R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

日常

気が付いたら不登校児の親ではなくなっていた

十中八苦無理やろうな…と思っていた息子が、中学入学式から毎日ではないが順調に学校に通っている。
正直意外である。
約1年半の不登校生活で、心も体も学校というシステムを拒絶してきた。
途中からゲーミングフリースクールという荒業に出てしまい、親としては苦虫をかみつぶす心中だったが、
なぜかそこをやめて、中学に行く!という選択をした漢。
いろいろお調べさせていただいた限り、こういった子は多いらしい。

心機一転!中学から(もちろん公立)気合をいれる。
しかし、公立システムのガチンコさは小学校の比ではない。
あえなく、数日、数週間で再度不登校…となっている、方々が多い。
うちもそうかもしれん。と覚悟をしている。

いやいまもしているのだが、なんだか本気で楽しんでいる漢がそこにいるのだ。
部活で運動するわ、とか言っている。
なにより小学校で仲良かった友人がなぜか、公立に流れてきていてそれがハマったみたい。
やっぱ馴染みのある友人がいるって強いわな。

数日連続で行って一日休むというスパンでなんとかこなしているではないか。
そして、娘も別室だがもう二か月休まず小学校に行っている。
気付けばあれだけ地獄をみた、W不登校が解消されているではないか…。
こんな世界線があるんだと、目から鱗。
こんなに楽なんだ、学校に行ってくれているとと驚いた次第。

学校のクソ野郎といっていた自分を少し反省。
だって、給食あるしイベントあるし運動させる機能豊富だし、やっぱり健全なんだよなぁ。
一年以上毎日スマホを肌身離さずもってた息子が、朝から夕方6時まで触れてもないんだもん…。
デジタルデトックスもできちゃってんだもん。こんなん、親には無理だわ。

まぁ、不登校の親になるといつ何時また同じことが起こるか覚悟しているため、
油断はできないけど、いまはしばしこの時間を楽しみたいと思います。

ひきにくです!

ひきにくでーす!でブレイクした ちょんまげ小僧たちは今どこへ行ったのだろうか。
中学生ユーチューバーとしてかなり、人気だったな。
迷惑系に凸されたり、収益をめぐって争いが起きていると変な噂を立てられたりしてたね。
有名になると面倒なことも多いもんだ。

なにを隠そう息子もちょんまげ小僧ばりに、中学生になるのである。
とはいえ、六年生まるまる不登校で卒業式にもでないのである。
大分ハードルが高いと思うのだが、ノー勉強にて中学には行くという…。
どうなることやら、心配している。

学校でいい友人ができれば、なんとかなりそうだけど。
ちょんまげ小僧のような、5人組くらいでいい。
上出来である。まぁ、心配してもしょうがないよね。

心を配ると書いて心配である。
英語だとworry や care というのが心配という意味である。
今自分が持っているのはworry かな…。悪いことを考えちゃう心配である。
本来、careでいいのである。
起きたことをcareする。常々そうしていきたいなぁ。

生存者バイアス

日々影響されていることって、やっぱり巷にある情報。
テレビだったりネットだったり、雑誌とか?
でもそこにある情報は、発信者がいるんだよね。
たいてい発信できる人は元気。だったり、なにかトラウマがあっても乗り越えた人である。
たとえば、不登校のこと。
発達障害のこと。
情報としてだれかが発信しているものは、こういうことがあったけど、今はこんなに元気です。
や成功しています、となる。
でもね、その成功の影にはおびただしい数の脱落者がいるってことを忘れてはいけない。

目に見えるのは生存者たちの声。
災害でも、生存者がこうやって生き残ったってとこにフォーカスするけど、
だからってそれが正しいわけではない。
それをスタンダードにしてはいけないのである。

生存者以外に目を向けるのはしんどい。
でも、ずっと苦しみ続けている人も世の中には多い。
不登校で数十年ひきこもり。高齢になり家族間での負担となる。

そんななかでも、復帰する高齢ひきこもりの方もいる。
でも、それも生存者バイアスである。
希望ではあるが、稀少なのである。
人生いろいろ。みな四苦八苦しながら生きている。それも認める社会や自分でありたい。

サウナ

いやぁ、ほんとにサウナが俺は好きなのだろうか。
答えはわからない。
だがちょくちょく来て、サウナに入って水風呂ニセットなどをやっている。
気持ちは確かにいい。
ということはやはり整っているということか。
なんだ整うって。
色んな言葉を人は作るね 

正月のしょくあたり

久々のブログである。
昨年度はいままで経験したことがないくらい、長い一年であった。
これも子供らの不登校がなせる業であろう。ありがたくないわ…。
一年も不登校児と付き合っていると、いろいろな情報が入ってきて、もはや不登校がスタンダードになりつつある。
しかし、結局は進路が現われてくるからそうウカウカしてられないんだけどね。

今年は、アラフィフならぬフィフになるので健康に気を付けつつ、ポジティブに行きたい。
といっている間に実家で食べたお手製のおせちに食あたり(未確定だが…)子供らともどもしばらく下痢生活。
最悪である。

辛い日々は人を弱くするのだろうか…強くするのだろうか…
いまのところ答えはでない。
でも、価値観は無理やり変えることができそうである。

気付けば夏休みも終わりに近い…

ブログを二か月近く放置したのはお久しぶりである。
何気に、エネルギーって大事である。そう考えれば、猪木のいった「元気があれば、なんでもできる」って真理。
逆になければなんもできない…。

つって、別に元気がなかったわけでもないのだが、子ども二人の不登校から始まる生活全般の疲労はたしかにあった。
夏休みがこんなに早く感じるのも初めて。

学校行ってない子どもをもつ親にとって、夏休みって日常だからな!
むしろ、他の子も学校行ってない夏休みは、劣等感を感じないでいれるので精神衛生上かなりよいのだ。
そんなことも気付かなかったないままで。

相変わらず、学校に行く気はないのだが、フリースクールに通ってみたりいろいろやっている。
親としても、だんだん慣れてきている。一般のルートからはみ出すことをそこまで恐れるのもキモイなくらい感じ始めつつ。
まわりを見渡すと、結構不登校児がいて、そういう人と会う機会が増えているのもいい。

なにがが塞がれると、なにかが開放される。
こんな状況にならないと、開放されなかった機会や機能がたくさんあるんだよね。
まぁ、また新学期が始まるといろいろと大変なこともあるけど、心に余裕をもって過ごしたいなぁ。

しかし、関係ないが藤本美貴ってママとしてかなり人気あるけど、なんでやろ?
すごい人生相談でのアドバイスが浅い気がするけど…。まぁ、キレイだけどね。
子育てを語る番組でswitchの制限を15分にしてるとか、強烈な子供への圧迫を自信満々にいってたけど。親が絶対という自信がどこからくるのか…。
もはや普通の道を行っている子供を持つ親のアドバイスなんて、クソのやくにも立たないっす。

まぁ、おそらく子供が正道を歩いているうちは、誰もそんなことに気が付かないのであろう。

アドラーでお馴染みの岸見さんの子育て本を読んでいるのだが、子供を信頼し、尊敬する。
これは親としてのすさまじい、認識の反転努力が必要。

まだまだ自分には遠いなぁ。でも、子どもに学ぶことが多いので、尊敬はし始めているよ。

墓移転あとの墓参り

父の実家の長野より昨年、墓を埼玉に移転させた。
二代前の祖先からの檀家でありずっとお世話になってきた寺であるが、今後を考えるといろいろと大変なので、明朗会計のメモリアルパークに移した。
これ自体はとってもよい選択だった。たまたまお墓の場所を譲り受けることもできたので、いいタイミングといえた。
このまま父が亡くなってしまったあとになれば、その遠方の寺とずっと付き合っていかなければならない。
戒名がいくら、建て替えがいくら、とよくわからないお金を納めなければならない。
正直、いやである。しかし、恐らく住職よりいろいろと言われれば自分は従わざるを得ないのかもしれなかった。
葬式や何回忌などになっても、その住職を呼ばざるを得なくなり、旅費やら宿泊費、食事代などなども持たなくてはならない。
田舎で寺と密接な付き合いがあれば仕方がないのだが、もはやこちらはほぼ縁がない。
昨年は父が何度も寺を行き来して、なんとか籍を抜いて、移転ができた。助かった…という感じである。

とはいえ、近くにきたのに墓参りに行く機会があまりなかった。
ちょうど娘と実家に寄る機会があったので、両親とともに墓参りをしてきた。
メモリアルパークは本当にいい。一定の料金を払えば、永代そこで先祖を祀っていられる。掃除も行き届いており、四季折々の自然もある。
なににもまして、寺などとの付き合いがいらん!お経を読んでほしければ、住職をパークでレンタル(?)すればいいし、金額も一定。
キリスト教からいろいろな宗教が入り乱れているのも、いい。

晴れた日で、娘が張り切って墓をきれいに掃除してくれた。
IMG_3526

なんだかわからないが、女の子って掃除とかお世話が好き。息子は絶対やらない感じ。
ここで、先祖さまにお祈りをする。
祈る内容は、うちの不登校児2人にいい未来が来ますように、である。いや、祈られたほうも困るよね、この内容。
まぁ、今もっか悩んでいることはそれなので、ついついね。
少し心を洗濯して、墓地をあとにした。ちょこちょこ来られるといいなぁ。

チャリンコで36キロ走った

息子のたっての希望で立川までチャリンコで行ってきた。
なんだかんだ8駅くらいあったのか?もはや、何駅かわからんけどとにかく、15時に出て帰ったの22時半といえば、その過酷さが分かるだろう。
娘は置いていきたかったが、私も行く!という高らかな宣言のあと、俺のママチャリの後ろに乗り込むという暴挙。
電動自転車ではなく人力自転車である。同世代の平均よりは体重が少ないとはいえ、25kgを超える物体である。
いやこれ、いけるかな。キツイなぁ。

もっか不登校の息子、運動不足解消にちょっと出過ぎたことをする。一人で行けと言いたいが、そうもいかず付き合った。
しばらくタイヤの空気やクレ55でのメンテをしていなかったので、息子のチャリをメンテナンス。
驚くほど乗りやすくなったようで、その勢いでサイクリング旅スタート。

とりあえず、線路沿いを行くのがいいということで、チャキチャキと乗りこなす。
運動不足がウソのように早いペダリング!
あっというまに、俺が独り暮らしをしていた思い出の地、国分寺についた。
あぁ、小金井の大勝軒にチャリンコこいで行ったなぁ。かれこれ15年以上前の出来事だ。
あの頃も今も懸命に生きてたなぁ俺。ザ・ノスタルジックである。

IMG_3444
住んでたアパートの前でパチリ。まだまだ健在のボロアパートであった。(失礼)

順調にいったのもここまでか。この後道筋が難解になり、坂道を登ったりと大変だった。
中途にあったスーパーでアイスを買ってしばし休憩。
ここで、休憩の大切さを実感。アイスを食っただけでモリモリと湧いてくる活力。
残りの道をなんとか乗り切って、立川へ。この段階で19時過ぎ。
すぐに帰りたかったが、息子がここで思い出をつくるため、クレーンゲームをやる!(なぜ?)と。
止む無くチャリをとめて、タイトーのゲーセンへ。
IMG_3451

駆け足でクレーンをやり岐路につく。しかしここで、息子の自転車の電灯が壊れてることが発覚。日も暮れてあぶねぇ。
どうしよう。と思ったら、なぜか鞄の中に、本を照らすブックライトがあった。本に挟むクリップをチャリのかごに挟んでなんとか点灯。
備えあれば憂いなし。(だがこのブックライト途中で、外れて大破した)

なんとかかんとか、地元のガストまでたどり着いたのが21:30 夕飯を食べて、家へ到着。
しかしながら驚いたのは息子の体力。引きこもってゲームばかりやっていたとは思えない。
いやぁ、その体力あるんなら学校へ行ってくれという不登校親の定番文句を言いたくなるのをぐっと堪えた。

サイクリングの感想としてはチャリがあればどこへでも行けるなぁと。でも、夜は危ないなぁと。
そして、娘は終始後ろに乗っていたなぁと。それでいて、最後のほう疲れ切って寝たな。
娘曰く、こっちはこっちでケツが痛いんだって。

Xに散見する闇…

不登校や場面緘黙症について情報を得ようと元ツイッターいわゆるXを見ている。
最近頻繁に見ていると、興味のある関連情報にそった人とかが紹介されたりする。
不登校などは、不登校の親がその苦境ぶりをXに載せている。見ているだけで、共感するのだが、じきに鬱々とした気持ちにもなる。
共感ってしすぎると良くない節もあるのよ。
そんな折、不登校や起立性調節障害の当事者のアカウントに導かれる。これは必然かもしれない。
そして、さらに探索しているとひとつのアカウントに目が留まる。
odというのはいわゆる起立性調節障害のことなのだが、もうひとつオーバードーズという意味もある。
つまり薬物の過剰摂取である。
これをやっているアカウントに捕まると、芋づる式にでてくるわでてくるわ、リストカットの画像である。

こんなの載せてもいいのか?と思うくらい過激な画像である。ときに動画も伴うそれは、あまりにも凄惨である。
本人もたいてい希死念慮のある若者である。
この少子高齢化の時代に、若者がこんな希死念慮を抱えながら生きているなんて…。ショッキングが止まらない。

リスカは知っていたが、瀉血(通称シャケ)は知らなかった。
どうやら、このシャケ血管に細い針のようなストローをぶっさし、血を抜く行為なのだ。
かつて瀉血は医療的行為だったらしいが、これを十代の女の子がカメラの前でやっている。ぴゅーッと血が噴き出ているのである。
これは何をやってんだ!?と恐ろしく思った。

知っていただろうか。リストカットは、生きるためのもの。だそうである。
死にたくなった時に、リスカやシャケをするとその苦しみが和らぐのだそうである。
脳のドーパミンかエンドろふぃんだか知らんが、そういう作用があるのだそうである。

それを載せて、苦しみを訴える若者。
だれが彼らを救えるのだろう…。
友人も無理だ、親?うーん、燦燦たる気持ちになる。この世界は悲劇で彩られている。
その隙間に幸福があるのかもしれない。こちらから幸福のあちらへ行くには、死しかない。若者ならではのそんな跳躍がこわい。

久々ブログ

気付いたらブログ放置も1か月。やっぱ日々大変だとなかなか各余裕もないねえ。
4月を迎えても不登校継続中の息子。
親としては新しいクラスになって、心機一転一回でも登校してもらいたかったが無理な模様。
諦めて、いまはなんとかフリースクールに週何回か通っている。

年上の子などいろいろいるようで、友人ができてきているのでうまく通って欲しい。
自分の経験上もそうだが、ひとから受ける影響は絶大である。
絶対いろいろな人と交流して欲しい。

学校にいけないことによる損失も大きい。友達と過ごしたはずの時間。旅行、卒業式だってそう。そういうものを一切捨てるんだから、捨てたからこその新たなものも手に入れて欲しいなぁと思う次第。

まぁ、日々きつ過ぎて冗談にもならないことも多いが、生きてるだけで丸儲けの精神でいきたい。
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