時間というのは、不思議だ。物理的には、万人に平等である。しかし、楽しいときと、そうじゃないときの時間の過ぎ方たるや…。

楽しい時。たとえば、気の合う仲間とお気に入りの居酒屋で飲んでいたりする時。爆笑のうちに、4時間があっという間に経過しているということがある。逆に、嫌いな人との時間は、ブラックホールのように重く、いつ終わるともわからない。時計をみると、まだ30分とかある。

仕事でもそう。楽しいときの時間と、とても楽しくないときの時間の過ぎ方や恐ろしい。これは、どう考えても人生にも当てはまるだろう。

バリバリ活躍している実業家などは、よく、時間がもったいない。もっと楽しもう。200歳まで生きたい、とか言う。しかし、長く引きこもってしまった中高年にとって、人生100年時代などとは悪い冗談だ。

あと、50年。この重苦しい時間を、どう生きたらいいのか。苦しみしかない。自分を支えるなにもない。未来がない。ただひたすら一分一秒が重い。終わらしたいと思うだろう。死にたいのではない、終わらしたいのだ。

人生の一時に、俺にもそういう時期があった。

自分にその刃が向けば、首をくくったり練炭で自殺だ。しかし、この刃はなにかをきっかけにして、外にも向かいうる。それを、押し止めるのは、それまでの生育環境などが大きい。そこに恵まれていない時は…悲惨だ。

ところで、われわれがなにかを終わらせること(人生であっても)に躊躇する感情がひとつある。

「もったいない」である。

まだ、先にいいことがあるかもしれないから、もう少し続けよう。この感情をもてるか否かが、重要だ。陳腐であるが、そのキーポイントはやはり、自分なりの小さな幸せを育てることなんだよね。

でも重ねるが、それには、それまでにどれだけ幸福体験を積んでるかも重要である。幼いうちに、幸福体験がないなら、やはり難しいのかも知れない。

自分にとってもかつての自分と重なる部分のある人生への絶望。コレに対してどうすればいいかは、長い時間をかけて考えるテーマではある。