最近は、ほとんど育児本は読まない。主に息子の育児に難儀したとき、かつてはよく読んでいた。
怒らない心育て、男児の育て方。諸々…。たいていは、自尊心を伸ばすために叱らず、自由に、そしてときに駄目なことは駄目であると、言い聞かせることで子どもの自主性を大切にする。

こういった本は、そのときはいいんだよね。なるほど、と思って、実行する。
具体的には、とにかく怒らない。尻を思い切り蹴られても、食事を手づかみで食べても、テレビの液晶にボールをぶつけて爆笑していても…。怒らない、怒らない、怒らない、…爆発!

忍耐のあげく、結局、爆発してしまう屈辱ね。怒らないということは、我慢することだから、結構親にとっては堪えるんだよなぁ。

そんなこんなで、子どもとともに成長する必要もある未熟な親自身であるが、最近久しぶりに子育て本を読んだ。
子どもを信じること
田中茂樹
さいはて社
2012-10-13


「子どもを信じること」というシンプルな題名の本。

これが、とってもよかった。この本が言っていることはひとつ。
「子どもを信じてみよう」ということである。子どもを信じるというのは、こどもが立派になったり、自分にとって心配なく生きていくことを信じるということではない。たとえ、失敗しても、きっと立ち上がって歩きだす、この子は。そういうことを信じるということである。

そのために親にとって必要なのは、生暖かく見守ることのみ!まぁ、他の子育て本と同じようなことをいっているが、なぜか説得力がすごい。

「親から見たら、どうみても失敗するし不幸になるだろう」ということすら、子供たちは彼ら自身で体験する権利があるのだ。つまり、失敗する道も彼らが選んだんなら、尊重すべきということである。
失敗した挙げ句、彼らは彼らなりに、立ち上がり歩き出すのだ。これを、一ミリの疑いなく信じる。かなり、親にとっては難易度が高いけどね。

だが、そう考えると、なにかにつけ叱ったり教育ハラスメントをすることは、見守ることの真逆だね。
よく、叩いた後、私の手のほうが痛い、とか、あなたのために言うのよなんてのがある。
こういうのは、ただの親の欲求。叩かれたほうが痛いに決まってるし、叱られると傷つく。

叱ったりしてコントロールするのは、自分の欲望を子どもに叩きつけているだけだ。こどもの欲求を受け入れて、見守る。これは、かなり成熟した人間ではないと難しい。

自分はまだまだだけど、子育てを通して、成熟していきたいわなぁ。せっかく人の親になったんだからね。