R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

日常

中高年のおっさんの幸福とは…

あまりかかわりがなかったのだが、職場の70代のおじさんが昨年ひっそり亡くなったようだ。
もともと事業をしていたのか、裕福な方で知り合いずてに勤め始めて、悠々自適な感じで働いていた人であった。
恰幅がよく健康そうなおっさんだった。
そうそう、おなじ部署では結構嫌われていたようだ。
たしかに、生活感のない金持ちおっさんは嫌われるだろう。

昨年入院してから連絡が途絶えて、職場には来ず。
心配して今年に入り、入院先に連絡を入れたところすでに死去していたらしい。
なんと、身寄りが独りもいず、自治体のルールにしたがい荼毘に付された模様である。
まさかそんな風には見えなかった。
どうやら子どもも含めかつて家族もいたらしいが、離縁してそのまま。
きっと絶縁状態であったのだろう。

人はわからない。にこやかな恰幅のようい裕福なおっさんが、誰にも看取られず死ぬ。
昨年は、友人も孤立してしまった。
とりわけ男に多い気がするが、一人で死んでいくパターン。
シンプルに悲しいと思う。
どうせ死んでしまえば何もなくなるんだから…とも思うんだけどね。
さきの、職場のおっさんは、クリスチャンである。本来なら、キリスト教の葬儀でみなに送られてしかるべきだろう。
人の人生とは儚い。死んでしまえば、終わりである。

自分はどうだろうか。なんかわからんが、孤独とは無縁の生活を送っている。
経済的に全然稼げてないんだが、なんか精神的な充足度は高いのではないか。
そりゃ、日々過ごしてると自分の時間もないし大変である。
しかし、家族を愛でる気持ちは大きい。
この家族と絶縁状態になることなんて想像したくないなぁ。

一番年上だから最期は、みなに見送られながら幸せな人生だった…とつぶやいてい死んでいきたい。
そんな気持ちが募った日々である。

あっという間に2026年

ブログ2014年から初めて、今年で12年である。
意外と続いている。
ほとんど、日記のような感じで綴っているが、
読み返すとそれはそれで、自分史が振り返れていい。
ベトナムに仕事関係で行ったあたりから始めたのだが、
海外の旅はそれ以来行っていない。

航空運賃が高いから、今後はなかなか海外旅行もいけるかな?という感じである。
もっと行けるうちに行っとけばよかった。
これは、毎度思うことだが、行けるうちに、やれるうちに行動を起こすって
意外と難易度が高いのだろう。

昨年は、知らない人とバンドを組んで練習をしたのがなにより良かった。
行動をすれば結果があるの典型である。
今年も、新しいことにいろいろ取り組んでいきたいと思う。

赤坂のサウナ事故の怖さたるや

もちろん、プライベートサウナなどに行けるような経済的余裕は皆無である。
とはいえ、一か月に1、2回度程度スーパー銭湯的なところでサウナを楽しんでいる。
いわゆるエセサウナ―である。
きっかけは、高学歴ニートで有名なphaさんの著書を読んだことである。
あのphaさんがサウナに目覚める瞬間のみずみずしいエッセイがとても良かった。

そしてサウナのメカニズムは理解したのもよかった。
曰く、サウナで血行が活発になる→水風呂に入り血管が収縮する→水から出て椅子に座る。
この椅子に座ってゆっくり目をつぶるという行為が重要であったのだ。
収縮した血管が、すこしずつ元にもどってくる。
その際に、なにか得も言われぬ快感があるという。

たしかに、この椅子に座って目をつぶっているとき、
やたら聴覚が敏感になる。
心を無にすると、もはやメディテーションなのである。
普段の床に座っての瞑想はなんどか試したがピンとこなかった。
しかし、サウナ後が瞑想に近く、きもちいいーとなっていたのだ。
1度で終わらず、2回くらいローテで繰り返すのもエセサウナーっぽいでしょう。
その効能を完全に理解してたとはいいがたいが、趣味も少ないし
とりあえずサウナやってけというわけで、サウナが自分のリラックスの手段として定着していった。

そして今回の事件である。もはや、殺人事件に近いくらいの恐ろしさだ。
サウナからさぁ出ようと思って立ち上がったとき、のライフは経験がある人ならわかるが
もはや1くらいである。
ややフラフラなのだ。ギリギリまで我慢することで、次の水風呂が生きてくる(と教わっている)
なので、ギリギリまで耐えるのだ。
そう、ここでサウナから出られないなんてあり得ないのである。
あと一分も耐えられないから出るのである。
仮にもう少し耐えられるのなら、もう少し耐えてから出ているのである。

そこでドアが開かないなんてありえないのだ。
夫婦でプライベートを楽しんでいたらしい。
きっと席をたったところまでは、リラックスしていたのだろう。
そこから、出られないとなって絶望するまで
男性がどれだけ奮闘したかは続報で詳細に分かった。
その状況を脳内でシミュレーションするにつれ、こわくて震え上がる。
しかも最愛の妻も一緒など…。
最悪、一人だったらいい。まだ妻が生きていて、
幼い子供を託せるんだから。
とりあえず、木の柱に遺書でも書くかもしれない。
それができなかったのは、やはり夫婦一緒だったから
なにがなんでも生きて出なくてはいけなかったのだ。

ニュースなどでは、ドアノブ型はサウナでは非常識だ、などと語る専門家や玄人サウナ―が多い。

いやいや、だとしたら。
じゃあもっと先に誰かが批判しろよ。
きっと、ジローラモ以外にだって詳しい人が体験したり、見たりしていただろう。

その時点で、いやこれは危ないからやめなよ と言ってくれればよかったやん。

こういう高級店なんだから使うユーザーたちだってサウナの達人たちだろう。
ちょっとSNSに載せて、これは少し怖くないか…とでも呟けばよかったではないか。

結局は、その誰もが違和感なく楽しんでたんだろう。
あり得ないつくりではなかったということじゃないか。
非常ボタンが入っていないのは、たしかにわからないがあり得ないだろうけど…。

結局は、こういった事件が起きて、批判され再発防止などが叫ばれるのだ。
予防できる人は山のようにいたのだろう。
それは経営者が一番わるいのはたしかだが…

この夫婦は、プライベートサウナに警鐘を鳴らすために命を落としたのか…。
あまりにも可哀そうだ。
そんな命の使いたかってない。気の毒を通り越している。

エセサウナ―である自分自身も、サウナがもはやいいものかも不審に思いはじめている。
そういえば、サウナいったあとってやけに疲れているなとかいっちゃって。
しかし年の瀬に衝撃的なきつい事件である。

特性はその人との距離で感じ方が変わる

特に女性が苦労するだろう、相方の特性について。
カサンドラ症候群というのをご存じだろうか。
結婚後に相手がアスペルガー(またはその類似)と発覚。
共感性という結婚生活で最も大事なものが、欠如している相手に
朝から晩まで悩まされ、あげく精神を病んでしまうという症候群である。

とくにアスペルガー症候群を差別する意図はないのだが、
この共感性のなさ というか、配慮のなさは結構大変だ。
また、相手に気づかせることで相手が改善するようなものではなく、
むしろ、何がそんなに問題なのかとこちらを疑われる始末。

また、社会的に成功している人も多いのがこわいところ。
まるで、自分がわがままな人間のようにみられてしまうのだ。

仲が良い友人がいる。おそらくアスペルガーであろう。
天才的に頭がいい。学歴も半端じゃない。
ユーモアもある。
職場にて隣り合わせたことがある。
密着距離である。まずまず仲が良かったのだが、
0距離になると途端に、その人といるのが辛くなってしまった。
なんでかというと、とても正しいことをいう。いや言い過ぎるのだ。

仕事のやり方は千差万別。改善点はまぁあるだろう。
自分のやり方でやっていたある日、~くん、それ無意味だよ。
いや、そのやり方なんでするのか分からない。時間がもったいないよ。
事あるごとに、言われる。そして、こうしたほうがいいというのは確かに正しいのである。
でも、なんというか言い方というか、とにかくイラっとくるのである。
でも、本人にはそれがまったくわかっていない。

数か月ともにしたが、これ以上いたらヤバい、嫌いになってしまうというところで
部署が離れた。胸をなでおろしたのだ。
その人はキリスト教に深い信仰を持っており、そのおかげか人格的にかなりマイルドになっている。
それでも、キツかった。これが、飲んだり遊んだりするだけなら全然いいし、わからなかったろう。
変に、仕事みたいな真剣にやらなくてはいけない現場だとあぶり出されてくるのだ。

結婚生活だってそうだろう。二人のときは、いい。余裕がある。
しかし、子どもが生まれたとたんに、あぶり出されてくるのだろう。

こういう特性を込みで、結婚していればいい。
知らなかった場合が悲惨である。
人間の特性と言われると多様な感じがするが、実際に苦労するのは身内なのである。
マッチングとは何とも難しいものである。

分断されるジジイ

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もう40代後半になったら、一律にジジイでいいじゃないか。
そこそこ、臭いだろうし見た目もカバーできなくなってくるのだ。
もうジジイでいい。

昨今、イケオジなる言葉が流行っている。
ジジイのなかでも、いけてるジジイである。
かつて、レオンとかの雑誌で似たような言葉が流行ったことがある。
でわ、ダンディズムを醸し出すおっさんは、好かれるのか?
否。

逆に、モテを意識して気持ち悪いんだよね、知らんけど。
まぁなにを言いたいかといえば、
ジジイを分断するなと。
イケオジがあればその反対もでてくる。
そう、キモオジである。
ジジイは大体キモイんだからいいじゃないか、と。
イケてるじじいのほうが、一周回ってキモイだろうよ。

新しい言葉というのはなんらかの意図で生まれる。
誰かが囁いたイケオジという言葉もそうだろう。

たしかに、福山雅治はイケオジだ。
ただ、福山には俺も抱かれたい。
全オジサンが抱かれたいと思うくらい格好よろしいからだ。
キムタクもそう。
そういうのは、論外である。

でなく、普通のジジイがイケオジ然としてのがいやらしい。
絶対抱かれたくないからな。
とにかく、同じ穴のムジナを言葉によって分断することは
避けて欲しい。
ただのジジイなんだから。

今年の暑さは異常だと毎年いうが

毎年暑さに関しては、繰り返される異常気象。
でも、今年は本当の本当に異常である。
暑い、暑すぎる。
そして、怖いのがこれは収まることはないということ。

ここ何年も上がり続けている。
30度超えたら猛暑と考えていたけど、
もはや30度なんて涼しい感じがしてしまう。

いまや体温を超えてくる恐ろしさである。
エアコンは常時入れているが、電気代も高騰しているし
環境にも悪いだろう。
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ヒグマが人を襲うというニュースもあり、
年々地球環境が悪化している感がある。

クマの生きる環境を破壊しておいて、
人間の目の見えるところに出てきたら、騒いで殺害。
地球から見たら、どちらが害獣かという感じになるなぁ。

墓をうつしたのは親孝行だったな

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約2年前に先祖代々の墓を移した。長野の上田市でずっとお寺の檀家としてお世話になっていた墓である。
とはいえ、実家は埼玉なので行くのは大変である。
昔は、ドライブがてら行っていた場所だが、高速を含めて片道3時間。80歳過ぎた老齢には厄介である。
自分が亡くなった後、墓をどうしようか気を揉んでいた父であるが、ひょんなことから妻の母の両親のお墓が使われておらず、ちょうど空いていたということが判明した。

これまた、埼玉にありメモリアルパークという檀家制度がない自由な墓地である。
聞くところによると、持ち主の方々はキリスト教になり、共同墓地に入ったらしいのである。

墓地というのはどうやら売れないらしく、そのままにしていたとのこと。
そのことが判明して、とんとん拍子とはいかないまでも、今までの檀家である寺と交渉して、
墓じまいし、あらたに開いたのである。

その時は感じなかったが、墓を移転した効果は絶大で有った。
そもそも、現時点で長野の墓には行けない。独身の姉がいるが、腰を悪くして車が運転できないという大惨事。
父が認知症になったりして、墓どうしようと…と動き出しても遅いので、本当に運が良かったのだろう。

自分の代になったとして長野にある墓をどうすることもできない。
檀家なので、何かの折に寄付をせがまれるし、墓じまいしようったってそう簡単にはいかない。
墓を無くしたとして、自分の父母はどこに行けばいいのか、祖先は?
形がないものだけに、頭を悩ませていただろう。

今は、年に一回の管理費さえ払えばきれいな墓地で、実家からも15分くらいなので両親も年に4回くらいは行けている。
ここはいずれは、自分そして、順当に行けば息子が継ぐ墓地…。いや、継ぎたくないだろうけどね。
とはいえ、お盆の時期に墓参りしてきたが、やはり少し晴れ晴れした気分になる。

祖先になにをお願いしたか…いや、もっか不登校の息子と緘黙の娘の行く末である。
美味い具合に、見守ってほしいね。

子どもを産んで育てる人生はそうじゃないものよりハードである

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DINKSという言葉。ダブルインカムノーキッズ、というらしい。
共働きしつつ、子どもは持たない。
好きな人と、経済的、時間的に余裕をもって人生を生きる。
素晴らしく羨ましい人生である。

子どもを持つまで3年くらいあった。
休暇には、旅行に行く。旅行の計画をたてるのも楽しかった。
週末は、どこぞの美味しい居酒屋やレストランをみつけて、舌鼓する。
寝たいときに寝て、夫婦喧嘩も最小限。
本当によい三年間であった(今思えば)。

子どもを二人もった今。
日々がめちゃめちゃキツイ。
経済的にも時間的にも。
そして、夫婦喧嘩の質もきわめて危険水域のものも多くなった。
客観的にみると、子どもをもつと本当に余裕がなくなるのだ。
将来への不安も、倍増する。

自分の人生を自分でコントロールしたければ、子どもは持たない方がよいのかもしれない。

でも、今現在の道のりを考える。
子を持たなかった十数年なら二人、どうだったろうか。
恐らく毎年楽しく暮らしていただろうな。
人生イージーモードに違いない。

お金を稼ぐためにダブルワークなんてしてないだろう。
時間と経済的にも余裕のある暮らしを享受して、最後を全うする。

でもね。
子供がいた人生ならどうだろう?
それを何かの節にふと思うことは多かったかもしれない。
そして、それは一生涯つかむことのない夢になっていただろうね。

子どもを授かってからのこの怒涛の十数年。
ハード過ぎである。子供が不登校になってさらなるスーパーハードな状況だし。
でも、子どもがいなかったらなぁ と思うことはない。
この人以外と結婚してればなぁ…もないのである。

子を授かって育てることは、それがどうあれ自分の人生を肯定できることなのかもしれない。
この二人じゃなきゃ、誕生しない生命を目の前に生きることの尊さというか…。

独身や子のいない人たちを下に見るとかじゃない。
たまたま、子を育てる人生になっただけである。それだけであるが、すんごいやり切ってる感がある

気が付いたら不登校児の親ではなくなっていた

十中八苦無理やろうな…と思っていた息子が、中学入学式から毎日ではないが順調に学校に通っている。
正直意外である。
約1年半の不登校生活で、心も体も学校というシステムを拒絶してきた。
途中からゲーミングフリースクールという荒業に出てしまい、親としては苦虫をかみつぶす心中だったが、
なぜかそこをやめて、中学に行く!という選択をした漢。
いろいろお調べさせていただいた限り、こういった子は多いらしい。

心機一転!中学から(もちろん公立)気合をいれる。
しかし、公立システムのガチンコさは小学校の比ではない。
あえなく、数日、数週間で再度不登校…となっている、方々が多い。
うちもそうかもしれん。と覚悟をしている。

いやいまもしているのだが、なんだか本気で楽しんでいる漢がそこにいるのだ。
部活で運動するわ、とか言っている。
なにより小学校で仲良かった友人がなぜか、公立に流れてきていてそれがハマったみたい。
やっぱ馴染みのある友人がいるって強いわな。

数日連続で行って一日休むというスパンでなんとかこなしているではないか。
そして、娘も別室だがもう二か月休まず小学校に行っている。
気付けばあれだけ地獄をみた、W不登校が解消されているではないか…。
こんな世界線があるんだと、目から鱗。
こんなに楽なんだ、学校に行ってくれているとと驚いた次第。

学校のクソ野郎といっていた自分を少し反省。
だって、給食あるしイベントあるし運動させる機能豊富だし、やっぱり健全なんだよなぁ。
一年以上毎日スマホを肌身離さずもってた息子が、朝から夕方6時まで触れてもないんだもん…。
デジタルデトックスもできちゃってんだもん。こんなん、親には無理だわ。

まぁ、不登校の親になるといつ何時また同じことが起こるか覚悟しているため、
油断はできないけど、いまはしばしこの時間を楽しみたいと思います。

ひきにくです!

ひきにくでーす!でブレイクした ちょんまげ小僧たちは今どこへ行ったのだろうか。
中学生ユーチューバーとしてかなり、人気だったな。
迷惑系に凸されたり、収益をめぐって争いが起きていると変な噂を立てられたりしてたね。
有名になると面倒なことも多いもんだ。

なにを隠そう息子もちょんまげ小僧ばりに、中学生になるのである。
とはいえ、六年生まるまる不登校で卒業式にもでないのである。
大分ハードルが高いと思うのだが、ノー勉強にて中学には行くという…。
どうなることやら、心配している。

学校でいい友人ができれば、なんとかなりそうだけど。
ちょんまげ小僧のような、5人組くらいでいい。
上出来である。まぁ、心配してもしょうがないよね。

心を配ると書いて心配である。
英語だとworry や care というのが心配という意味である。
今自分が持っているのはworry かな…。悪いことを考えちゃう心配である。
本来、careでいいのである。
起きたことをcareする。常々そうしていきたいなぁ。
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