なにやら気のせいなのか親子の心中事件などが目立つ。
昨今の物価高や世情の不安を反映しているのだろうか。
単純にニュースで目立っているだけだろうか。
とても悲しい事件が多い…。
死にたいと思っている人が近くにいたらつい説得したくなるだろう。
普通の人ならそうだ。
なんていうか、死ぬ覚悟あるならなんでもできるやん みたいなのね。
あとは比較とか、アフリカの飢餓の人に比べればまだましだよーみたいな。
でも、説得みたいなのは死にたい人にとっては無意味どころか有害この上ないのだ。
おれも鬱の時にいろいろなことばを掛けられたり、鬱から回復した本をもらったりした。
そのときに分かったのは、
「言葉はほとんど役に立たない」という事実だった。
回復した人の本。
前向きな言葉。
成功体験。
全部、「できない自分」の証拠にしかならない。
あの状態の人間にとって、
他人の成功談は希望ではなく、圧だ。
鬱で死にたい人に特効薬はない。
抗うつ剤や精神安定剤はそれなりに有効だが、それで風邪みたいに全快することもない。
ただひとつ、はっきり言えるのは、
「時間」は効く、ということだ。
体感として、今この瞬間に強く死にたいと思っている人が、
一年後もまったく同じ強さでそれを維持していることは、そんなに多くない。
環境が変わったり、少しだけ余裕が生まれたり、
理由は様々だが、揺らぎは確実に起きる。
だから、まず必要なのは「時間を稼ぐこと」だと思う。
なので、ゆっくり休めというのは、ある意味で正しいのだ。
一度酷い鬱で死を望んだ知人に、こういったことがある。
3年たっても、同じ分量で死にたかったら死んでいいと。むしろ応援してやると。
今も彼は生きている。
あとは防げなかった自死に対して必要以上の罪悪感は不要であるということ。
自分だって、いまこの瞬間だって自殺しようと思えば容易にできる。
車の前に飛び出したり、へたしたらロープに首をかければいい。
そんな簡単に死ねるのだから、本当に死を望む人を死なせないためには四六時中監視していなければならない。
そんなの無理だろう。
死というのは厄介だ。遠くにあると思えば、すぐ隣で微笑んだりする。
全ての人が老衰で死ねないのだから、なんらかの死に選ばれるのだが自殺だけは周りのためにも避けたいと思う
