毎年、友人と年末だけは飲み会を開いてその年のできごとを面白おかしく語り合っていた。しかし、今年はなし。

年始はというと元旦が姉の誕生日なので、実家に集まり祝いつつ一泊くらいするのが常。しかし、両親が高齢なため万一を考えてNGに。

そうなると、残されたのは我の家族のみである。
こういうとき、家族がいるというのはありがたいのかもしれない。毎日各々出かけていき、毎日帰ってきているので、コロナのリスクがどうで会わないとかはない。

こういう非常事態だからこそ、俺にはここしか居る場所はないのだ…と再認識してしまう。色々なものが露わになるのが、このコロナ禍なら幸いなことに、一番の難敵である孤独を感じることは一切なかった。

小さめの子供がいる家庭は、いろいろ大変であるが、孤独というものからは解放されている。いや、なりたくても、なれないのである。

若いころにはよく孤独を感じていた。大学時代など、寂しいとき、仲の良いと思っていた友人に電話したら、別のサークルの友人などと飲んでおり、大いに盛り上がっていた時。あぁ、もっといいところいにいんだなお前は…、俺を置いて…などと一層孤独を深めたものだ。いや、被害妄想に近いが。

持論としては、こういった若いころのいたずらな孤独心は自分を強くするのにいいのである。
ちょっと、哀愁があるじゃないか。若い男が、膝を抱えて孤独に打ちのめされてる場面(?)なんか。

しかし、どうやら、加齢は孤独を本当にシャレにならない猛毒に変えてしまうようだ。ちょっとしたスパイスだった孤独は、加齢とともに本当の毒になってしまう。もちろん、ダンディで金持ちのおっさんは違うだろうが一般的にはそんな傾向にある。

そういう意味で、居場所があるというのはありがたいのかもしれない。このコロナの2020年必要以上に家にいたのだが、たしかに疲れた面もあるが、寂しさを一切感じなかったのだから、やはり家族に感謝したいなぁと思う。