この年になって自分を変化させる難しさを感じる。
この年になっても大いに人見知りであり、人目を気にするタイプである。
もういいだろう、といいたいのだがなかなか社交的な人間になるのが難しい。
なぜ変化させたいか、ちょっとした理由もある。
娘の症状として場面緘黙がある。
家族の前だとべらべら話すのに、学校など一定の場面に入ると、まったく話せなくなる。
まったくというのは、文字通り0である。
人によって、ここは差がある。娘の場合は0である。
そうなると、話しかけてくれることにありがたみを感じるのだ。
学校内や習い事でも、話さない娘に果敢に話しかけてくれる子たちがいる。
正直、敬服する。
翻って自分。
話せないばかりか、口数が少ない人に話しかけるのなんて、難易度マックスだ。
いろいろ考えてしまうからだ。迷惑ではないか?とか余計なことを。
そう、この年になってもまだ傷つきたくないという精神がビンビンに働く。
しかし娘を通すとたとえ、話しかけた人が無表情や反応が鈍くても、とっても喜ぶ人がいるとわかった。
いや、たしかに自分にコミュ力がない人ほど、話しかけられたりするとうれしいのだ。
そう考えると、自分を捨ててでもコミュ力モンスターになって、そういう人を喜ばせたいと感じた昨今。
しかし、まじでむずい。
そう、一日くらいはできる。
実際やった。かなりの陽気さでもって、いろいろな話題をふる。
しかし、疲れ果てるのだ。
そして、翌日にはまた陰気な優男になり果てる(いやそこまでじゃないけど)
いままでは、陰気さも肯定してきた。
内省的な人間ほど奥深い…とかなんとか。
しかし、娘のこともあって奥深いことになんか意味あるか?と
果たして緘黙の人がいて、陽気に話しかけてあとを引きずらない。
そんなモンスターのようなことが自分にできるのか。
いや、する必要がある。
もういい年だ。傷なんかついたってかまわないじゃないか。
正直、認知行動療法てきに繰り返してればそうなると思う。
しかし、繰り返すのがダイエット以上に難しいんだよなぁ