R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

いい言葉

幡野広志さんの人生相談を読んでいる

昨年くらいから、幡野広志さんをネットで知って、ちょくちょくいろいろ読んでいる。強気で明快でカメラを生業にしている。そして、がん患者である。幼い息子もいるらしく、親近感も沸く。

ブログでもSNSでも世に触れるものを書くとき、だいたいの人は人目を気にする。人目となんか気にしねーぞ!という人もいるかもしれないが、では親族の目とかだとどうだろうか。絶対気にしてしまう。

そういった些細な感覚は、なにか表現をするうえでは、邪魔なものであろう。しかし、幡野氏はそういったいわゆる人目や常識とされるものをあまり気にしない。親族ですら盛大にディスる。こういった人は珍しい。いそうでいない。そして、正直なその感性ががんの余命と相まって、なんだか知らないオーラを醸し出す。

cakesという媒体でやっている、なんで僕に聞くんだろうという人生相談。この答えが素晴らしく個性的で楽しい。人生相談にありがちな、軽い納得感で煙に巻く答え方はあんましていない。けっこうストレートでだからこそ、相談者にとって時に残酷だなと思わせる部分がある。

ちなみにcakesは課金しなくてはいけないので嫌だったが、課金してみた。結果的に、この幡野人生相談だけでもそれなりに価値があると思った。

その最新の相談に、三十代の女性の悩み相談があった。

結婚を望む自営業の彼がいるらしいその女性。自分の父親とその彼を会わせることになる。まぁ、結婚の挨拶だろう。ところが、父親が挨拶時に彼の履歴書を持ってこいといったのだという。経済力やその人間の履歴をしっかり観察してからでないと、結婚は許さないというスタンスである。
当然彼は自分がモノのように見られていると感じ、怒る。

怒っている彼と、くせのある父との間で板挟みの女性。という相談。

幡野氏の答えはいつもながらサバサバしていた。それはさておき、この相談で自分の記憶が刺激された。そして、この女性の父親は本当にバカな親だなぁ…とつくづく思った。

この行為が及ぼす影響は、その場だけではないのだよ。と。自分の場合はこうだった。初対面ではなかったが結婚の挨拶時、リビングの席につくなりのいきなりの催促。「ほら、早く言って」と、義父。きょとんとする俺。

どうやら、早く宴がしたいから「早くあれをいってくれ」ということである。つまり、娘さんと結婚させてください的なことを、早く言ってということであった。汗だくで、せかされながら定型文のように言った。間髪いれずにオッケイをもらい、宴が始まった。

ドラマでは、よく一発ぶん殴らせろだわ、これをクリアしてからまた来い、だわがある。
あれとは無縁の世界である。

そこにあったのは、娘が連れてきたのだから、間違いない!という絶対の信頼感だけである。不思議とこんなに無条件に信頼されると、逆にまじでしっかりしなきゃいけない!と思う。相手の両親に対するなんていうか感謝というか、この信頼を裏切れない!とかそういうのが沸くんだよね。

そして、将来自分の娘が男を連れてきても、俺はこの伝統を受け継いでいきたいと思っている。どんな輩がきても、相手を試したりしない。早く言いなさい!アレを。というだろう。それが、一番の子供への信頼である。

そういえばお笑いの土田も同じようなことを言っていた。まだ売れてない自分をウエルカムしてくれたご両親。のためというより、自分を信頼して受け入れてくれたご両親のために頑張ってきた、みたいなこと。そう考えると、人間の一番うれしいことは、やっぱり信頼してもらえるってことなんだよね。

そういう意味では、履歴書を持ってこさせることは愚策中の愚策だと思う。その彼を信頼してないばかりでなく、娘をも信頼していないということを公言しているようなものだからね。

#しんどい君へ の野田洋次郎の記事に惹き込まれた

新海誠の映画では、やっぱりRADWIMPSの音楽の存在感がすごい。彼らはかなり昔から活動している。ここにきて、一気にブレイクしてきた感じがする。とくに、昔からその歌詞の深さで聞くものを惹き込んできた。それでも、やっぱりファンでなければ聞かなかっただろう。

かくいう俺も、そう。「君の名は」の主題歌あたりからやっと注目してた。「天気の子」の主題歌もいいよなぁ。にわかファンであるが。

ところで、夏休み明けに自殺が多いという悲しき自体。そんな悲嘆な事実を受け止めつつ、防ごうという企画。ここに出てくる有名人は、やっぱり同じ経験をしている人がいい。


そうか、野田洋次郎もいじめられてたのか…。と考えつつ読むが、いじめもあれだが、それ以上に父親との確執に目が向いた。

驚いたのは、彼の自傷行為のようなものである。

走行している車から飛び降りたり、2階から飛んだり。一歩間違えば取り返しのつかない自体である。だが、それほどまでに、心が傷だらけであったのだろう。ここらへんの経験談をかなりサラリと語っているから、驚くわ。

いじめられている君へ語りかける真摯な姿勢もよい。さすが、言葉を紡ぐ人間である。恐ろしく、琴線に触れてくる。

さて、それはいいとして。少々捻くれている俺。ここで疑問。

いじめられた経験談を語る人と、いじめていた経験談を語る人のバランスが釣り合わないのでは?と。

当然、いじめられるものがいれば、いじめるものもいる。特に著名になる人は、どちらかといえば、いじめていた経験のある人のほうが多いのではとも思っている。

かつて小山田圭吾は自分のいじめ体験を無邪気に語っていた。胸糞悪い記事だったが、正直なやつである。こういったいじめ体験を語る著名人はいない。当たり前だが、批難されるからだ。しかし、記事で影響を与えたかったら、現在いじめているやつにも均等に与えてほしい。

いじめていたが、今猛烈に後悔しているという体験談を著名人が発したら、あぁ、格好悪いやめようかという感じになる人もいるかもしれない。ならねーか。
でも、学校に行くな、逃げろだけでなく、いじめをすると将来に渡ってどうゆう影響があるか、そういうところを心理的に追い込んで、加害者の心を変えさせる、そんなことも必要なのではないだろうか。いじめ自殺を見るたびにそんなことを思う。

しょうたいじょう

IMG_6408
ある夜、息子よりお手紙を頂いた。

「ぱぱ かなしそうだね
ゆうやけがのぼる
くらい おちこんでるね
これからも あそんでよ」

いっそ、ポエムといっても良いのではないだろうか?

夕焼けが沈むくらい落ち込んでいるではなく、夕焼けがのぼるくらいって…。なんだか、こどもの表現の深淵をみた気分。

ありがとうといって、受け取ったが、特に悲しい出来事も、落ち込んでもいなかっただけに首をかしげるばかり。なにか、悲しげに映ったのだとしたら悪かったなと、優しい息子に心でアンサーしておいた。

「気持ちがいいから」中島らものことば

中島らもの動画を最近見た。中島らものアルコール格闘記というドキュメンタリーだ。

たしか昔姉が好きだったような気がする。中島らもの人生相談かなんかの本。
それを軽く読んでた記憶があるが、がっつり読んだのは、もっと後。
20代後半からかな。
そこから、「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」などのエッセイを読みまくった記憶。
あと、「ガダラの豚」とかの小説も面白かった。

作家としてとても才能のある人だが、アルコール中毒、ドラッグときて、最終的に階段から転落して死んでしまった。
なかなか、波乱の人生である。荒々しい人かと思いきや、動画でも分かる通り、ゆったりと話す人。
考えながらも、とてもシンプルな真理を言う。

中で、ドラッグなどについて言及している。専門家が、なぜ人はドラッグに走るのか、とかいろいろと難しく分析するのだが、やる方からすれば、ただ「気持ちいいから」なんですよとゆったりと明かす。

馬鹿にするでもなく、挑発するでもないその語り口が妙に的を得ていた。

理論ではなく、人間は気持ちいことを求める。気持ちいいことは幸せだからだ。
そういう、当たり前だが、倫理観や社会性を身につける過程で人が隠してしまっていることを、パーッと言ってくれるから中島らもは痛快な人だったのだ。

この人の生き方は壮絶だが、中にもつ優しさはすごい。偽善ではないむき出しの優しというのかなぁ。
動画をみてるとその一端がわかる。

結婚は墓場か

早乙女太一と西山茉希が離婚したらしい。あぁ、子どもがいるのになぁと思う。記事を見ていると、育児をせずに、仕事や夜遊びに外出しまくる早乙女太一に愛想をつかした感じである。

子どもが生まれると、とたんに夫婦仲が試される気がする。おそらく、男女でフェアじゃないからだろう。圧倒的に女性の方が、いままでの生活ができなくなる。そこをなんとか、今までに近くソフトにランディングさせていくのは夫の役割だろう。

当然、夫の「自分の時間」というカテゴリーは激減せざるを得ない。
そこに無自覚な人は、このように離婚にいたるのだろう。

ところで、結婚は人生の墓場という言葉である。
結構有名だが、ほとんどそのように感じてなかったが、最近では少し思う。悪い意味ではなく、今までのいろいろな自分のプライオリティを一度捨て去る必要がある、という意味での墓場だ。

自由気ままな自分は一度ぶち殺すのだ。そして、墓場からふらりと立ち上がったゾンビがこれからの自分である。そして、このゾンビは、育児から家事までなにも文句を言わず黙々とこなすのである。

結果、友人や周りからは共感を得られず、生ける屍と呼ばれるかもしれないが、家族からは高評価なのである。なるほどなぁ、結婚は墓場という言葉は、主に男性側に使われるが、夫婦円満のために大事な観念かもしれない。

幼稚園を忘れろという祝辞

ある園長の卒園での言葉が話題だ。いや、自分のなかで。どこで読んだのかも忘れたが。
ニュアンスだが、こう。
園長自身が語る。
「わたしは幼稚園の記憶が殆どありません。なぜなら、その後がとっても楽しかったからです。みなさんも、ぜひ、この幼稚園での記憶はすっかり忘れてください。幼稚園の思い出を忘れてしまうくらい、楽しい人生をこれから過ごしてくださいね」

ニュアンスだが、これは素晴らしい祝辞ではないだろうか?だいたいの人は、忘れないでくださいや思い出してくださいなどを言うのではないか。そこを逆手に取ったこの持って生き方…。トークの基本を抑えている。ビックリさせて引き込むという。

それはいいとして、最近小学校に入った息子。すっかり馴染み始めた。この園長がいうように、過去を振り返るのは現在が充実していない証拠であろう。過去ばかり振り返るのは、おっさんになって、または死の臨終間際でいいのだ。
スポンサードリンク
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

お問い合わせ