最近Amazonの評価がすこぶる悪い。
偽レビューや中国から荷物がとどいたり、amazonから発送されず高い送料をとられたり。商品自体もかなり怪しいものが出そろってきている。

変なものをつかまされてしまった人たちが、怒っているのだろう。当然のことではある。

最近は、楽天やヨドバシが評価され始めているらしい。
しかし、個人的にいえばAmazonのその怪しい商品が俺には魅力なのである。はっきりいって、スイッチのコントローラーの修理キットなんて、メーカーのニンテンドーから出て(出てても高い)ないから、どこぞの中国の製品に違いない。しかし、これが安くてとってもよいのだ。

もはや髭剃りもPanasonicをやめて、USBで充電する変な中国の製品だ。
これも、いいのである。

なにがいいって、製品自体に攻めている感があるからである。こういった、攻めている製品は、楽天やましてやヨドバシカメラでは手に入らない。

ヨドバシなどは、完成されたものを当たり前だが売っているからだ。
それらの品はもう完成品だから、そう簡単にはバージョンアップしない。しかし、Amazonに現れる怪しげな製品は、やや未完成である。それを証拠に、一年後ですら、同じ製品は売られていない。気を抜くとすぐバージョンアップするのである。

そういった製品の場合、確かに悪い時もある。
しかし、いい時ももちろんある。そんな時は、安くて性能の良いものをかったという満足感が得られる。さらにはいい商品を当てた、自分の目利きに対する満足感も得られる。

考えれば昔は、情報が少なかったからこその失敗が多くあった。
よくファミコンのクソゲーを買ったものだ。圧倒的に情報が少ない中でせっかくの誕生日に買った一本にがっかりした記憶がある。

逆にめちゃくちゃ面白いソフトを買った時の満足感たるやすごかった。

今は、クソゲーなど存在できない世の中である。すぐにレビューで酷評されてしまうからである。
そんな中で、最近のamazon。レビューがあるにもかかわらず、そのレビューが怪しいがゆえに、モノを買う目利きが問われる。という面白い状態である、と俺は考えている。

それは、買い物の原点ではないだろうか。異国に行って、マーケットに売られている有象無象の品を吟味する。そういった雑多な買い物の原点が、amazonには立ち現れている。
だからやっぱり今日もAmazonでものを買ってしまうのである。