R太のざっくり雑記

40代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

雑感

平日の昼に見るライオンの交尾

いやぁ今年は夏が長い…。というか、九月半ばまで35度超えってあり得ない。
相変わらず子供らは不登校だが、が不登校になってよかったこともある。
ご家庭によって賛否だが、平日の施設がスカスカなことである。
例えば土日などは、激込みの多摩動物公園である。
平日の午前中に行ってみなさい。スッカスカ。未就学児を連れた親や外国人がちらっといるくらい。
それでいて、ライオンを見られるライオンバスなどは通常運転なので、ほぼ貸し切り状態。

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かぶりつきで、見られるので結構迫力がある。
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そんな中、ライオンバスに乗っているときにハプニングが起こった。
雄ライオンがおもむろに、雌ライオンにのしかかる行為、すなわち交尾が始まったのである。
「交尾を始めましたので、右斜め前をご覧ください」
のんびりした声で伝える運転手さん。
社内は小学生と俺のみ。
パンパンと交尾をして、どこぞへ向かう雄。ぐったりした雌。
当然、なにが起こったか疑問に思う子どもたちへ、ここぞとばかりに性教育をレクチャーした。
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いたした後に悠々と現場を去る雄 メスがなんというか…

もなんか、花のおしべとめしべが云々というホワッとした性教育ではない。
まさに今見たものを説明。チンチンとおまたを擦ると、ちんちんから白いのが出て赤ちゃんができるんだよ、と。
なんという雑な説明であるか…。

しかし、子供らは理解したようでパパとママもそれをしたのか?と問われ、した と答える。
気持ちが悪いという二人。いまはその感覚でいいだろう。
とりあえず、雄と雌があんな感じになって性器をこすると、子どもが生まれる。
だから、とても大変な行為だから簡単にやってはいけない。教訓を交えて教えた。

果たしてこんなのでよかったのだろうか?
性教育とはいつの時代も難しい。ただ、植物にたとえて語られるより断然教育的にインパクトがあったろう。生のライオンの交尾は、学校の授業10回分の価値はあったのでわ?と思っている。

現実逃避したくなるな

たまに現実逃避したくなることがある。
今なら、子供ら二人が不登校になり、妻が情緒不安定になり家庭内がだいぶ、揺れている。
それを受けて俺も、いろいろとやらなければいけないことも多い。
子供らの相手や、妻のケア。
経済的には、家計がひっ迫しだしたので、もう一つバイトを増やすという選択をしている。

メインジョブに早朝バイト、それにくわえ、週2くらいのバイトである。
齢50近くになって、トリプルワークって…。
まぁメインジョブのほうの給与がガーって上がればしなくてもいいのだが、それは難しいからね。

こうやって、余裕がなくなってくるとたまに逃避行したくなる。
どこか外国でも高跳びして、潜伏して暮らす。語学も話せないから非現実的なのだが、とにかく逃げたくなることがある。
しかし、逃げたところで問題は解決しないし、より深刻になるだろう。

思えば人間って自分ってコックピットにひとたび乗り込んだら、一生降りれないんだよね。
常に戦い続けていなくてはいけない。こいつは、きついわぁー
たまに、コックピットを降りて、別の人になったり別の動物に乗りこんだりしないととてもじゃないがやってられない。
そりゃ、乗り込んだのが福山雅治だったらいいよ。
それこそずっと乗ってられるきがする。

でもそうじゃない。何もかもから解放されてコックピットを降りたい!と思うんだけど、それって端的に言えば「死」 なんだよなぁ。
死ぬほどではない、ライトな逃避ってないかなぁ。
旅行行ったって結局、中身は自分だからな。

水風船1000個のおおはしゃぎ とまつりの後の後始末

先に風船がついたプラスチックの棒がいくつもあって、その元に水を入れてくとこの沢山風船が一気に膨れる。
そして、取ると口が結ばれている水風船が出来上がり。
どんどん量産されて最後には千個。とんでもない量の物を買ってしまった。
と後悔するも時すでに遅し。水風船といえば、お風呂の水面にぷかぷか浮いてよくても30個くらいではないだろうか?
それを投げて割って遊んで、まぁ30分もすりゃ片付けて終わり。

ところがこの千個風船。風呂の水面だけでなく内部まで浸透。いや、もう水風船風呂なのである。
浴槽に使っても、もっちりとした風船が体中をタッチするこの感触。これがぜんぜん気持ち良くない!
しかも、これだけあるとゴムくさい。
しばし遊んだ後、ゴムくさくて気持ち悪くなったと風呂場をあとにする子供ら。
いや、これどうすんだと。祭りの後のこの風船は…。
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さすがにその日に掃除するのはやる気がしなかった。
翌日になれば水風船がしおれているのでは?という淡い期待もあり。
しかし、一日くらいで萎れてたまるかよ!とばかりパンパンの空気圧感。
逆に頭にきて、そのパンパンを利用してハサミでツキまくって破壊した。
かれこれ一時間くらいやったかしら。
やっと終わりが見え、萎んだゴムをごみ袋で回収。大変すぎる。二度とこんなもん買うかと心に誓う。

愛に目覚める人

まわりで突然、愛に目覚める人。40代くらいからの女性に多い(勝手に推測)
知り合いでも、なにやら性格が急にオープンになった知り合いがいる。
SNSで顔をだしたり、いろいろなアピールが突然始まったり。
ヨガや瞑想などの文言も飛び交う…。そして、愛。

もうずいぶん昔だが、俺も精神的に追い詰められて病んでいた時期がある。
八方ふさがりで、どこにも逃げ場がない…。希死念慮を抱えながら、生きていた。
いっそ、この苦しみから救われるなら、宗教だってかまわない!と思ったさ。

ただ、SNSがほぼなく、情報が今のように簡単に手に入らない頃合い。
そういった、愛的なものにリーチせずに見事、病院に収容された。(いくとこまでいった…)

もしあの時期に、そういう闇にリーチする人々がいて繋がったなら、俺も愛の伝道師になっていたかもしれん。

その愛に目覚めた知り合い(女性)は、不登校の子供を抱えていた。
そうとうな苦しみがあったことが予想される。

とはいえ、その愛をまわりの既知の友人にも拡散しようとする。
当然、普通の人は煙たがるよね。
そうやって、愛のサークル外の人間関係が壊滅する。
これは、どうなんだろうなぁ。
まぁ、救われるからいいとは思うんだけど。なんとも言えん…。

芸能界で出会った一番…とかいう記事 最近増えたよね

有名な芸人さんや、タレントが芸能界に入って一番美しいと思った女優さんや、激怒された大御所、とかこの人にはかなわないと思った人とか、タイトルで誘導して記事を読ませるの最近多いなぁ。

あとは、そうそう、共演NGの人!とかが特に多いな。

たしかについ、読んじゃう。そして、ここが凄いんだけど何にも残らない。まぁ、時間の無駄だよね。毎回、だから何だよと思う。
ためしに今日の神田正輝が長い芸能生活で初めて驚いた俳優という記事。
その人は、手塚とおる、とのこと。まずもって、誰やねんて。

こういう誰やねん系も多い。そして、暇だとそのタレントを調べてしまうというキツさ。そんで何も残らない。
まぁ、暇つぶしの記事だよね。だからどうした、と思ってしまう。
こういう記事が沢山あるから、頭のいい人は英語の海外ニュースしか見ないんだろうね。
わかる。でも見ちゃう。このジレンマの繰り返す。

石川佳純 じつは人気アイドルと親戚だった というのもあった。
いやいやどうでもいい、どうでもいい、でも誰だろう…この段階でもう取り込まれている。

HKT48の豊永さんとのこと。誰やねん。こちらも、さらなる記事で確かに似てる…という連鎖記事が。
こちらは、なんとか耐えた。
いやぁ、各地で戦乱も凄い時期に日本て平和だよね。って思う。悪いことではないかなぁ。 

ヤフーニュースのコメント欄の補足力

いまやニュースといえばネットのヤフーに掲載されるニュースが一番見られている。
あの限られた何文字かでタイトルを表現するのが、大変だというような番組もやっていた。
ヤフーニュースといえば、そのあとについてくるコメント欄である。
だれでも好き勝手コメントできるので、かなり辛辣なときに暴言に近いようなコメントも多い。
最初はこのコメント欄はいらんのでは、と思っていたが、意外とニュースを補足してくれるコメントも多い。

最近なるほどと思ったものがあった。
映画監督の園子温の性加害問題で、出版社と園が和解したという記事。
これにより、出版社が当該記事を削除したというものである。

この記事だけ見るとどうだろう。
そう、園子温が完全無罪を勝ち取ったようにうつる。
出版社のでっち上げ記事である。気の毒な監督であると、俺も思った。
何気に「自殺サークル」から「愛のむきだし」まで観ていて結構ファンである。

しかし、補足を何気に読むと、いや、この和解というのは無罪とは異なることが理解できる。
園子温に被害を受けたと訴えたタレントの女性がいた。
顔出し実名で訴えた彼女が、じつはその後自殺しているのである。
少し気になったので、見ていたから知っている。しかも、幼い息子がいたはずだ彼女は。
どれだけのプレッシャーをかけられたのか、想像に難くない。

和解とはつまり、女性が亡くなったことで性加害の証明が難しくなったのが大きな要因だという。
出版社ってのは、いっても営利企業である。それ以上戦って裁判費用がかさむことを望まない。
その時の雑誌やweb媒体の売上で十分稼いだので、これ以上かまえても仕方ないと考えて和解したのだろう。
勝訴じゃないところがミソである。ただの和解である。

日々流れていくトピックのみ見ていると、まったく異なった理解をしてしまいそうである。こわいね。
案の定ガクトかなんかは、そのままとったようで、SNSで無罪だったのにこれはどうするんだ?出版社 みたいな発言をしている。
ちょっとキツイな、と思うがまぁ仕方ないだろう。和解というパワーワードはそれだけ強い。

まぁそんなこんなで、ヤフコメで結構理解を補足されることが多いなと感じる。
逆に、これも違ったりしたらよくわからなくなるが、たぶん間違っていないだろう。
なにしろ、人間性的にそういう人だなぁと園ファンは少し思っているはずだ…。

論客のモテっぷりたるや…

いやしかし、宮台真司のもてっぷりたるや恐るべしである。
64歳で20歳の女子学生と逢瀬を重ねたという。
この年齢だったら、性犯罪がせきの山である。それが、自由恋愛に基づいてガッツリやってやがる。
羨ましい…いや、けしからん!!

だって、容姿だってたいしたことないじゃない。
なんだか、ふき取ったあとのティッシュみたいなしょぼくれた顔じゃないだろうか(失礼)。
しかし、ディベートになると圧倒的な強さとカリスマ性。
それでいて、たぶんだけど少年のようなナイーブさもじいさんの癖に持ち合わせているとみた。

じゃないと女子学生は無理だろう…。
監督や芸人による性加害問題が巷をにぎわせている昨今。
同意の上での恋愛みたいな感じになっているのが、すごすぎる。
そんなに、弁がたつってモテんのだろうか。
いやモテるんだろう。言葉というのは魔法みたいなもんだ。
五感で最後まで残るのは耳だ。
死ぬ間際まで、耳に残るのは言葉だ。
やはり言葉の使い手は、最強なのだろう。
羨ましさ通りこして、宮台真司になんだか、ありがとうといいたい。
まぁ、妻子もいる身で少し気持ち悪いけどねやっぱ。

小言をやめたいな

小言ってなんだろうなぁ、と。
主に子供に言うのだけど、このままじゃだめだよ、とか。
ちゃんと勉強しないと、将来 ああだこうだとか。

冷静に考えてもそんな先のこと分かるはずないのになぁ。
大人の小言って嫌だからね。
でも、子どもを見てると言いたくなっちゃう。

アドバイスなのかなんなのか。
たぶん、なにかあったときに「ほら、あの時俺がいったじゃないか」と言いたいための自己満足なんじゃないのかな。

ちっちゃいなぁ。
小言の代わりに大言を言ってみようかな。
勉強なんかしなくても、生きてればいいじゃない。
とか、
夜中にカップ麺、おいしそうだな。とか。
なんか、あれっ思うようなことをこの一週間言ってみようかな。
一週間言ったところで、まずいことにはならんだろう。

よし決めた、小言をやめて意外性のある大言を子供に投げかけ続けてみよう。

一か月以上ブログを放置

まぁたいして誰もみてないのだが、一か月以上放置したのは久々かなぁ。
理由は多忙によるものである。
何気に仕事の合間に書いたりしてるので、仕事が忙しかったのだろう。

実際にブログを書く時間までないのか、と言われれば否であるが、
気持ち的に余裕がないと人間は、あるはずの余白も見えなくなってしまうのである。
11月後半からちょっと忙しかったなぁ。

今はずいぶん余裕がある。凪のような状態である。
年末は読んだ本をまとめて今年一番良かった本を選ぶのだが、
今年は、そんなことせずとも、凪良 ゆうの「汝、星のごとく」であろう。
いや、これはマジでよかった。

その後著者が、どうやら児童養護施設で育ったという、過酷な生い立ちの人で二度ビックリである。
体験から紡ぎだされる強烈な和音。削って磨いてきたストーリーテリング。
なにか鬼気迫るものを感じさせる。

とはいえ、過酷な経験をすれば、才能が開花するかといえば自分の経験上、否である。
なにか、そんな気がしてしまうだけである。
そこに、血のにじむような努力が加わらんといかん。

自分もかつて、執筆にいそしんだことがある。(いや、ちょっとだけね)
やや過酷だった原体験をもとに書いてやろうと目論んだが、もともと飽き性だからか
まったく続かなかった…。

とはいえ、夢は海外や自然の多いへき地で、小説やエッセイを書いて暮らすことである。
なんかいい手はないかなぁ。

学校に行かなくてもいい 逃げてもいい

夏休みの終わりに、有名人などによって啓発される記事が目に付く。
学校に行かなくてもいい。概ねそんなような記事である。
これには理由がある。

日本の自殺者数は、一時期に比べて減退している。
ところが小中学校を含む若年層は、その割合を高めているのだという。
不登校になる子供の割合も、昔に比べると格段に高い。
学校に行けない、行きたくない自分を苦しめて、自死してしまうくらいなら、
そんなもの捨ててもよい。専門家や有名人がこの時期そうやって呼びかける。

影響力がある人が言うそのような記事は、果たして効果があるのだろうか…。
難しい所である。

嫌な言い方をしてしまう。
たとえばである。
過酷な不妊治療の末、子どもを授かった人と、同じような治療の末、諦めた人。
同じような体験を語ったとしても、そこには厳然たる差がある。
子がいるか、いないか である。

子がいる人の語る不妊治療の苦しみが、果たして現在苦しんでいる人に響くだろうか。
何でもそうであるが、抜け出た人はある意味の勝者である。意図せずに強者になってしまう。
そこからのアプローチは、あきらめなければ道はあるというアプローチである。
なぜかって、自分が子を持ちながら、夫婦二人の生活も楽しいよ!とは言えないからである。

かたや、治療を諦めた人が語る経験談は、壮絶である。その先に、絶望があるからである。
不妊治療中の人の希望は唯一、子を授かることである。
そんな絶望は見たくないのである。

結果どちらの経験談も、響くことがないまたは、自分事にできないのである。

どこまでいっても、自分を救うのは「今現在、自分と同じ立場で苦しみを味わっている人」なのかもしれない。
ある種の傷の舐めあいこそが、唯一苦しんでいる人を救うのだろう。

過去にそうだった人が語る経験談は、一定の面白さがありコンテンツとしていい。
ただ、その向けたターゲット層には届かないかもしれない。
不登校になる怖さは、タイムリーなものである。
刻一刻と落ちこぼれていく怖さ。
親にとっては、我が子がどんどん引きこもりに近づいていく恐怖。

こういうタイムリーの怖さを緩和することはできない。
ただこの恐怖を味わうことで、将来の自分は人の痛みがわかる人間になるだろう。
無駄ではない。恐怖を恐怖そのものとして味わい、一日を死なずに生きる。
それしかない。
「わたしは傷を持っている。 でもその傷のところから、 あなたのやさしさがしみてくる。」
星野富弘の詩である。

傷をもっているからこそ、人のやさしさが感じられる。名言である。
死なない程度に傷つき、そこから立ち直ること。
きっとそれができる、と信じて今の苦しさに耐えるしかないのであろう。
そこに同じような仲間がいれば、心強い。
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