早朝バイトのスーパーをはじめて結構年月がたった。
ただ、食材を並べるだけの仕事なので誰でもできる。
色々な人がいるが、基本はおばちゃんが多い。
なぜか、昔からおばちゃんに好かれる。
自分がおじさんになってもこの傾向は変わらないようだ。
卒なくこなしつつ、気も使っているから余計に気に入られるのだろう。
何年もやっていて、気づいたのがADHDなどの特性を持っているかもしれない
という人、とりわけ若者が結構いるということである。
息子や妻が同じような特性があるので、気づくのだろう。
そういう特性の人は、スーパーのような単純作業にとりわけ向いていない。
遅刻をせずに、言われたこと+言われてない事も適宜こなす。
ルールがしっかりあり、それにきっちり従う。
そういうことって、普通の人にはできる。
だが特性がある人にとっては、困難である。
案の定、ベテランのおばちゃんたちに殊更嫌われてしまう。
あの子何なの?と
とにかく、言ってもなかなか治らない。
自分なりのルールでやってしまう、などなど。
こういう子たちは、
学生時代は、それでもよかったが、こと働くとなると途端に困難にぶつかるのだ。
そして、鬱に陥ったりする。
仕事内容に関しては、そういういかんともしがたい部分があるが、
性格などは穏やかで、人を攻撃したりしない子が多い。
仕事はチームワークだ。その人がへまをすると他の人が残業をしなくてはならなくなったりして
それはそれで、イライラしてもしょうがないとは思う。
おばちゃんの怒りもわかるっていえば分かる。
でも、身近にそういう人がいる身としては、決して他人ごとではない。
多様性という言葉があって、ニューロダイバーシティという言葉がある。
LGBT的な多様性は見えやすいもの。
でも、内面の多様性もあるんだよと。発達障がいを含むいろいろな内面の特性をもった人ととも協調しようよというスタンス。
いつから日本人はこんなに人に厳しくなったんだろう。
遅刻は人の時間を奪う行為…なんていってそれを厳しく非難する。
この奪うという表現もエグイよ。たいした時間じゃないだろう個人がもってる時間なんて。
人を許容することは、自分を許容することである。
今は元気な自分も、人に迷惑をかけるような障がいを負うかもしれない。
病気になるかもしれない。
そいう可能性を考えている人間は人にやさしい。
自分もそうなりたい。
少なくてもいまは、学校に行ってない子やその親に対する共感力はすごい。
生きるとは、許容範囲を増やすこと。
これから、どこまで自分の許容範囲をのばせるか、ちょっと楽しみだな。
人に厳しい人間は、それだけ狭い世界を歩いてきたのだろう。
ある意味気の毒なのかもしれない。
