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野田聖子の記事を読んだ。
この人は高齢出産で障害を持った子をもつ、現役の母親だ。
政治家なのでいろいろと叩かれることも多いが、
ブログを見ると、小さな時から命の危機があったり、現在も結構な困難を抱えている息子である。

なってみないと分からないことを沢山学んだ。

記事の最後のほうで、このように言っている。
政治家としての発言であろうが、
これは本当にその通りである。

人間は無知を克服することで、知恵を身につけて生きている。
なので勉強をするのだ。
しかし、勉強などではわからないこともある。
それは、経験で学ぶのである。

とりわけ経験の中でも人がしたくない経験というのがある。
その中のひとつが、障害児の親ではないだろうか。
だからこそ、妊娠前に検査をして多くの人が中絶を選ぶ。

しかし、意図しないこともあるのだが障害児の親となってしまう人たちは多い。
強度行動障害のある子供を押さえつけながら、ほうほうのていで暮らしている親のドキュメンタリーをみた。
とてもじゃないが、あれは知識で学べることではない。

野田聖子氏もあれに似た大変さがあったのだろう。

翻って自分もそう。
どんな親が自分の子ども不登校を喜ぶだろう。
そう、まったく歓迎しない不登校という事態も、想定外だし、
なってわかるのはその親の苦しみである。

育児には積極的に参加していたので不登校については、読んだりして
知っていた。
子どもがそうじゃない時のスタンスは、こうだ。
いや、今の教育がきついって、不登校児が増えても仕方ないよ。無理はさせない事…。

実際子供がそうなったらどうだ。
鬼の形相で行かせようとしたり、引きこもり気味の子どもと他の子を比較してみじめな気持ちになったり、
その時にならなければ分からなかった感情に揺さぶられた。

そう、自分ってやつは自分に甘い。
まさか自分に訪れるとは思っていないのだ、悲惨な事態ってやつは。
そんで、それに対応してワラワラしているうちに、
何だかわからないほど深い見地と、許容する力が生まれる。

とりわけ、離れることができない子どもの困難は、他のなにとも違う大変さがある。
いま自分は知り合いのだれかが、不登校のことで悩んで相談してきたとき、
なによりも共感力を高められると自負している。