当事者になると目の前の景色が変わるんだよね。
なにって、不登校関連のいろいろである。
とりわけ、学校の長い休みのあとに出される、有名人のわれらも不登校だった…という記事。
逃げてもいいんだよ という感じの極めて優しいタッチの投げかけである。
不登校児を抱える前は、けっこう見ていてこれは当事者には効果があるのでわ?と思っていた。
なんせ、今華々しい活躍をしている有名人が、おいらも不登校だったズラと、テヘペロでいってくれるのだから。
しかーし。不登校児だっれも見とらん!そんな記事そもそも。まぁ、親がちらっと見る程度かな。
それでいて、不登校の深刻度の低さに一気に興味がうせるのだ。
せいぜい、不登校になって数か月程度で復帰しちゃってんだもん。
こっちは、もっと深刻なものを求めているのだ。そして、安心したいのである。
最近は元モー娘。のミキティが子育てに関しての意見をいろいろ言っている。
たしかに、うなずけるものもあるだろう。
きっと、不登校の悩みをミキティに言えば、気持ちのよい答えが返ってくるに違いない。
しかーし。ところどころに出るみずからの子供への教育虐待臭。中学受験臭…たるや。
ゲームの制限バリバリであるし。きっと、本来の不登校児の深刻度をまったくわかっていないであろう。
ただ、そこに悩むものがあれば寄り添えばいい…という自動化プログラミングである。
いや、まぁそういう職業だからね。イラっとして、ごめんなさい。
かねてから思っていることがある。
メディアには、弱者に寄り添う記事は多い。
しかし被害者がいれば加害者がいるのが、世の常。
いじめられていた有名人が、今いじめられている子に死んではいけないといってくれる。
しかし、いじめていたものが発言したのは小山田圭吾 以外には聞いたことがない。
ご存じの通り、何年もたって追い込まれている小山田圭吾をみるに、加害者には容赦がない。
でも、絶対いるはずである。有名人でいじめていたという人は。
作られた世界は心地がよい。でも、当事者の世界は過酷である。
給食がなくなった世界線で、昼に起きてきてペヤングソース焼きそばを食べる小学生。
これが毎日である。
きっと、そんな不登校児を抱える有名人は、メディアにでて、「きっと、大丈夫…」なんて言わないだろう。
言ってくれたらどれだけ救われる人がいるだろうか…とは思うのだが。
血が流れるのを想像して、痛いよね…という人を信じない。
現在も血を流しながらも、励まそうとしてくれる人を信じる。
なんか殺伐としちゃったなぁ俺 と思う今日この頃である。