなんかに決勝で行くという男たち。
筋骨隆々で、つねにジムで鍛えている。
しかし、ドラゴンボートってなに?だろう。そう、別に職業で稼いでいるわけでもなさそうだ。
いってしまえば、趣味の延長だろう。仕事が終わったアフターに練習に打ち込むという。
男たちはみな笑顔。充実感をみなぎらせて本選出場の日を心待ちにする。
もうこの時点で、俺の頭はちょっと変なのか、主婦目線になってしまう。
いや、こいつらまぁまぁ家庭ありそうだけど、家庭ほっぽりだしてドラゴンボートかよと。
そんで、オーストラリア?いい身分やな…と。

いや、独身ならいいんだよ。でも、地方の妙齢のオッサンたち。たぶん、家庭は妻に全振りだろうなと。
逆は想像できるだろうか。

女たちが、夜な夜な家庭をおいて、チアダンスの練習に打ち込む。
この度、カリフォルニアでの選手権に選ばれた。
来月のアメリカへの遠征を楽しみにしている。
絶対ない。同じ状況だが、かなり批判されるだろう。

なぜ、男だけ夢を追っかけて、しかもそれが素敵な物語として語られるんだろうか。

一事が万事。
そう、いままで女性をないがしろにしてきた、つけ。これが、いま効いている。
思えば今、そこそこの大企業にいて高給をもらってるオッサンたち。
なにが優れていたか…。男という属性であっただけなのかもしれない。
バブルのいい時に男という属性で、そこそこいい大学をでた。それだけ。

政治の話ということで、沈黙している人は多いが、この国の半分は女性である。そして、女性首相の味方であるかもしれない。
成熟した国は、もっと早い時代に女性をトップに起用しているだろう。
そして、失敗を重ねながら真のすぐれた女性のリーダーが誕生する。
そのリーダーをみて、次世代の若い女性たちがそれにあこがれ、男女同権が成熟してくる。
その最初なのかもしれない。今は。

最初のソレが、大変な事態になることも多いだろう。
しかし、それはもう仕方ない。それがつけを払うということなのかもしれない。

子供をもつと喜びと苦悩が代わる代わる来る

子供は嗜好品だという、カップルの動画をみた。
その通りである。
とにかく、金がかかるという意味では嗜好品という言い方もあるかもしれない。
一方、もっとはやく子供を産んでおけばよかったという、男性の記事を読んだ。
これも、めちゃくちゃ頷ける。
というより、今子供をもっている立場からすれば後者のほうの意味がぶっ刺さる。

DINKS ダブルインカムノーキッズ この生き方を正直羨ましいと思う。
自分に子供がいなかったらどうだろうか。
今のようにダブルワークしたり、メルカリで必死に小金を稼いだりしなくてもいいだろう。
休日には、妻と外食して長い休みは旅行。この世の春である。
しかし、そのまま人生を終焉させるにはいささか心残りが残ったはずだ。
そして、その心残りの中身。それが、今の自分の人生の中にはタップタプに滴るくらいある。

子供が欲しいと思った。できた子どもが、流産した。
その後の夫婦の苦しみ。俺のED(妊娠プレッシャーによる精神的なやつ)
第一子の息子ができた喜び。ワンパクな男児で、しょっぱなから苦労した。
第二子ができたのはいいものの、妻が切迫早産の危険で2か月入院した。
その間、2歳の息子とシングルファザー生活でてんてこ舞い。
娘が生まれた喜び。親に孫をみせられた何とも言えない気持ち。

子供がいない時は穏やかだった、妻の怒声を初めて聞いた驚き。

夫婦だけの生活は一言で言えば、安定である。
しかし、子どもとの生活は不安定の一言。
喜びと苦闘が代わる代わるやってくるのだ。

そして、このふり幅が凄まじく大きい。
苦しみがあるから、喜びも大きい みたいな。

そして、今二人の不登校を経験して、あらたな苦しみを得た。

人間は、なにか養うものをもつ必要がある。
犬でもいいかもしれない。
でも、犬よりいいのはやっぱり人間である。

いいおじさんになって、自分の感性とか考え方が自動的に変わることはない。
しかし、子どもを通していまや大きな悟りを開いている。
特性をもっている子供たちで苦労しているからかもしれないが、
世の中にはいろいろな人間がいる。
これを実感することは、すなわち人生を生きる糧になるのである。

きっと子供がいなかった自分も、自分ではいられただろうが、
今の自分の深みったらない!
まだまだ、苦闘が続くだろうがだからこそ、喜びも深いと思ってがんばっている。
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