池袋の高齢者事故にあいついで、バス事故。さらに、小学生が犠牲になる事故。交通事故が異常に連発しているわけではもちろん無いと思う。報道が集中しているだけであろう。

池袋の死亡事故でフォーカスされると車両の事故のニュースを多くやる。虐待がフォーカスされた時はそれを多くやる。単純にメディアの選択数が多いだけで、くるまの年間の死亡事故は全国で変わらず多い。

とはいえ、際立つのは、子どもが犠牲になる事故の悲惨さだ。小学校一年になった息子は、一人で学校に通っている。いってらっしゃいと送り出して、もう逢えないなんて洒落にならない。しかし、そんな目にあっている親御さんがいる。

恐ろしい世界だ。生きるとはこんなに過酷なのだろうかと恐怖する。

たとえ、自分がビジネスでうまくいって富豪になろうと、千載一遇の波にのって名声を得ようとも、子どもをいきなり奪われたら最後だ。もうそれ以降、楽しみを見いだせそうにないだろう。

人生は、大事な人と出会えることで何倍もの喜びを感じることができる。妻や子どもがその典型だ。しかし、同時に突然奪われるリスクも背負わなければいけないということに、こういう事故により思い知らされる。

マクロの視点での対策はあるだろう。高齢者の免許を取り上げるとか。しかし、個人としての対策はないに等しい。そこに、その瞬間にいる、という理由だけで死んじゃうんだもん…。家を一生出ない!くらいしかないよ、対策は…。
きっついなぁ。