R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

日常

サウナ

いやぁ、ほんとにサウナが俺は好きなのだろうか。
答えはわからない。
だがちょくちょく来て、サウナに入って水風呂ニセットなどをやっている。
気持ちは確かにいい。
ということはやはり整っているということか。
なんだ整うって。
色んな言葉を人は作るね 

正月のしょくあたり

久々のブログである。
昨年度はいままで経験したことがないくらい、長い一年であった。
これも子供らの不登校がなせる業であろう。ありがたくないわ…。
一年も不登校児と付き合っていると、いろいろな情報が入ってきて、もはや不登校がスタンダードになりつつある。
しかし、結局は進路が現われてくるからそうウカウカしてられないんだけどね。

今年は、アラフィフならぬフィフになるので健康に気を付けつつ、ポジティブに行きたい。
といっている間に実家で食べたお手製のおせちに食あたり(未確定だが…)子供らともどもしばらく下痢生活。
最悪である。

辛い日々は人を弱くするのだろうか…強くするのだろうか…
いまのところ答えはでない。
でも、価値観は無理やり変えることができそうである。

気付けば夏休みも終わりに近い…

ブログを二か月近く放置したのはお久しぶりである。
何気に、エネルギーって大事である。そう考えれば、猪木のいった「元気があれば、なんでもできる」って真理。
逆になければなんもできない…。

つって、別に元気がなかったわけでもないのだが、子ども二人の不登校から始まる生活全般の疲労はたしかにあった。
夏休みがこんなに早く感じるのも初めて。

学校行ってない子どもをもつ親にとって、夏休みって日常だからな!
むしろ、他の子も学校行ってない夏休みは、劣等感を感じないでいれるので精神衛生上かなりよいのだ。
そんなことも気付かなかったないままで。

相変わらず、学校に行く気はないのだが、フリースクールに通ってみたりいろいろやっている。
親としても、だんだん慣れてきている。一般のルートからはみ出すことをそこまで恐れるのもキモイなくらい感じ始めつつ。
まわりを見渡すと、結構不登校児がいて、そういう人と会う機会が増えているのもいい。

なにがが塞がれると、なにかが開放される。
こんな状況にならないと、開放されなかった機会や機能がたくさんあるんだよね。
まぁ、また新学期が始まるといろいろと大変なこともあるけど、心に余裕をもって過ごしたいなぁ。

しかし、関係ないが藤本美貴ってママとしてかなり人気あるけど、なんでやろ?
すごい人生相談でのアドバイスが浅い気がするけど…。まぁ、キレイだけどね。
子育てを語る番組でswitchの制限を15分にしてるとか、強烈な子供への圧迫を自信満々にいってたけど。親が絶対という自信がどこからくるのか…。
もはや普通の道を行っている子供を持つ親のアドバイスなんて、クソのやくにも立たないっす。

まぁ、おそらく子供が正道を歩いているうちは、誰もそんなことに気が付かないのであろう。

アドラーでお馴染みの岸見さんの子育て本を読んでいるのだが、子供を信頼し、尊敬する。
これは親としてのすさまじい、認識の反転努力が必要。

まだまだ自分には遠いなぁ。でも、子どもに学ぶことが多いので、尊敬はし始めているよ。

墓移転あとの墓参り

父の実家の長野より昨年、墓を埼玉に移転させた。
二代前の祖先からの檀家でありずっとお世話になってきた寺であるが、今後を考えるといろいろと大変なので、明朗会計のメモリアルパークに移した。
これ自体はとってもよい選択だった。たまたまお墓の場所を譲り受けることもできたので、いいタイミングといえた。
このまま父が亡くなってしまったあとになれば、その遠方の寺とずっと付き合っていかなければならない。
戒名がいくら、建て替えがいくら、とよくわからないお金を納めなければならない。
正直、いやである。しかし、恐らく住職よりいろいろと言われれば自分は従わざるを得ないのかもしれなかった。
葬式や何回忌などになっても、その住職を呼ばざるを得なくなり、旅費やら宿泊費、食事代などなども持たなくてはならない。
田舎で寺と密接な付き合いがあれば仕方がないのだが、もはやこちらはほぼ縁がない。
昨年は父が何度も寺を行き来して、なんとか籍を抜いて、移転ができた。助かった…という感じである。

とはいえ、近くにきたのに墓参りに行く機会があまりなかった。
ちょうど娘と実家に寄る機会があったので、両親とともに墓参りをしてきた。
メモリアルパークは本当にいい。一定の料金を払えば、永代そこで先祖を祀っていられる。掃除も行き届いており、四季折々の自然もある。
なににもまして、寺などとの付き合いがいらん!お経を読んでほしければ、住職をパークでレンタル(?)すればいいし、金額も一定。
キリスト教からいろいろな宗教が入り乱れているのも、いい。

晴れた日で、娘が張り切って墓をきれいに掃除してくれた。
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なんだかわからないが、女の子って掃除とかお世話が好き。息子は絶対やらない感じ。
ここで、先祖さまにお祈りをする。
祈る内容は、うちの不登校児2人にいい未来が来ますように、である。いや、祈られたほうも困るよね、この内容。
まぁ、今もっか悩んでいることはそれなので、ついついね。
少し心を洗濯して、墓地をあとにした。ちょこちょこ来られるといいなぁ。

チャリンコで36キロ走った

息子のたっての希望で立川までチャリンコで行ってきた。
なんだかんだ8駅くらいあったのか?もはや、何駅かわからんけどとにかく、15時に出て帰ったの22時半といえば、その過酷さが分かるだろう。
娘は置いていきたかったが、私も行く!という高らかな宣言のあと、俺のママチャリの後ろに乗り込むという暴挙。
電動自転車ではなく人力自転車である。同世代の平均よりは体重が少ないとはいえ、25kgを超える物体である。
いやこれ、いけるかな。キツイなぁ。

もっか不登校の息子、運動不足解消にちょっと出過ぎたことをする。一人で行けと言いたいが、そうもいかず付き合った。
しばらくタイヤの空気やクレ55でのメンテをしていなかったので、息子のチャリをメンテナンス。
驚くほど乗りやすくなったようで、その勢いでサイクリング旅スタート。

とりあえず、線路沿いを行くのがいいということで、チャキチャキと乗りこなす。
運動不足がウソのように早いペダリング!
あっというまに、俺が独り暮らしをしていた思い出の地、国分寺についた。
あぁ、小金井の大勝軒にチャリンコこいで行ったなぁ。かれこれ15年以上前の出来事だ。
あの頃も今も懸命に生きてたなぁ俺。ザ・ノスタルジックである。

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住んでたアパートの前でパチリ。まだまだ健在のボロアパートであった。(失礼)

順調にいったのもここまでか。この後道筋が難解になり、坂道を登ったりと大変だった。
中途にあったスーパーでアイスを買ってしばし休憩。
ここで、休憩の大切さを実感。アイスを食っただけでモリモリと湧いてくる活力。
残りの道をなんとか乗り切って、立川へ。この段階で19時過ぎ。
すぐに帰りたかったが、息子がここで思い出をつくるため、クレーンゲームをやる!(なぜ?)と。
止む無くチャリをとめて、タイトーのゲーセンへ。
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駆け足でクレーンをやり岐路につく。しかしここで、息子の自転車の電灯が壊れてることが発覚。日も暮れてあぶねぇ。
どうしよう。と思ったら、なぜか鞄の中に、本を照らすブックライトがあった。本に挟むクリップをチャリのかごに挟んでなんとか点灯。
備えあれば憂いなし。(だがこのブックライト途中で、外れて大破した)

なんとかかんとか、地元のガストまでたどり着いたのが21:30 夕飯を食べて、家へ到着。
しかしながら驚いたのは息子の体力。引きこもってゲームばかりやっていたとは思えない。
いやぁ、その体力あるんなら学校へ行ってくれという不登校親の定番文句を言いたくなるのをぐっと堪えた。

サイクリングの感想としてはチャリがあればどこへでも行けるなぁと。でも、夜は危ないなぁと。
そして、娘は終始後ろに乗っていたなぁと。それでいて、最後のほう疲れ切って寝たな。
娘曰く、こっちはこっちでケツが痛いんだって。

Xに散見する闇…

不登校や場面緘黙症について情報を得ようと元ツイッターいわゆるXを見ている。
最近頻繁に見ていると、興味のある関連情報にそった人とかが紹介されたりする。
不登校などは、不登校の親がその苦境ぶりをXに載せている。見ているだけで、共感するのだが、じきに鬱々とした気持ちにもなる。
共感ってしすぎると良くない節もあるのよ。
そんな折、不登校や起立性調節障害の当事者のアカウントに導かれる。これは必然かもしれない。
そして、さらに探索しているとひとつのアカウントに目が留まる。
odというのはいわゆる起立性調節障害のことなのだが、もうひとつオーバードーズという意味もある。
つまり薬物の過剰摂取である。
これをやっているアカウントに捕まると、芋づる式にでてくるわでてくるわ、リストカットの画像である。

こんなの載せてもいいのか?と思うくらい過激な画像である。ときに動画も伴うそれは、あまりにも凄惨である。
本人もたいてい希死念慮のある若者である。
この少子高齢化の時代に、若者がこんな希死念慮を抱えながら生きているなんて…。ショッキングが止まらない。

リスカは知っていたが、瀉血(通称シャケ)は知らなかった。
どうやら、このシャケ血管に細い針のようなストローをぶっさし、血を抜く行為なのだ。
かつて瀉血は医療的行為だったらしいが、これを十代の女の子がカメラの前でやっている。ぴゅーッと血が噴き出ているのである。
これは何をやってんだ!?と恐ろしく思った。

知っていただろうか。リストカットは、生きるためのもの。だそうである。
死にたくなった時に、リスカやシャケをするとその苦しみが和らぐのだそうである。
脳のドーパミンかエンドろふぃんだか知らんが、そういう作用があるのだそうである。

それを載せて、苦しみを訴える若者。
だれが彼らを救えるのだろう…。
友人も無理だ、親?うーん、燦燦たる気持ちになる。この世界は悲劇で彩られている。
その隙間に幸福があるのかもしれない。こちらから幸福のあちらへ行くには、死しかない。若者ならではのそんな跳躍がこわい。

久々ブログ

気付いたらブログ放置も1か月。やっぱ日々大変だとなかなか各余裕もないねえ。
4月を迎えても不登校継続中の息子。
親としては新しいクラスになって、心機一転一回でも登校してもらいたかったが無理な模様。
諦めて、いまはなんとかフリースクールに週何回か通っている。

年上の子などいろいろいるようで、友人ができてきているのでうまく通って欲しい。
自分の経験上もそうだが、ひとから受ける影響は絶大である。
絶対いろいろな人と交流して欲しい。

学校にいけないことによる損失も大きい。友達と過ごしたはずの時間。旅行、卒業式だってそう。そういうものを一切捨てるんだから、捨てたからこその新たなものも手に入れて欲しいなぁと思う次第。

まぁ、日々きつ過ぎて冗談にもならないことも多いが、生きてるだけで丸儲けの精神でいきたい。

気付けば4月…

もう4月か…。しかし、いよいよ春めいてきたのか暖かくなってきた模様。
毎年この季節は、新入社員や新入生を街角で見かける。
そして、息子といえば最終学年の6年生に…。
親の意向に反して、まぁ、相変わらず学校には行かないようである。

とはいえ、以前として外好きの息子。妻が探してきた、外へフリースクールへの登校を決めた模様である。
親としては、どこでもいいから行ってくれるとありがたいのである。
不登校児といえばフリースクールというイメージも多いが、じつは、不登校児でフリースクールに通っているのは3.7%とのこと。
約97%は家にいるのか…。なにやら愕然とする数字である。

たしかに、フリースクールって金がかかる。うちが通う予定のところもそうだが、マンションの一室でかなり怪しげ。
当たり前だが不登校問題を抱えている子たちなので、情緒も不安定で有ろう(わからんけど)。
体験にいったときに息子が話した感じだと、いじめを受けて不登校になった子もちらほらいるらしい。

かたや小学校は、大きな校庭もあり施設も巨大。栄養配分の行き届いた給食もある。そして、無料ときたもんだ。
親の立場からすれば、小学校にもどってくれたほうが経済的にもいいのだが、まぁしょうがない。
とりいそぎ、通ってくれるだけでよしとする。
桜を見ながら、平静をたもつ。

新所沢のパルコが閉店したらしい

2/29をもって新所沢にあったPARCOが閉店したらしい。

ここには、レッツシネマパークという映画館があって、小学生のころよく行った。
思い出深いのは、小学校の時友達と行ったこの映画館で見た「バックトゥザフューチャー」である。
とんでもなく、面白い映画を観たというあの興奮。
今もこの映画は自分の中でBEST3には入る名作である。

また、このころよくあったのが映画の二本立てである。
なにかを1本観たあと、エンゼル・ハートという映画が2本目に始まって、
こちらがなんだか心理的に怖い映画で、途中で友達と退出した。
シンプルに4時間も子供が映画見らんないよ!
そんな思いでもたくさんある。
というか、パルコについては、やはり映画館が大きかったなぁ自分の中で。

シュワちゃんのプレデターとかも観た。家族より友人といった記憶の方が多いのは、
やはり家から行きやすい距離にあったからであろう。

時は流れて、まったくパルコには足を運ばなくなってしまったが、常にこころの片隅にはあった。
やはり閉店してしまうのは寂しい限りである。
新所沢も徐々に開発されていくのかな?

少しやさぐれていた高校時代は、新所沢の駅前でパチンコをひそかに打って、パルコを人知れず散策した。
いややっちゃ駄目だけどね。
なにか、今考えると高校の時は、学校に行くといって、川越や新所沢のパチンコ屋に足を運んで、夕方までパチンコをやっていたという記憶がよみがえってきた。
息子の不登校に悩んでいる今であるが、いや、俺も結構学校嫌いだったのかもなぁと思う次第。
いや、学校サボってパチンコって結構ひでーないま考えると…。そして、成績はクラスでも下から2番目をキープ。

まぁ変なところに記憶が飛んだが、とりあえず、ありがとう新所のPARCOよといいたい。

新年の地震

1日に起きた石川の地震であるが、いまだに被災した人は厳しい暮らしである。
起きた当初はこんなに死者がでるとは思ってもみなかった。
なかでもクローズアップされる、家族を失った父親。

大きく報道された二人の父親がいたが、どちらもきつ過ぎる。
一人は仕事で後から参加するはずで、一人は警察官だから地震が起きたあとすぐに状況確認のため外にでた。
どちらも偶然、家屋倒壊の場所から離れていたため、死なずに済んだだけである。
こんな生き残り方をしたら、必ずサバイバーズギルドという心理状態になってしまう。
しかし、こういう事実をみると、神はいない!とか人は平等ではない!という
むなしさを感じてしまうなぁ。どんなことをすれば、こんな酷いことがおこるんだろう…。

自分だったらどうしよう。
考えても詮無いことだが、きっと生きていけないかなぁ…。
それでも、生きていかなければいけないなら、どうしよう…。

きっと、家族が出来た時点で自分の肉体は家族分割かれて、
一体化してしまう。
それを失うと、まともに生きてはいけない気がするなぁ。

せめて、こども一人だけでも残してくれれば生きる理由になるのに…。
これも詮無いことであるが、思ってしまう。

性被害や窃盗など、負の部分もクローズアップされるなか、
人間てなんなんだろう…と思う。

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