気付いたら一か月ブログを書かずにいた。
一か月ってまぁまぁ長い。30日もあるからね。
とはいえ、一か月で何かが劇的に変わるってこともない。
そんな中途半端な時間。

とはいえ、変わることもある、そんな時間…(どっちやねん)。

中学入学以来なんとか通っていた、息子氏がまた再度完全不登校になった…!
一か月前は危ういながらも、なんとか行きつつ、
なんか、中学生活慣れていたわ…とか軽口を叩いていた息子。

ここにきてへばってしまったようである。

とにかく公立だからか、作文なり漢字なり筆記が求められる。この筆記がとりわけ苦手な息子である。
そして、課題も多い。地理なんて、グーグルマップなどがあるのだから、検索して楽しく学べばいいのにダメ。
時代が変わろうが、ネットで何でも瞬時に正解が出てこようが、
小中学生のダイレクトに脳へ行う詰込み教育は変わらない。

ネットがあるし…そんなにやらんでも…。
といえば、
いやだからこそやん!だからこそ、自分で考える能力が大事やん。
ネットですぐ検索しちゃ駄目やん。
ジョブズは子供にデジタルデバイス与えなかったっていうやん。
やっぱ、駄目やん!?と。
ジョブズ~の話。それもネット上でよく転がっている反デジタルデバイス派が喜ぶお話しである。

しかしながら、はたして、今の学校教育が自分で考える能力なんて育てているのだろうか…。
育んでないでしょう。不登校児も増えてんだから。

んが、人の不登校は冷静にみられるが、
自分のとこの不登校は冷静ではいられないのが親である。

あぁ、またか。
給食とかいろんなイベントもなくなる。
中学生だから、恋愛イベントだってあるかもしれない。
個人的に、リア充が一番よい!と考えているが、息子はそうはならないようである。
どうなっていくのだろうか…。

不登校は繰り返す…誰かが言っていたが、うちもまさにそうなってしまった。
悲しいが、嘆いていても仕方がない。次の一歩を探すしかない。

いままで、いろいろな人に不登校になって困っているという話をしてきた。
友人や職場のひと。
誰一人、ガチの不登校の子どもがいた経験がなかった。
そう考えると、貴重な経験である。

ある日誰かが、そっと打ち明ける。子供が不登校だと…。
それは大変だね。
うちも不登校だよ。だったよ、よりもより癒される一文だろう。
なにより、自分が一番求めているのだから。
不登校児への共感なぞいらん。
いま、多いからね、変なことじゃないよ
休ませてあげなよ、自分で歩き出すって…

やんわりとしたことを言う人に限って、己が倅はまっとうに学校行ってたりすんのよ。
まぁそんな僻みはいいとして。

存在そのものが幸福である。
アドラーでお馴染みの岸見さんのブログに気になる記述が。

成功するためには何かを達成する、例えば有名大学に合格するとか、一流企業に就職することが必要です。
他方、幸福は存在であるというのは、幸福であるためには何かを達成する必要はなく、今ここですでに幸福で「ある」ということです。
そのように考えれば、人はどんな時も幸福であることができます。つまり、老いることで何かができなくなったとしても、そのことは幸福であることには何の影響も及ぼさないということです。 岸見一郎 noteより

そう、ここにある。それのみで幸福である。この域にいければ人間はエゴも捨てられらくだろうなぁ。