昨年くらいから、幡野広志さんをネットで知って、ちょくちょくいろいろ読んでいる。強気で明快でカメラを生業にしている。そして、がん患者である。幼い息子もいるらしく、親近感も沸く。
ブログでもSNSでも世に触れるものを書くとき、だいたいの人は人目を気にする。人目となんか気にしねーぞ!という人もいるかもしれないが、では親族の目とかだとどうだろうか。絶対気にしてしまう。
そういった些細な感覚は、なにか表現をするうえでは、邪魔なものであろう。しかし、幡野氏はそういったいわゆる人目や常識とされるものをあまり気にしない。親族ですら盛大にディスる。こういった人は珍しい。いそうでいない。そして、正直なその感性ががんの余命と相まって、なんだか知らないオーラを醸し出す。
cakesという媒体でやっている、なんで僕に聞くんだろうという人生相談。この答えが素晴らしく個性的で楽しい。人生相談にありがちな、軽い納得感で煙に巻く答え方はあんましていない。けっこうストレートでだからこそ、相談者にとって時に残酷だなと思わせる部分がある。
ちなみにcakesは課金しなくてはいけないので嫌だったが、課金してみた。結果的に、この幡野人生相談だけでもそれなりに価値があると思った。
その最新の相談に、三十代の女性の悩み相談があった。
結婚を望む自営業の彼がいるらしいその女性。自分の父親とその彼を会わせることになる。まぁ、結婚の挨拶だろう。ところが、父親が挨拶時に彼の履歴書を持ってこいといったのだという。経済力やその人間の履歴をしっかり観察してからでないと、結婚は許さないというスタンスである。
当然彼は自分がモノのように見られていると感じ、怒る。
怒っている彼と、くせのある父との間で板挟みの女性。という相談。
怒っている彼と、くせのある父との間で板挟みの女性。という相談。
幡野氏の答えはいつもながらサバサバしていた。それはさておき、この相談で自分の記憶が刺激された。そして、この女性の父親は本当にバカな親だなぁ…とつくづく思った。
この行為が及ぼす影響は、その場だけではないのだよ。と。自分の場合はこうだった。初対面ではなかったが結婚の挨拶時、リビングの席につくなりのいきなりの催促。「ほら、早く言って」と、義父。きょとんとする俺。
どうやら、早く宴がしたいから「早くあれをいってくれ」ということである。つまり、娘さんと結婚させてください的なことを、早く言ってということであった。汗だくで、せかされながら定型文のように言った。間髪いれずにオッケイをもらい、宴が始まった。
ドラマでは、よく一発ぶん殴らせろだわ、これをクリアしてからまた来い、だわがある。
あれとは無縁の世界である。
そこにあったのは、娘が連れてきたのだから、間違いない!という絶対の信頼感だけである。不思議とこんなに無条件に信頼されると、逆にまじでしっかりしなきゃいけない!と思う。相手の両親に対するなんていうか感謝というか、この信頼を裏切れない!とかそういうのが沸くんだよね。
そして、将来自分の娘が男を連れてきても、俺はこの伝統を受け継いでいきたいと思っている。どんな輩がきても、相手を試したりしない。早く言いなさい!アレを。というだろう。それが、一番の子供への信頼である。
そういえばお笑いの土田も同じようなことを言っていた。まだ売れてない自分をウエルカムしてくれたご両親。のためというより、自分を信頼して受け入れてくれたご両親のために頑張ってきた、みたいなこと。そう考えると、人間の一番うれしいことは、やっぱり信頼してもらえるってことなんだよね。
そういう意味では、履歴書を持ってこさせることは愚策中の愚策だと思う。その彼を信頼してないばかりでなく、娘をも信頼していないということを公言しているようなものだからね。