R太のざっくり雑記

40代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

映画・テレビ

ドキュメント72時間から感じるフジロックの高齢化

好きな番組ドキュメント72時間で、フジロックが舞台になっていて興味深くみた。
フジロックといえば、20代の時に一度行ったことがある。
苗場の広大なエリアに、メインステージ3つ、あと細かいステージがたくさんあって
行ったり来たりした思い出がある。
英国のロックバンド ブラーがメインをつとめていて、日が沈んで夜になっていくステージと
ブラーの音楽が幻想的で、かなり楽しかった思い出がある。

フジロックあたりから、日本でも野外フェスという概念が生まれメジャーになっていった。
歴史的に見れば、ここ20数年くらいの出来事じゃないかな。
自然豊かなところで、ロックを聞く。
ヒッピー文化などとも親和性がある野外フェス。
アンチ大人文化、既成概念をぶちこわしていく若者たちのフェス。
ロックフェスはそんなイメージだ。

実際、自分がフジロックにいったのも20年くらい前で、若者だらけだった印象である。
しかし、ドキュメント72時間にでてくる観客たちを見て違和感がじわり…。
おっさん、おばさん、40代、50代…。満面の笑みで楽しそうである。
しかし、若者はいずこ…。
噂では聞いていたフジロックの高齢化。画面を見る限り本当のようだ。

楽しそうだが、なんだか寂しさも感じる。
この国はロックですらも少子高齢化してるやん!と。
じじいが何に反骨すんねん。なんか、見ててイライラしてきた次第。
いや、まぁ単純に野外フェスを楽しんでいるだけだろうが、こうやっていろいろな場所が
高齢化してくるとなんか、同世代のじじいに、
最後の局面で全部黒にひっくり返されるオセロの気分になる。

確かに俺もロックフェスに行きたいけど、
なんか高齢化の一翼は担いたくないという矛盾した気持ちがあるのだ。

モテない男はやっぱりモテないのか

あいのりのアフリカンジャーニーとアジアンジャーニーを立て続けに見て気が付く。
アフリカンの「しゅうまい」とアジアンの「シャイボーイ」の存在である。
前者はポッチャりしていて、顔もイマイチ。いわゆるモテなさそうなオーラが漂っている。
後者は顔は結構いいと思うのだが、表情というか、なんというかちょっと女性受けしなさそうなオーラである。

旅の中で、しゅうまいにしてもシャイボーイにしてもいい役割を演じている。
仲間思いだし、いい奴である。
しかし、恋愛にあまり絡めない。
しゅうまいに至っては、誰からも言い寄られずに終わった感がある。

共通するのは、二人ともほぼ恋愛経験がないということである。

かたや、イケメンではないのにモテる男たちがいる。
そうじて、内面が男らしく女性を楽しませるエンタメ気質が備わっている。
芸人がそうだが、女性を笑わすことができる男はそれだけで、モテる。

にわとりが先か卵が先かわからんが、とにかくモテる男は恋愛をどんどんしていく。
失敗しようが、成功しようが、経験値を積み上げていく。

そして、恋愛こそは、人間の感情のすべてが、喜怒哀楽のすべてが詰まっているといっていい。
傷ついたり傷つけたり、泣いたり笑ったり、怒ったり、すべてである。
下手したらマネージメント能力から、危機管理能力とかもなくてはいけない。

たとえば、ムエタイ未経験でリングにあがったらどうだろうか?
ボコボコにやられるだけならまだいいが、下手したら一発で沈むだろう。
恋愛経験がないというのは、そういうことかもしれない。

そうやってみると、シャイボーイにしてもしゅうまいにしても、あまりにも技が少ない。
時に、相手の反応に固まってしまう。
これでは、勝てないと思わせてしまうものがある。

恋愛強者の力をまざまざと見せつけてくれた男が、アフリカンジャーニーにいた。
ジェノベという元ホスト経営者である。
告白の場面で、断られているのに、そこから巻き返したのである。
すさまじいコミュ力と男らしさで、いろいろと注目された男である。

人間は、与えられた外見は変えられない。しかし、内面はいくらでも変えられる。
そして、それを変えるのはやはり経験といえるだろう。
たかが恋愛リアリティショーにこんなにもはまり込んだ俺。
恋愛をとおして人間の生き方を教わった気がする。
しかしながら、さすがにもうお腹いっぱい。
次はほかのジャンルにするわ

ーーー追記
投稿した後、あいのりアジアンを最後まで観たのだが、なんとシャイボーイが告白成功してたじゃない!ちょっとディスってすいませんという気分である。
そう、真摯で愚直な心が響くこともあるのである。
ちょっと感動したわ。

あいのり アフリカンジャーニーが学ぶことだらけ

相変わらずの恋愛リアリティ―ショーづけ。あいの里から始まり、ラブイズブラインド。
そして、飢えを満たすがごとく、いよいよ避けていたラブワゴンでお馴染み、「あいのり」にいった!
アフリカをラブワゴンで旅する最新?シリーズ。

とはいえ、これコロナ前だから3年以上前のやつなのね。
MCがベッキー。時系列がよくわからんかったけど、どうやら、不倫騒動の後。
それをネタに昇華して生き生きと進行している。
やはり才能豊かな人だなぁと感心した次第。

それはそうと、あいのりって色々な国を回るだけでなく、
その国が抱える問題点や現状をうまく途中で挿入していて、すっごい勉強になるわ~。
知らんかったこんな教養番組の一面もあったなんて。

それをまざまざと見たのが、ルワンダ。
俺の中でルワンダといえば、「ホテルルワンダ」。
この映画で、民族間のぶつかり合いで100万人が亡くなった事実を知った。
これが、俺の大学くらいの時に起こった出来事で、まったく知らなかったことに衝撃を受けた。

だがしかし、ルワンダの知識はそこでストップしていたのだ。
ルワンダといえば、民族トラブルの国…という短絡思考。

しかし、革新的な大統領の下で、この国が目覚ましい発展をとげていたらしい。
ITCを国の基幹産業にして、子どもたちには一人一台のPC。
驚いたのは、紙幣に印刷された絵である。

野口英世とか新渡戸稲造とか昔の偉人ではない。
パソコンに向かう子どもたちの絵柄である。
この紙幣からも、過去を払しょくし、未来へ転換したルワンダの姿がみえる。

ドイツしかり、ある意味日本もしかり。
過去にひどい経験をした国は、それを糧に発展を遂げるている。
そのいい見本である。
というか、すでにテクノロジーの分野では日本は太刀打ちできないのではないだろうか。

日本人が発展途上国だと思っていたアフリカのイメージは10年もたたないうちに変貌してしまう気がする。

まぁ、そんな池上彰的な知識を満たしつつ、本流の恋愛リアリティも楽しませていくこの展開。
だてに人気作じゃないなぁ。あいのり 御見それしました。

しかし、この年になって恋愛リアリティにはまるとは…。なんか欲求不満なんじゃないだろうか…。

恋愛リアリティ番組にドはまりしている

興味のなかった分野にこそ活路がある。そう気づかされた最近。そう、恋愛リアリティショーに現在ドはまり中である。
まったく興味のなかった…どころかちょっとクダラナイなくらい思っていた分野。

きっかけはネットフリックスの「あいの里」である。ラブワゴンでお馴染みのあいのりのスタッフがお届けしているらしい。
中高年の恋愛というのが、ちょっと触覚に引っかかった。35歳から60歳くらいの男女が古民家でくらして、人生最後のパートナーを選ぶというなんだか、下世話な内容といえば内容である。

とくに、結婚している自分が観るには、見下す感があったりする。いや、ひねくれた自分にとっては、そうやって観るのもたしかにありであろう。自分はよかったなぁ結婚出来て…。いやぁ、この人たちはこんな年で大変だなぁと。エンタメなので何を思おうが勝手である。

しかしながら、そうはならなかった。シンプルに出てくる人たちが、年輪を重ねた魅力にあふれる人たちばかりだったからである。
これを見ると、人間の本能的な欲求は、シンプルだなと思う。本能的な欲求とは、性欲である。

性欲はエロのみと思われがちだが、大きな意味では孤独を回避したいという欲求である。
信頼できる人と心と体をつなげたいという欲求である。

つながった結果、肉体的に若ければ子どもが生まれる。そう考えると、子供というのは単に状況から生まれる副産物ではないか?とすら思えるのだ。いや、生物学的にはそうではないのだけどね

とにもかくにも、個性豊かな男女が繰り広げる恋愛ショーに一喜一憂、一週間ですべて見終わってしまった。
個人的には60歳の「みなねぇ」という女性の動きがとても面白かった。元ミスジャパンの超絶美人だった方だが、今は年相応の容姿。
若者たちにまぎれ、みじめさを感じていたが、途中で同い年の男性が登場して一変する。
みなねえの人生観の深さと気遣いは、きっと苦労してきたんだなぁと思わせるものがあってよかった。
うーん、どんな映画よりドラマよりハマってしまった。

その勢いで今は、ラブブラインド 日本版を見始めた。相手の容姿が見えない状態で、トークだけで恋の相手を決めるという、またまた斬新なもの。触りだけみて、やめようかと思っていたが、いやいやコイツも面白い。

ドラマもそうだが鑑賞に堪えうるものにするためには、登場人物たちがそれなりにハイスペックでなくてはならい。
あいの里もブラインドもそうだが、総じてハイスぺでコミュニケーション力の高い人たちばかりである。
自分がここに混じったらと考えるだけで、背筋がぞっとする。恋愛ショーは、ある種のホラーでもあるな俺にとっては。

フィクトセクシュアルは理解しがたい

自分の若いころは、セクシャリティなんて意識は皆無であった。もちろん、男性を好きであるというセクシャリティを持った人の存在は知っていた。
とはいえ、そのソースは「おすぎとピーコ」だった。
おかまやホモなどの存在は、笑いを彩るネタでとしか感じていなかった。

20歳くらいの頃、新宿で終電を逃しブラブラしていたら中年のおっさんに、マンションに来ないかと誘われたことがある。こちらも暇なので、路上で話の相手をした。
どうやら、若い子にお金をあげてマンションで軽い性行為をしているらしい。見た目は普通で、どちらかといえば紳士のようなふるまいのオッサンであった。
いまでいう、ジャニーさんのような性癖をもち、それ用のマンションがあったのでそこそこの高所得者であったのだろう。
自分はその気がないことを告げ、ジュースを奢ってもらい(?)別れた記憶がある。

LGBTやそれに付随するセクシャリティは、昨今だいぶ浸透してきている。かつてのようにそれを笑う風潮もなくなってきている。
そんなときに、フィクトセクシュアルという性癖を特集したテレビを見た。
フィクションの世界の人を愛する性癖らしい。

ほほぉ、THE多様性。いいじゃない、と思っていた。

しかし、キャラクターとの結婚式に式場を借りて友人たちをしっかり呼び、親も招待したかったが断られたという話をきくと、これはちょっと理解できないなと思ってしまった。
理解したふりを最初はしていたが、なにかがしっくりこないのである。

以前ペットと結婚して、性行為をするズーフィリアという人たちの本を読んだ。
こちらは、理解できる。

しかし、人形はなんというか、わからない。
セクシャルというからには、性行為をするのだろう。
これは、ダッチワイフではないだろうか。

おそらく、フィクトセクシュアルの人と会話すると、俺は怒らせてしまうかもしれない。
興味はあるのだが、絶対理解できないためいろいろと地雷を踏んでしまいそうだからである。

なかなか世の中は広い、という漠然とした考えでそのテレビを見終えた。

資格学校は癒しなのではないか…

ドキュメント72時間に資格学校の回があった。
おそらくTACかLECに3日間密着していた。15年以上前、ひょんなことから仕事を辞め、行政書士の資格を取ろうとLECに通った思い出が蘇る。あの時は無職で心を病んでいたので、もはや資格にすがっていた感があった。結果的に途中から不登校(?)になり勉強もままならず、無駄金になったのだった。

あの頃はキツかったなぁ、などと思い出しながら見ていたが、
資格学校って15年以上前とほとんど変わってないのね。
講師がいて、テキストにそって教わる。さらには、目指しているのも社労士や司法書士などなど…変わらずの定番資格。はたして、今もって需要があるのか…と訝るくらいの変わらなさである。

仕事をしながらや、リストラにあって無職になったのを機に資格をとろうと決意する人々。なかで、40万円以上を現金で支払っている人がいた。インターネットで学べる時代でも、資格学校は一定の需要があるようである。

ふと思うのだが、学校というのは魔法のようなものである。
そこにいるうちは何か希望という名の魔法がかかり、明るい未来を観ることができる。今の感覚で考えると、講師の講義を聴くだけで数十万とられるなんて、バカらしいと思うのだが、それを可能にしてしまう何かがあるのであろう。

個人的には、資格学校にいい思い出はない。

しかし、そこにいる人たちは、なにかかつての自分のようで、気持ちはわかる。当時の自分も、不安を紛らすために通っていたのだろう。ある種の実質的な何かではなく、セラピー効果としての存在価値があるのかなと思うのである。ただ、厳しい現実の前に癒しは意外と無力である。厳しさと癒しの落差でよりやられてしまったりもするしね。

もはや俺は学ぶのは、ネットとお金を使ったとして数千円の書籍くらいである。
ちなみに、今までで一番ためになった教育系のものは、断トツで月5000円程度のオンラインフィリピン英会話である。早朝バイトで一時やめてしまったが、また、時間と余裕があれば学びたいと思っている。

これで、何か職を得るというものではなく、単純に楽しいのである。
突き詰めると、陳腐であるが人間楽しいと思うことしか、身につかない気がする。特に年を重ねるとね。

映画ドラえもん 空のユートピア見に行った

いやぁ、けっこうヤバかった今年のドラえもん映画。
前半こそ、これは眠いや…とウトウトしてしまったのだが、中盤から一気にスパートかけてきやがった。

途中までは、なんだかジャイアンもスネ夫もしずかちゃんも、ドラえもんですらちょっと薄い存在感だった。今回の主要キャラ、猫型パーフェクトロボットももう一つ。しかし、敵さんが出てきたあたりから一気に覚醒。

昨今の戦争の世界情勢なども絡めつつ一気にヒートアップした。

個人的には、個性をなくして優しくなったジャイアンが、元の自分に目覚めるシーンに震えた。
映画でだけ頼もしくなるジャイアンは、俺の子どもの時からの定番である。
この定番のジャイアンとともに定番なのが、タイムスリップのタイムラグを用いた演出。
あの時のあれは、これだったのか…の最上級の演出が施された。

なんだかすべてがバチッとハマる気持ちよさと友情などの定番の感動がほどよくブレンド。
もしかして、ドラえもん映画で一番好きな作品になったかもしれん。まさかドラえもんの映画で泣きそうになるとは思っていなかったよ。いや、いい作品だった。

引きこもりの苦悩

引きこもりの苦悩というドキュメンタリー動画を見た。
数年前のものであるが心を揺さぶられた。


精神的な病や、引きこもりなどに自分は寛容である。当たり前だ。何を隠そう、かつて引きこもっていた経験があるからだ。
後から考えるとたった1年ではあった。
しかし、たった1年で精神的に病みまくり、結果病院に入院するという最悪の事態に陥った。

20代も終わりかけのころである。
まだ、若かった、今考えれば。でもその時はもう30手前なのに、この俺はなんだ…と絶望して友人関係もすべて断ってしまっていた。
数年付き合っていた彼女ともフェードアウト。理由は「恥」である。
こんなになっている自分を認められなかったのである。

引きこもりには、それぞれ理由がある。
いじめやパワハラ、はたまた失恋とか。
はっきり言って理由は千差万別。
なので、理由の軽重を考えてもしかたない。

俺の場合は、営業車で中学生をひいてしまったことが発端である。
スピードはあまり出ていなかったが、フロントガラスが蜘蛛の巣になるくらいの衝撃であった。
相手は打撲くらいで済んでよかったが、あとから考えると人身事故のショックが自分の精神に及ぼした影響は甚大だったのだろう。
その後すぐに会社を辞めてしまうという暴挙に出る。
すでに、鬱がちょっと始まっていたのだろうね。
よく、鬱のときに大きな決断をしてはいけないというが、まさにそれである。

そこから、引きこもりが始まった。
最初は嬉しかったのを覚えている。なんつっても会社に行かなくてもいいので、寝まくれる。
実家なので生活費の心配はない。
しかし、徐々に「えっ、俺なにやってんだろ?いい年して。」という感覚に陥り、週三回の資格学校に通いだす。

なんだか典型的である。
週三で通ってとれる資格で万事いい就職ができるわけがない。そんなことにすぐに気づき焦りだす。
そして、転職活動を始める。

ここでも、嫌な学びがあった。前職の退職理由を当然のように聞かれるのである。
事故を起こして、その後のプレッシャーが重くて、辞めました。28歳です。
正直にいえばコレであるが、そんなの通じるわけがない。
なんとかいろいろとこねくり回して、理由をいうのだがまったく通用しない。
行く先々で、相手にされず、徐々に病んでいった。

そのころには四六時中、後悔していた。
辞めなきゃよかったと。
その後、人材派遣会社に滑り込んだのだが、もはや精神的な病が本格的に発症。

アトピー性皮膚炎発症、給料はパチスロにつぎ込んだ。
それでも、まだ働いていたのでよかったが、それも続かず、無職になり朝から夜まで、携帯でテトリスをやっている生活になる。

もちろんこのあたりから希死念慮、すなわち死にたい願望がふつふつと湧きあがったわけである。
父親が異変を感じたころには、もう不眠状態。
なんとか、メンタルクリニックに行かされたのだが、それがまた良くなかった。
今考えれば、精神的な病というのは特別に弱い人がなるものと考えていたのだろう。
メンタルを病んでいる自分というのがどうにも認められず、処方された薬は飲まず、眠られず八方ふさがりの地獄である。

最終的に入院まで行くのだが、廃人のようになってしまったからである。

そこから、なんとか周りの助けもあり、立ち上がって生きている。
いろいろなことがあったが、今となればこの経験が自分の糧になっている。
弱者の視点などと偉そうなことを言えないが、いまだ40代でも引きこもり続けている人を見ると他人ごととは思えない。

この動画に出てくる顔出しで自分をさらけ出している人も、きっとなにかきっかけがあれば、外に出て違う人生を作り出し下手したら家庭をもって人生を生きていたかもしれない。
すごい、性格の良さが出ているし、きっと親にとってはかけがえのない可愛い息子であるはずだ。

40代以上の引きこもりが60万人以上いるといわれる今の日本。
なにかそういったものの助けになりたいと考える自分もいるが、いまは自分のことでいっぱいいっぱいで何もできないのである。
とにかくこういった経験をもって、子育てをしている自分というのが今は大きいのではないかと考えている。

シンウルトラマン を見に行った

ウルトラマンを見る年齢ではないが、予告に刺激された息子と庵野秀明が総合監修をしたシンウルトラマンを見に行ってきた。

前日に友人と飲みに行き、久々に大量飲酒。正直体調が悪かったので、外出したくなかった。それでも、たしかにシンウルトラマンちょっと見たいわという思いがあったので、だるい体を押して新宿へ。

映画館ではないが、シンゴジラも以前観た。
なんというか、ゴジラのくせに日本の行政のシステムの対立などがリアリティをもって、描かれていてこれはこれで面白いと思った。

しかし、シンウルトラマン。こちらも、シンゴジラと同様政府高官たちが出てきて、わちゃわちゃとなんか言ってる。難しい言葉が早口で展開されているのを観ているうちに、こちとら二日酔い。ちょこまかと寝てしまった。

ウルトラマンや怪獣がでてくるところはそれなりに迫力があって、目が覚めるが、わちゃわちゃとしておしゃべりになるとまた眠くなる…という繰り返し。

分かりやすい娯楽要素はあんまなかったけど、まぁこれはこれでエヴァンゲリオンぽい要素が好きな人はいいだろう。

はて、息子はちょっと難しかっただろうなぁと聞いてみると、面白かったと。ドリルの怪獣凄かったと。二時間うつらうつらしていた俺と、ドリル怪獣などで楽しんだ息子。ちょっと、難しかったろ?と尋ねても、いや全然、ドリルよかったと。ドリルって序盤だぞ…。

まぁ、そこはいいか。
いやしかし、俺が若干退屈する映画も、全然苦も無く観れるようになった息子の成長を感じた。

映画コーダを見た

アカデミー賞ということで、ミーハーな俺はさっそく映画コーダを見てきた。

聴覚障碍者を家族にもち、自分だけ耳の聞こえる女の子と家族の物語である。こういった自分だけ健聴者という人をコーダというらしい。初めて知った。そんでもって、この子は歌が好きで、歌唱力が抜群。徐々に、才能が開花していくが…という展開。

この映画、はっきりいって、素晴らしすぎる映画であった。

なんといっても、笑いと感動のバランスが抜群。前半で笑わされたと思ったら、中盤からちょっとシリアスな展開に。それでいて、最後は超感動である。

まったく説明になっていないが、頻尿なのでいつもは、上映中2回程度はトイレに行く俺が、まったく行かなかったといえばその凄さがわかるだろう…(わからん)。没頭しすぎて膀胱の存在を忘れるというか…でも、漏らしてはないのよ。

まぁ、頻尿の話はいいとして、ここ最近というか数年見た映画の中でもトップクラスであった。
なかでも父親がよかった。この父親のおかげで笑わされたり泣かされたりしたのだろう。いや、母も兄もみんなよかったが、特に自分も父親だからか娘との物語みたいなのがあって、本当に感動したなぁ。

ミーハーってのも時にはいいもんだね。
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