とくにファンでもなかったが、何となくしっていた養老さん。
もちろん、バカの壁で有名である。しかし、読んだことがない。
読書好きを公言するわりには、守備範囲がせまいのである。
基本、小説がずっと好きだったから知識人の論文のようなエッセイは苦手としていた。
とはいえ、養老さんといえば解剖学者で東大出ててとエリート中のエリート。
彼がいま88歳となり予後のよろしくない癌に犯されているという。
その彼が、人生を語るというなんとも生と死を見つめる内容。
自分も50歳を超えて、否が応でも生と死を意識し始めた。
ジョギングしたりルイボスティを飲んだり、
若い頃はとんと興味のなかった健康に目が向く。
大きな声では言わないが、死にたくないからである。
さて88歳の知の巨人はどうであろうか。
番組を見る前は、かなり超越した考え方で死をとらえていると思っていた。
しかし、安心した。
さすがの養老さんもまだ死にたくないのである。
あらゆるがん治療を試している。
そして、5年先の自分の癌治療の未来を希望をもって待っている。
そう、人間とはこうでなくてはいけないのだ。
死が眼前にないとき、人は哲学的なことをいって死を超越してみせる。
しかし本当に目の前に死が横たわるなら、やっぱりそれから全力で逃げたくなるのだ。
ある時代小説の主人公がこんなことを言っていた。
もう思い残すことはない!といって死んでいくものがいるが、
あれはだめだ。
まだまだやりたいことがある、死にたくないな といいながら死んでいった方がいい。
なぜか。残されたものたちのためである。
この世界がこんな年になってもまだ生きたいと思わせてくれるほど楽しい世界なんだ、と生きている人間へメッセージをしたためているのである。
もういい、というのは一見潔く見えるが、そうではない。
そう考えると、強いインパクトを残す先人がいる。
やなせたかし アンパンマンの作者である。こんな楽しい世界からいなくなるの嫌だな。死にたくないよ。
こんなシンプルなメッセージを残したらしい。
そう、こんな楽しい世界がいま、君らが生きている世界なのである。
閑話休題。
同じようなことをこの養老孟子さんにも感じた。
どんなに年がいっても、虫の観察という楽しいことを持っている。
そこも秘訣かもしれない。
最後のほうでは、やはり人がそこにいる。そのことの喜びを語っていた。
最後のほうでは、やはり人がそこにいる。そのことの喜びを語っていた。
自分も往生際には、まだまだ楽しい世界にいたいなぁといいながら往生したいね。
その時の状況によっては、家族には迷惑かもしらんな…。
どのような往生になるかはわからないが、
妻と子供に見守られながらさよならするのがやっぱり一番かもなぁ。
どのような往生になるかはわからないが、
妻と子供に見守られながらさよならするのがやっぱり一番かもなぁ。