いつ頃そう感じたか覚えていないが、会社の上司だったか部長だったかの耳に生える長めの毛を見たときに嫌悪感を覚えた。それを見た後、いそいで自分の耳を鏡で確認した。俺の耳にもあるのではないか…と思ったからだ。しかし、なかった。一安心した。

ではあれは?と考えたときに共通点がみえた。そう、おっさんまたはジジイにのみ生えているということである。年取るって嫌だなぁと、若かった俺は思ったものだ。

そこから月日が流れたが、耳毛のことはとんと忘れていた。先日、何気なく触った耳の突起部分、そこに大分育った毛を発見した。一瞬、キモイなと思って思い切り抜いてやった。無茶苦茶、痛かった。

収穫した耳毛が掌で揺れていた。昔嫌悪したそのフォルムである。

それをみて、あぁ掛け値なしにジジイになったんだなぁ、と認めた。人は生涯自分というものから出ることができない。客観的に自分を見れないということである。だからこそ、若い時からなにも変わっていない気がしてしまう。

しかし、老いとは残酷である。耳毛あたりから、老いを突きつけてくる。
お前が嫌悪していたじじいに今まさになっているんだよ、と。
このくらいの年齢になると、アンチエイジングなどといっても、できることは少ない。
せめて、人を不快にさせないためにも、耳毛の乱立にはせめて気をつけよう、処理しようと思う次第。