しつけやマナーって日本人は好きである。相手の迷惑にならないことを、とかやってもらったらお礼を言う、とかである。家庭内のしつけはとりわけ大事といわれている。

うちも妻がよく、飲み物をとってもらった時、お礼は!といって、ありがとうを強要している。強要というとあれだけど、まぁ、本人がやらないことをさせるのは、広い意味では強要であろう。指摘されて、「ありがとう」と言うことになんの意味があるのだろうか、と密かに思ってしまう。

心から思ったら言葉に出す、というのが基本だろう。まぁ、きれいごとであるが…。

俺の場合はひどいもんである。父親の威厳などが基本的にないので、なにをやってもお礼を言われないし、当たり前のようにジュース取ってとか言われる様である。あまり、それに対して何も言わない。

確かに疲れているときは、たまにイラっとくるのだが、こちらもこちらで基本テーマがある。家庭は、「くつろぎの場」ということである。もう、何をやっても基本はいいということである。言葉遣いとかも適当でいい。そういった心許せるホームがあるからこそ、外ではきちっとできるのでは?と思っている。

関係ないかもしれないが、自分の仲で「抱っこ理論」(てきとうにつけた)というのがある。ある程度大きくなったのに、相変わらず抱っこをせがむ子ども。かつては、こう考えられていた。抱っこをしてしまうから、それが癖になっていつまでもせがみ続ける。つまり、悪い癖を親がつけてしまっている、と。

しかし、最新の脳科学だとこれは違うらしい。

抱っこをその子がしてほしいなら、何回でも何歳になってもしてやるといい。そうすることによって、コップに水が満たされるように、ふとある時点でせがまなくなる。つまり、満たされてしまうのである。それ以降はまったく興味がなくなる。これがいわゆる「自立」である。

コップを満たさないまま、だとどうなるか。

あの時満たされなかった、という思いがずっと残ってしまうのである。未練ともでもいうかなんというか。
これと同じことはいろいろなところでいえる。とにかく、子どもの望みは一部を除いて(お金がかかること)、すべてやってやるくらいの気概が必要である。

まぁ何が言いたいかといえば、こうである。日本のいままでのマナーとかって、もしかしてクソではないかということである。今の時代からみると…である。その時代はいい。子供が多く、全体をなんとかまとめなくてはならない。子供が5人もいるのにいちいち抱っこしてらんない!なんてのもあるだろう。
しかし、今はそうではない。アップデートが必要なのだ。

我々が受けてきたマナー教育やその他。それをさらに次世代につなげてどうするのか?この生きにくい社会を作っているマナー教育である。相変わらず、しつけやマナーに賛同している人たちはどうかしている。

子育ても、もうびっくりするような革命のようなアップデートが必要だと思う。似たような生きにくい子供を作らないように。ありがとういえるかどうかなんて、短期的にはどうでもよいでしょ。実際。と思っているのだが。
何をやっても、いいというような子育てのマナー。いや、それヤバイでしょ、と思われるほうが、実は正しいのかもしれないと最近疑っている。