息子は不登校児デビュー間もないのだが、娘は場面緘黙症ではキャリアが長い。
親が気づいたのが小学校1年の時だから、もっと前からだったのかな?
場面緘黙の怖い所は、家族の前では凄まじくおしゃべりでひょうきんなところ。
なので、親はまったく気づかないのよ。
ある時、ふと変だなと気づくときがある。
習い事の送り迎えの時。
その時はダンスを習っていたのだが、自転車で迎えに行き、後ろに乗る。
ずっと凪のような時間が流れる。
あれ?そういえばまったく喋ってないな…と声をかけると、やっと喋る。
習い事の帰りなんてみんな、テンション高くなっておしゃべりなことが多い。
帰りの子どもたちの塊の中でも、まったく喋ってないなぁ…と。
そんな日常の違和感はあったのだが決定的なのが、授業参観の休み時間である。
うわぁっと子どもたちが各々遊んだり走っていく中で、教室にポツン。
とぼとぼと歩いてきて、妻の足に抱きついたらしい。
聞くと学校では、まったく喋ってないらしい。
当てられても音読もできず。もちろん、友人は一人もおらず。
いそいで、支援学級のようなものに週一で通わせて、先生などにも相談した。
場面緘黙症というものを我々も知らなかったのだが、どうやらそれらしいと気が付いた。
そうなると、いろいろな違和感が、ぴたっとリンクしたのである。
そこから3年たったが、さほど状況は変わっていない。
相変わらず喋れない。でも、ホワイトボードというツールを使ってコミュニケーションをとっている。
能力としては喋れるのに、ホワイトボードって…とも思うが、そういうものだから仕方ない。
友達は3年間皆無である。よく不登校にならんなぁと逆に驚くくらい。兄がなってしまったが…。
そんなこんなで、緘黙児にいいがちな言ってはいけないこと3選である。
3位
今日なにして遊んだの?
→いやぁ、これ毎晩聞いていた。小学校で友達ができて、遊んだ話ってなんか健康的で親は嬉しいんだよね。
でも娘に限っては、休み時間も椅子に座っているだけ。楽しいことなんてないのよ…。話していた時は、無理に捻りだして、妄想を作り出していた気がする。
無理させたわ。
2位
挨拶しなさい、お礼は
→これもいうよね親は。友達とか人にあったら挨拶するのが当たり前。なにかしてもらったら、ありがとう というのが当たり前。
でも、これできないんだよね。態度が悪い人に見えるのだが、緘黙の人はできないの。ここを理解するのに大分かかったなぁ。
いまは、相手が娘にこんにちわ っていって娘が答えなくても 俺が苦笑いすればOK ちょっと人見知りの人という認識になってる
1位
話しかけちゃえばいいんだよ
→いや、それができねーんだって。ここら辺もよく言ってた。シャイな人によくいうタッチの言葉。そんなレベルじゃないということを今は知っている。
言ってはいけないのかもしれないが、もの凄い普通に子供にいう言葉ばっかりである。
しかし、できない子に言うのは酷な言葉。
場面緘黙症ってのは今も認知度が低いけど、本当に大変な病(?)なんだよね。
コミュニケーションが社会生活の基本なのにそれができないって、苦しいもの。
だからこそ、家族が認識して自分を出せる場所をちょっとづつ作ってやりたいなぁと思うね。