R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

病気

予防医療は50代こそ大事な気がする

潰瘍性大腸炎が発覚したのが、35歳くらい。
となると、約15年ちかくその治療にと毎年大腸内視鏡検査を受けている。
助成金も途中からなくなり、経済的に嫌だなと思っているが、半ば惰性に近い。
惰性で内視鏡受ける奴も凄いんだがね。

経過がよいので、普段の診察は年4回(4か月に1)。そんで内視鏡。
診察の前には血液検査がある。
ここまでやっていたら、正直大腸がんになりようがない。なっても早期だろう。
だいたい年に3万円くらいかな潰瘍性大腸炎関連は。
その時その時は、もったいないなぁ元気なのに…と思うがたかが3万円である。

いま高額医療費制度の見直しが行われている。
高額医療を必要としている人は、継続的医療費がかかるので、確実に懐を痛める。
これによって、治療をやめる人も続出するのでは…と。
当事者はとてもつらいだろうなと容易に想像できる。

もちろん、病は突然やってくるのだ。
しかし、予防することはできる。たまたま自分は難病にかかってしまったため、このような治療を行っている。
それが、たまたま予防医療のような形になっているのでラッキーといえばラッキーかな…。

とはいえ、多くの50代のおっさんはこんなことしないだろうな。
個人的には、50代はとても危ないと思っている。
いろいろとストレスも多い。

なんとか還暦までは無事に過ごしたい。そのためにも、この予防医療だけは続けていきたいなぁ。

脂漏性皮膚炎が乱発

昨年から脂漏性皮膚炎(しろうせいひふえん)が頭皮に起こっている。
頭がかゆくて掻くと、フケがわさーっと落ちてくる。
かゆみ・不潔度・異臭の三拍子そろった最悪な病である。
主にストレスが原因といわれ、思い当たる節しかないんですけど!

とりあえず、刺激の少ないシャンプーをして皮膚科でもらった薬をつける。
軽減するが、持続してつけなくてはならない。

まだ明確に禿げてはいないが、毛根が細くなっている頭皮。
本当なら、育毛剤をこすりつけたいところだが、皮膚の薬をこすっている。
年齢を重ねストレス度合いも高まりつつある昨今。
みぽりんを含む50代の突然死も多い。

長生きのためにストレスフリーの生活をしたいが、実際むりだよね。

アトピーの救世主 デュピクセント

息子は幼稚園からだから、およそ6~7年くらいひどいアトピーに苦しんでいた。
とにかく、夜はかきむしるので、出血。そこに絆創膏を貼るので、
体中バンドエイドだらけ。
28375142_s

頭も痒いのでかきむしり、フケがでるわ額のサイドの髪が抜け落ちる。
風が吹くと額がふわっとあがり、さながら「ハゲしいな桜井くん」(懐かしい)状態であった。
昨年の秋くらいまで、そんなこんなでとにかく四六時中搔いていた。

親も大変で、毎晩かゆみ止めの薬を飲ませ、かなり強いステロイド薬を塗り付ける。
それでも、最初は効いていたステロイドも徐々に効かなくなっていて、それでも
塗らないわけにはいかず…という感じであった。

そんなひどい状態が続いていたのだが、デュピクセントという画期的な治療薬の登場である。
多くのアトピー患者が救われた奇跡の治療薬である。
小児への適応が焦点だったが、とうとう昨年冬に注射を打てることになった。

これが噂通りめちゃくちゃ効果を発揮している。いまは、夜はかかない。
肌がどんどんきれいになる、という奇跡が起こっている。
もうこれはノーベル賞ものではないだろうか…というくらい凄い治療薬である。

今までの分を取り返すように熟睡もできている。
さすが若いからか俺と違いはげも治って、ふっさふさ。

この治療薬は注射を月2回(子供の場合)打ち続けないといけないのだが、
それでも、副作用も少ないし、なんにせよ今までの苦しみから解放されるからいい。
生きていれば医学は進歩する。
デュピクセントって変な名称だけど、
いまある様々な難病の苦しみも、いずれ解消される日が来るかもしれないと思える、画期的なものである。

娘の場面緘黙症

娘はいわゆる場面緘黙症である。いわゆる…といっても知っている人はどれだけいるのだろうか?という感じであるが。

簡単にいえば、学校などの集団ではまったく喋れなくなってしまう症状である。
うちもそうなのよ!という親は多いかもしれないが、甘い甘い…程度が半端じゃない。
「まったく」というところがポイントである。

恥ずかしがって、もじもじして一言二言しか話せない…というのは断然違うのである。
学校なら国語の授業があるでしょう。前の人から一行ずつ読んでいく、なんてのがある。
こういうものは一切できない。

休み時間に友達が話しかけてきても、ぶすっと黙っている(不機嫌なわけではなく緊張している)。

たしかに幼稚園時代から、あまり喋るタイプではなかったが、友達もいたし喋っていたはず。
それが、小学校にあがるやいなや、コレを発症したらしい。

らしい…というのは、その当時は気づかなかったからである。

緘黙症の多くの子が、親や兄弟、祖父母などの近しい人々には問題なく喋るのである。
うちの娘の場合は、喋るどころかモノすっごい積極的に笑いをとりにくるヒョウキン娘である、家では。それがひとたび学校や、習い事など一定の集団がいるところにまぎれると、まったく喋れない。

親にとっては学校をリアルにのぞく機会は少ない。なので、悪気はないのだが、気づかないのである。
だから、かつてはよく聞いていた。「今日、誰と遊んだ?」とか。
今思えば、その返答はもうひとつはっきりしなかったのだが、その時は気づかない。

場面緘黙が分かって、いろいろな本を読んだ。
本人の話も総合すると、場面緘黙症の子供は、喋っているところを「人に見られる」のが恐怖であるらしい。
俄かには分かりづらいが、恥ずかしいとかではなく、話すという行為を見られる「恐怖」があるらしいのである。

今は、検査も受けて、学校内のグレーゾーンの子を支援する教室に週一で通い、トレーニングをしてもらっている。しかし、なかなか成果はでない。

おそらく緘黙の子は皆そうであろうと思うが、娘も友達がほぼ一人もいない。
小学校生活中盤を迎えての友人ゼロである。

考えてみれば当たり前であろう。話しかけても、じっと黙っている子と誰が友達になり得ようか。
大人でも難しい。コミュニケーションが取れないのだからね。

なにか緘黙になるきっかけがあったのかといっても、思い当たらない。
いつ終わるのかもわからない。
始まりも終わりも不明瞭というのが、この場面緘黙症の恐ろしいところである。
原因も解決法もないのだから、親も子もどうしていいかわからんのである。

比較的大人になると治るようなこともいわれているのだが、それまで友人ゼロで学校生活を過ごすのだろうか…。親からするととても不憫である。

学校なんて、友達作るために行くようなところがある。
友達100人できるかな!という歌が今となっては、恨めしいことこの上なし…
友達1人でもできれば上出来かな! に歌詞を変えてやりたい!(中盤スキャット)

休み時間にじっと黙って一人で机に座る娘…。
想像するだに胸が痛い。しかし、なってしまったものはしょうがない。

友達が欲しいという思いを抱きつつ、話せないからしょうがいないという諦念すらいだきつつある娘…。
それでも、学校に行かないという発想はないらしく、頑張っている。

話せないストレスを運動にぶつける娘。そんでもって、連続空中逆上がりなんかをマスターしてしまってグルんグルん鉄棒を回る娘…。

そんな姿をみて、最近では、ふと思うことがある。
この娘はメンタルが無茶苦茶タフなのではないだろうか…?と。
俺ならこんな症状になったら心が折れてしまう。
それを耐え抜き、しかも運動に転化しめきめきと能力を高めている。
寡黙な職人を思わせる風情すらある。

緘黙というもの知り、世の中を見渡すと、社会って言葉のコミュニケーションでほぼ成り立っている。議論だわ、会議だわ、世間話だわ、申し送り事項だわトーク番組だわ。当たり前だが言語が使えないって、かなり不利である。J~2までのカードを奪われて大富豪を戦うようなものである(?)。

そんな大海原に、武器を持たず小舟でボディバランスのみでさすらっている娘。
親としては、コントロールを失いそうになったら、ふーっと息を吹きかけてやることくらいしかできない。
でも、それで十分だと思う。変にプレッシャーを与えず、生きていくチャレンジを見守りたい。

大腸内視鏡検査2022

今年も終わった内視鏡検査。年に一回必ず受けるようになって何回目か。潰瘍性大腸炎になって13年くらい。最近はまったく普通と遜色なく生活している。

はっきりいって内視鏡検査を受けなくてもいい気もするのだが、予防医療の一環ということでなんとか年1でやっている。

いろいろな検査があるが、大腸内視鏡は人々が敬遠したいものの一つではないだろうか。
なにせ、尻の穴をほじくられるという恥辱に耐えなくてはならないのだから。

とはいえ、俺はもう慣れに慣れてしまった。

今回の医者は殊更若い女医さんである。
新人ではなかろうかと見まがうばかり。
命に関わりないライトな医療行為だからか、スナック感覚で来ましたという感じ(どんな感じ?)。

俺くらいのベテランだからか微動だにしないが、ビギナーだったらきっとドギマギしてしまったんではなかろうか。なんせ、若い女に尻穴から器具を入れられるのだから。

ベテランの俺は、なれたもん。
破りやすくなっているパジャマみたいなのの尻の部分をさっと引き裂かれても顔色一つ変えない。
変えても困るけど。

しかし、挿入された器具がややコントロール悪く腸の中でこねくり回されてる感じ。
これは、やはり新人だな。
足が突っ張らかる俺。腹が苦しい…。

くそ、早くしろ姉ちゃん!
もう持たない、ウンチが出ちゃうかもしれない!
などともぞもぞしているうちに、チュポン!
と尻から解放された内視鏡カメラ。

いつもは、もっとソフトに外に出されるのに、吐き出されるように出されたカメラ。
なんか、えっという感じで終わってしまった。
そんなに俺の中は居心地悪かったか…と訳の分からない寂寥感に襲われながら。

毎回、検査する医者によって感じが違う内視鏡検査。
今回は、ちょっと新人さんの粗削りさが目立ったな。
なにわともあれ、今回もきれいな大腸である。

食生活が殊更いいともいえないけど、消化器官はしっかり機能してくれている。
健康な体に生んでくれてありがとう、と親に感謝したい。
いや、健康というか…難病だろう一応お前…、という突っ込みをいれつつ。

ADHDってまさにそれだろう…

発達障害というのは本当に難しい。かなり近くにADHDかなという人がいるので、最近はなんとなくそういうものだと分かり始めた。何でもそうなのだが、身近にいて初めてそのことについて勉強し始める。

ADHDというのは、アテンション・ディスオーダー(注意欠陥しょうがい)とハイパーアクティブ・ディスオーダー(多動しょうがい)が合さった脳の気質といわれている。人並外れて物忘れが激しかったり、いろいろなものに関心がいって集中できないなどが日常生活において生きずらさを感じてしまう2大要素である。

しかし、それ以外にも人によっていろいろな二次要素が出てくるため、定義するのは難しそうである。

とはいえ、その身近な人物はやはりADHDだと俺は思っている。ADHDってのは、例えば友達など多少距離がある人物ならば、面白いなこの人、このキャラクターなかなかいないな、などと魅力的に思えてしまう所作であったりする。

しかし、ひとたび一緒に暮らしたりすると、そのキツさに気が付く。財布やスマホなど比較的大事だと思われるものを、どこかに忘れる。これは、短期的には「おっちょこちょい」というカテゴリーである。女性の場合は、むしろ隙があり好ましいとすら思われるかもしれない。

しかし、それを3日に一度繰り返してみてください。地獄である。

俺も、最近家の鍵がついたキーケースをなくした。家の中にはあるはずだと思いながら、狂ったように探した。結局、布団の下にあった。その三日後にまたキーケースをなくした。また家の中で発見した。この2回だけでも恐ろしくストレスフルであった。これを繰り返しているんだとしたら、とてつもなく厳しい人生である。ぜんぜん笑えない。しかも、これは全ADHD気質の一部である。

最近タレントの木下優樹菜さんが、ADHDを公表して無茶苦茶叩かれまくっている。免罪符にするな!とか何とか…。

えっ?と思った。
なんと、ADHDの人を身近に持つ人も叩いている(コメント欄しかみてないけど)。俺からしたら、この間の悪さとか伝え方が、まさに皮肉にも彼女はADHDなんだということを証明したなと思って、ちょっとほっこりしているくらいだ。

これだからADHDの人は気の毒なのである。とくに日本では。

人の心の裡はわからない…が

またまた衝撃的なニュースであった。ダチョウ倶楽部の上島竜平がお亡くなりになったと。その前には俳優の渡辺浩之さんが…。二人とも自死らしい。様々なことが語られるだろうが、最終的には亡くなった本人しか真相がわからない…。それが自死の恐ろしさであろう。

家族がいて、仕事や仲間にも恵まれて、身体面も重い病気などがないなら、なぜ?と思ってしまう。実際なぜ?である。人の心の裡はわからないが、問題ないような人が自死に至ってしまうのなら、間違いなく少し前からうつ病を発症していたのだろう。

かれこれ二十代後半の時期、自分もうつを経験した。そして、文字通り死にかけた。その経験からわかるのは、死に至る前は、ほぼ毎日、毎時間、毎分、希死念慮に苛まれるのである。死にたいという願いが止まらないのだ。

結果、自分は「入院」というポケットに転がりおちたのだが、どんなポケットに転がるかは運である。あのころ考えていたポケットは、自死を筆頭に新興宗教に入信、クスリ、はたまただれかを殺す(これはなかば妄想であるが家族が最有力であろう)などなど破滅的なポケットばかりであった。

苦悩から逃れるために開いているものは禄でもないモノばかりである。これがうつ病の怖い所である。発症時に大きな決断をしてはいけないというのは、それその通りである。

どうすればいいか?これは大変難しい。しかし、おそらく、自死した人たちは不眠に陥っていただろう。シンプルだがまず第一には、不眠を解消しなくてはいけない。睡眠薬によってこれは可能である。そして、意外かもしれないが、第二に「元気をだしてはいけない」のである。

よく覚えているが、落ち込んでいるのが嫌だから元気を出そうと、いろいろ試みたことがある。友人に会いお酒を飲んだり、ギターを弾いて歌ったり。その時はいい、しかし、根本的には何も解決していないので、すぐに落ち込むのだ。

この元気→落ち込みは、落ち込み続けるより実はキッツイ。落差のある落ち込みは、ジェットコースターのようである。あんなに、元気になったのにコレかと思って自分に絶望してしまうのだ。あとは、元気になることで自殺をする行動力まで元気になっちゃうってのもある。

だから、うつ病の時は、とにかく現代医学の投薬治療でずっと寝てる。これがいいのだ。

そのうちに何か変化するだろう、くらいの気持ちで。
実際そんな簡単に切り替わらないけど、経験上一年くらいなんの情報にも触れず、寝っぱなしの廃人な生活を送っても、胸板がペラッペラになるくらいで大したことはない。元気になったらまた活動すれば、きっちりリカバリーする。

人の心の裡はわからない。でも、そのプロセスは経験上なんとなくわからないでもない。だからこそ、そのポケットに落ちてしまったことが、悲しい。そして、まわりの方々の悲嘆はいかほどのものか。でも、なんで?と思わないでほしい。答えはどうやったって出ない。

そうなってしまったのだから、運であり、ある意味仕方ないことであろう。まだまだ精神の病は恥ずかしいという感覚があるが、どんな時も、誰もがなりうり、特別なものではないのである。

無事復帰した

月曜から復帰して、やっとこさ週末。いや、今週頑張ったわ。内容的には、さほど頑張ってないけど2週間動かなかったあとだから、よく錆びついた体を動かせたって意味で。

なんだかんだ休んで迷惑かけたので、ほうぼうに謝りつつで…。
一番良かったのは、家族以外誰にもうつらなかったこと。それが、一安心。しかし、いろいろ人と会ったが、なんというかみんな優しい…。労りの言葉を受けて、なんて世界は優しいんだろうと思った。

おそらく、今やコロナは誰が感染してもおかしくない状況だからだろう。もはや、暴走した車にちょっと轢かれたくらいの事故感があるのかもしれない。

それをいいことに、コロナの話ばかりしていたら、ちょっと嫌がられた気がする。自分の症状だったり、どんなに大変だったかとか。なんてったって2週間家に引きこもっていたから、話題といえばコロナのことしかない。

ここぞとばかりに、その話ばかりしているとやっぱいやだよね。
なんつっても、楽しい話題ではないし。そんでもって、労わられたのも初日くらい。あとは、平常である。

しかしながら、死者数が上がっている現状を見ると、オミクロンとはいえやはりコロナはヤバイ。一番は、高齢の両親などにうつらなくてよかったと思う。自分のせいで誰か死んでたらこんなリラックスできないもんね。

療養期間あとわずか

やっと自宅療養期間が終わろうとしている。約10日。ほぼ家を出なかった、ごみ捨て以外は。

しかし、前半は喉痛に苦しんだ。後半は、なんだか無気力症候群でダラダラと過ごした。そうじて一番きつかったときは、息子が発熱して次々感染症状が妻俺で出たとき。それでも、コロナではないだろうと無理やり言い聞かせていた時。あの時が精神的にはきつかった。

その後、俺はとんでもないのどの痛みに七転八倒した。
それでも、やっぱり世間的な傾向と同じでコロナの症状は落ち着いた。

今一番怖いのは、また月曜からフルに働くこと。いやー面倒くさい。一度止まってしまうと動き出すのが大変だ。これは引きこもりの人にも通じる。たかが10日でこれだから…。一年とかひきこもってしまうと出てくるのが容易ではない。

でも、出てしまえばそれで1か月もすれば、なんとかなれるだろう。

今はただひたすら外に出て働くの面倒だ。いや、コロナの本当の目的はこれではないか!人間を怠惰にして絶滅させること。かなり回りくどいけどね。

喉痛い地獄収束…からの嗅覚異常

やっと喉痛地獄がおわり単なるイガイガっとした感じのみになった。いやぁ、きつかった。しかし、3日くらいとみせかけて4日かかった。この1日はデカい。一生このままだったら死を考えるくらいしんどかった。

痛みについてずっと考えていたのだが、痛いって個人感覚だから誰とも共有できんのよね。俺の痛さは半端ないのだけど、妻も痛いといっている喉が。でも、全然比じゃないよと俺は思うんだけど、でもその人の痛みの許容量って違うから、ひょっとしたら俺のほうが痛くないのかもしれない。でも、どう考えても飲み込むのも震えるくらいの痛みではなさそう、妻は。それを私だって痛いのよといわれても…まぁいいんだけど。

痛みを一瞬共有出来たら、これよ!この痛みだよ!?とわかってもらえるのだが。そうなると、出産時の痛みはどうだ。夫が共有したら失神してしまう男続出である。そう考えて、痛みの共有なんて碌なもんじゃないなと結論付ける。

なんだかんだで、自宅療養期間が半分ちょい来た。
体調が治ってくれば、あとはゆったりするのみ。なんだかやたら方々に心配されている。コロナって周りでも本当に近しい人でいなかったから、一家全員コロナがいきなり来て驚いている。近しい周りもそうだろう。なってしまえば、もうどうしようもない。これもいい経験として糧とするしかない。

などと感慨ふけっていたら、子供から何回も屁を吹きかけられた。
コラ!と一喝。くさっ!と言おうとして…
あれ、ん、いや、くさくない!?
まぁ、無臭の屁もあるだろう。気のせい気のせい。
と思いつつ、ちょっとにおいの強烈な芳香剤などを嗅いでみる。無臭。

いや、嗅覚ねーや、これ。
そう、嗅覚異常が発生した。軽症と軽視されているが、このコロナは俺を攻めすぎではないだろうか…。
スポンサードリンク
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

お問い合わせ