R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

2026年03月

ロウリュウ高温サウナに悶絶

趣味でもないが、たまに行くスーパー銭湯的なところ。
そこでサウナを2,3回ローテで繰り替えす。まぁエセサウナ―である。
夫婦が亡くなられたプライベートサウナ事件以来、サウナこえーなと思っていたが、
そこは大衆サウナ。始終おっさんが入っては出るからさすがに閉じ込められることはなかろう。
ということで、月に1回はいっている。

性格柄行くところが固定してしまうと、ラーメン屋しかり開拓しない。
なんだか新しく行ったところが不快なところだったらいやだな…という不安があるからだ。
とはいえ、昨年くらいからそれではだめだ!チャレンジ無くして人生楽しめるはずねーだろ。
と精神的な頬っぺた(?)をひっぱたいて、新しいところにチャレンジしている。
サウナもしかり。

新しく昨年末にオープンしたらしいところへGOしてみた。

めたくそ綺麗な施設。できたばっかだから当たり前か…。
スタイル的に、有休をとって誰にもいわずに朝から行くのが俺流。
この「今の俺の行動は世界のだれも知らない…」みたいなものがたまに欲しくなる。
独身ならこんなの当たり前なんだけど、家族をもつとそうもいかんからな。

そんなこんなでとりあえずIN。
平日の朝なので、もちろん空いている。
この時間軸をずらすだけで、同じ金額なのに数倍楽しめるというのに、数年前から気づいてしまった。
子供が二人不登校になり、自分も平日有給。こうなったら、お台場でもいってやろうかと行った時のアミューズメント施設のガラガラっぷり。
並ばずにガンガン乗れるアトラクション。
もう、土日とか休みの日に行くのが馬鹿らしくなるもんね。
それ以来、学校なんてそっちのけで平日に楽しむ派に転身した(普通の人はダメだけど)

それは言いとして、この新規スーパー銭湯。サウナがなんと4つもある。
そのなかに、超高温のロウリュウサウナというのがあった。なんだこれはと入室。
広めの室内にテレビ。普通である。いつものように10分くらい粘るかとニヤリとしたその3分後。
突然ライトが赤くなり、ブオーーッという音。瞬く間に温度があがる室内。
あっちー 皮膚がピリピリしてきたその時、風神が来場したごとくの風が舞う。
あちー上に、熱風をグルグル回すだと…。肌がピリピリと音を立てる。
これは…やっばい。立ち上がって退散しようか…と考えている隙に風の勢いが弱まり温度がさがってくる。
初体験である。
これは、ちょっとヤバかった。いや体に悪いんじゃないか…という思いもあるが、これ以上熱くなると焦げちゃうよ…というギリギリのライン。
生きたまま黒焦げになる死刑の前半を味わっているような感覚。

やはり新しいところは、いい。
初体験は新鮮である。ついぞ、また行きたくなってしまっている始末。
ホームの施設はひたすらゆっくりできる。
そしてアウェーは、高温で体の芯まで響く体験。

結果的に行って良かったってなるのが、やっぱりチャレンジなんだよね。

中高年層の引きこもりをなんとかしてくれ

40代以上の引きこもりの人々の数。60万人以上。
8050問題などと言われて久しいが、ついぞ9060問題などと言われる。
いや、10年上乗せしてるだけやん。

高齢になるにつれて、引きこもりから回復するのは難しくなる。
最近長いひきこもりから社会復帰した男性がピックアップされたドキュメントを見たが、
かなりレアケースといえる。
そもそも、人格がよいのでなんとかなっている感じがする。

長い引きこもりの間に、精神疾患を発症し人格がひね曲がる。
そして社会への怨念を積み重ねることで、もはや親以外とりつく島もなくなる…。
そんな引きこもりの人々もたくさんいる。
とにかく長引くことでいいことなんか何もないのだ。

親族間殺人で、無職というものを目にするが、あえて言わんでもいいとも思う。

翻って、日本はいま人手不足で有り、そこに外国人を絡めて一大社会問題となっている。
しかしここに60万人という行き場をなくした日本国民の大人がいることに、全く見向きもしない。
結局引きこもる人々は最初からそうではなく、社会に拒絶され続けている人々なのだ。
もっと、ここにテコ入れできないモノなのか?

不登校児を抱えて思ったことがある。
見守ることの重要性。それでも、不安感があるのだ。
そう、目の前にこれだけの行き場を無くし続けている人がいて、存在を消している。
ふと目をやると、60万人がいる。うちの子もこうなってしまうのでは…という不安感が消えないのだ。

高齢でも支援があり、どんどん復活していったらどうだろうか。
不登校でも挫折しても、何歳でもなんとかなると気持ちが楽になるだろう。

かくいう自分も、引きこもった経験がある。齢、29歳である。アラサー、かなりヤバ目。
でも、いろいろな出来事があり見事復活した。

今思っても、どうして復活したのか…と考えると「運」が大きい。
いまや結婚して子供もいるのだが、
ふとした瞬間に、実家のベッドで横たわり暗い目をしている50代の自分が見えるときがある。
選択を間違ったらそうなっていた可能性も高いのだ。

人間を運に任せるようなものでは行けないと思う。
人は、幸せになりたい生き物である。
環境がよければ、幸せになろうと努力するし、まわりも幸せしたいと考える。

最近京アニの事件の本を読んだ。
やったことはどうしようもなく利己的で、万死に値する。
ただ、そこに行きつくまでのところに、同情の余地がある。
生まれ持っての悪魔はいない。
性善説というものは本当で、いかように人生を過ごすかで人の人格は変わる。
救い出すものが沢山あれば、それだけなんとかなる人生も多いのだ。

タピオカこわい

まんじゅう怖いならぬ、タピオカ怖いである。
ある休日に、娘と有明のスケボーパークへ。
オリンピックで使用されただけに、とんでもなく良質なスケボーパークだった。
ひとしきり、楽しんでさて帰り道。

豊洲を散歩しつつ、ららぽーとへ。
大分歩いたんで、小腹と喉が渇く。
フードコートで何かを食そうかと。
すこし暑かったので、アイスを望んだが娘がタピオカがいいと。
有名なタピオカ屋さん。
一時は、大ブームを巻き起こしたが、いまや下火である。

しかし、その店はさすが第一線でやっているだけあり、
長蛇の列。
並んでいるうちに、まぁ俺もタピオカでいいか…と普段食わないタピオカをチョイス。
娘とタピオカing。
ここで普段慣れていないタピオカをストローで懸命に吸い込む。
ちょうと10個めくらいのタピオカが凄い勢いで口内に。
ズボっと音がした。これは…。もしかして、器官に入ったのか…。
その瞬間脳裏に巻き起こる、呼吸不全で亡くなるお年寄りの姿。
1分後である。喉になにかつかえたような気がして、何も飲み込めなくなってしまう。
ここで冷静になれればよかったのだ。
飲み込めなくなってはなかった。吞み込みずらくなっていただけである。
水を飲めば、ごくりと喉がなる。でも、また、飲み込みずらい。
この喉付近の異変が、なにやら自分にもたらした恐怖の予感。
このまま、呼吸ができなくなってしまうんじゃないか…。

この恐怖にとらわれた瞬間、パニックに陥ったおれ。
もう水を飲んでないと怖くなってしまい、顔は青ざめる。
その状態を見て、娘が異変を感じる。
ふだんは、わがまま放題であるがシリアスな場面はしっかり察知する娘。
どうしたんだと。水を欲しているのをみて、3杯くらいを即座にもってくる娘。
それを飲みながら、落ち着く俺。

すこし落ち着いてきたときに、呼吸と飲み込みは別であると気づく。
飲み込みにくくても、呼吸はできる。
別に器官に入ってしまったわけではなかったようだ。
それを理解してから徐々に回復していった。

しかし本当に怖いのは人間のパニック状態である。
下手したらあのまま、気絶していたかくらい頭がめまいでグラングランしたのだ。

この経験はそうならないとわからない。
タピオカが器官に入ったのでは?から始まった恐怖。
しかし実際に入って呼吸できなくなるパターンもあったろう。
突然の死を感じて、本当にこわかったのである。

人間は、簡単に死んでしまうことがある。
一番思ったのは、ここで死んだら娘はどうするんだ?ということである。
一生を悔いて過ごしてしまう可能性がある。
なぜ、タピオカを選んだのか…と。

とりあえずこの経験をもとに、タピオカは今後一切食さないことをここに誓う。
じっさい、タピオカは何人か殺している。

19歳の少女がタピオカミルクティーに入っていたタピオカを吸い込んだ際、3個が気管に詰まり、窒息して死亡した。

ヒトの気管支の太さは、本人の小指の太さ程度と言われている。その気管支に異物が詰まり、肺に酸素が取り込まれない状態になると窒息になる。
 
やはりこわひ

小説指南本はもう絶滅危惧種になった

なにを隠そう、かつては小説指南本が大好きであった。

小説を読むのが好きなので、そうなるとやっぱり書くこともあこがれるのだ。
しかし、小説を書くというのは本当に難しい…
なにから始めていいやら…
と考えあぐねている人が必ず、そう必ずや手に取るのが小説指南本である。

かくいう自分も、様々な小説指南本の類を読んできた。

小説を書くぞ、今年こそはしっかり書いて応募するぞ!という人が最初に行う行動。
公募ガイドの購入である。
いろいろな賞レースが記載されている。○○賞、締切りいついつまで。と
これを手に取り、おお色々な文学賞があるなぁとテンションをあげる。
そして、今年は書こうと思うのだが、いやいきなり書いたとて、受賞するわけないだろ!?
やはりノウハウを学ばなければ…となり、手に取るのが何度も言うが小説指南書である。

そして小説指南書を読み始めるともうだめ。
書くぞ書くぞ、の無限モラトリアムに入る。
この小説指南書を読み終わったら書こう。となり、読み終わった後数か月たつと、
やばい数か月も経っちゃった。ノウハウを思い出すために、またまた新しい小説指南書に手をだす…という感じ。

個人的に好きなやつ。
「ミステリーの書き方」 である。これは、日本の売れっ子小説家たちがそのコツや心もち、テクニックなどをダイジェストで教えてくれる。
好きな作家が出てくるのでムネアツである。
そして、こちらも名作。ディーン R クーンツ の「ベストセラー小説の書き方」である。
もう気持ちいいくらいのタイトル。
そして、言わずと知れたスティーブンキングの「書くことについて」である。
そのほか大沢在昌の「売れる作家の全技術」もいい。なんか、すんごいスキルを手に入れた気になってしまうのがまたいい。

モラトリアム期間をこれらの本とともに過ごし、さぁ本気で書こうとかきだして、一か月で脱落したのも懐かしいおもひで。

もうはっきり言うが、これらの指南書の対象者はそれそのもの、ド素人である。

小説家になりたいと思ってるけど、書くのが大変なんで、ちょっとためらっているド素人。
そして、ココが大事。
自分は個性的であり、才能が眠っているのだ。今は、それを隠して生活しているが、自分はこんなもんじゃない。
ひとたび小説を書き始めたらすごい作品が生まれて、一気にスターダムに駆け上がる。そんな可能性を秘めているが、いまはとりあえずノウハウを学ぼう。
としている、中途半端な向上心をもった人間を対象にしている。

そういう人結構いるのだ。

話は長くなったが、そんな人たちの絶対数は変わっていないがもはや指南書は意味をなさない。
なぜなら、言わずもがなのAIである。
AIが小説自体を書く。
人生のすべてをかけて、書き続けるという地道な戦略はもういらなくなる。
いや、小説のすべてを任せなくても、プロットをしっかり書いてくれるのである。
ちょっとした小説の種をAIに撒くだけ。それだけで、しっかりとたストーリーができあがる。

もうAIと人間の共同で小説を書けば、AI小説という批判も受けないし、
それこそ、小説を書く時間もものすごい短縮されるだろう。

昨今、昔好きだった作家の本を読んだりしたが、力が衰えたのか自分の解釈が変なのかむちゃくちゃつまらない作品が増えた。
とにかく長ったらしいのだ、説明が。
それなのに、評価は軒並みよい。
なにか、変な力が働いているとしか思えない。

そうなると自分のためにAIと共同で小説を書いて、自分が読んで面白いというのもありである。
自分で楽しみつつ、労力最小限で、まぁついでというライトな感覚で応募しちゃう。
小説家といえば昔から専業になるか論争があったが、これなら専業に等ならなくて片手間でいいだろう。
クリエイティブな職業が軒並みAIに侵食されていくのを、危機的な感じで見守っているが、
こと趣味の分野に関しては楽しさが増している。
オリジナル曲をAIが作ってくれて、それでバンドがコピーするとかもいい。
なにやらAIが素材を作ってくれて人間が演奏して楽しむ。
そういうコラボが私的にできてしまうのは最高。

批評家としてもAIは最高である。
小説を書いて妻に最初に読んでもらうというような話を聞いたことがあるが、
そんなの自分も恥ずかしいし、ド素人の長編を読まされる側もしんど過ぎる。
AIなら文句も言わず読んでくれて、的確な批判をくれるだろう。

いろんなところでの活躍が期待される。
AIは職を奪うという論点だけで見ると、嫌な対象になってしまうが
エンタメ路線だと楽しいことがモリモリである。



リスク分散としての家族の役割

妻の母親に体の不調があり入院する事態となった。
前年に癌があり、治癒したのだがその後遺症である。
妻の父はまだ働いており、介護的なことが限定的である。
そういったときに、活躍するのが娘である妻である。

普段から仲もよいので、惜しみなく介護的な手伝いをしていた。
もちろん、無償である。(多少の御駄賃あり…)

こういった時に、経済的な絡みなしに手助けになるのは、やはり家族である。
昔なんかは、老後を世話してもらうために子供を産むなんて、あからさまなことが言われていたが、
あながち間違いではないのかもしれない。

いま子供いらないとか、独身で楽しい。と人生を謳歌している人たちも
まさに体が資本で、健康な脳と身体があるからできていることであるといえる。

良く思っていたことがある。
たとえば20代で、結婚相手もいて仕事も充実していた女性がいたとする。
突然ALSなどの難病になったとしよう。
きっと、結婚相手は去っていくだろう。仕事もできなくなり、絶望する。
そんな女性を最前線で支えるのは親である。
この無償の愛的な支援は、ときに子供に向かうとヤングケアラーになるのだが、
ヤングケアラー問題をのぞくと、やはり家族が支えることになる。
しかも、多くは自主的にだ。
きっと、自分も自分を取り巻く家族が絶望的な状況におちいったら無償でしゃにむに支援するだろう。
この支援は、当然ながら人数がいたほうがいい。

今回の妻の件も、血縁の支援者が多いので一人に偏らずできている。
たとえ、その人に100人の友達がいたとしても、
ある種の損得はある。たかが友人だからだ。

そういう意味では、家族を作るというのは人生のリスクを軽減する手法の最たるものといえるし、
その効果は自分が、絶望の淵にたったときにやっと見えてくるようなものなので、
普段は意識できないのであろう。
しかし、絶望の淵にたったときにあぁ、家族いねーってなると本当にキツイ。
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