R太のざっくり雑記

50代おじさんです。ベトナム出張がブログの書き始め。現在は、育児や料理、英語など興味のあることをざっくり備忘録として記してます。質はともあれ、なるべく頻繁に更新します!

雑感

AIによってなくなる職業の筆頭がコンサルという実感

いや正直コンサルタントがどういうものか、本質的には知らない。
そりゃマッキンゼーとかアクセンチュアとかアメリカ大手のコンサルのことはいってない(知らない)。
ではなく、中途半端なコンサルである。

ある意味でいえば、町の高齢者向けのパソコン教室などもコンサルだ。
知らないだれかに、その生活が豊かになるようになにかを教えるのが、コンサル。
企業的なというよりも、対個人のもの。

「ヤフオク完全攻略ガイド」こんなのもコンサルのひとつといえよう。
そして、まさに最近知人からもらった化石をヤフオクでだしたいなぁと思ったときに、
この攻略ガイドではなく、チャットGPTさんに相談したのだ。

そうしたらどうだ?
ものすごいことになった。
まずもって、AIのすごいことは個別に相談に乗ってくれるところだ。
出品したい画像をのせたら、すんごい具体的に戦略を練ってきた。

どうしたいを聞き出す技術も半端ない。
なんかしらないけど、会話が途切れないように分の最後に必ず質問をぶつけてくる。
そして、面倒なら答えなくてもいい。
AIは人間ではないので気分を害さないのだ。

まぁそんなこんなで、AIさんと一緒に出品したのだが、タイトル付から説明まで
具体的かつ有効なものをものの数十秒でぶっこんでくる。
この体験はもうだめだ。
こんな体験しちゃったあとに、だれが一般的なことがかかれた攻略ガイドを手にするだろうか。

恋愛指南書などもそう。
もはやちょっと躊躇するが、自分の容姿をAIに投げてみなさい。
どうすればいいか…具体的にモテル策を指南してくれるだろう。

いまはいい。ヤフオクに出したばっかりである。逐一いいね の数を報告している。
しかし、入札が入る気配はない。
これで結果がでてしまったらどうする?
もう、本格的にAI以外にはいけなくなるだろう。

モテ指南もそう。
それに従ったあとに、実際に彼女や彼ができたらどうだろうか。

いまは、AIの黎明期である。
すさまじい、具体策や対話能力に舌を巻いている段階だ。
具体的な結果というのは、まだ実体験している人は少ないのではないか?

しかし近々結果をともなった、経験がでてくるだろう。
そうなったときに、AIへの信頼性は不動になる。

そこからが、ちょっと怖いという気がしている。

死ぬ間際でも耳は最後まで聞こえているという説

耳という器官は一番強いという。
よくいうのは、死ぬ直前も耳だけは聞こえているという説。
そのわりには、耳が遠くなるのも早いが、どうなんだろう…。

でも、最近目より耳がやっぱ強いなと思う。
以前は、読書を趣味としていた。
が、目が疲れやすくなり老眼も重なるとなにかを読むという行為が、かなりしんどくなってきた。
でも、情報は得たい。
そうなると、耳で聞いて情報を得る。
不思議と耳はいくら聞いていても疲れるということがない。

voicy など音声だけのサービスを以前は需要あるのか?と思っていたが、
これはなかなか悪くないのである。
目から入る情報と耳から入る情報だと頭に残りやすいのも耳ではないか…と感じている。

最近は楽器もやるからか、音楽もよく聞いている。
電車での移動中は基本、本を読んでいたのだが
最近は耳にワイヤレスイヤホンを入れる機会が増えた。
読書好きとしては忸怩たる思いがなくはないが、
身体の衰えとはこういうものなのだろう。
できなくなったとしても、別のもので代替する。

たしかに人間は生まれたときに目はほぼ機能してない。0.01くらいの視力らしい。
しかし、耳は妊娠6か月くらいの胎児から機能しだすという。
おなかを通して様々な情報を耳でとりいれる。
(この説ただしいか?)
ということで、耳から生まれ耳を残して死んでいく人間にとって
耳というのは大事な器官なのである。

ただ、目が見えなくなるのと耳が聞こえなくなる障がいならどっちをとるかと言われれば、
耳が聞こえないほうを選ぶ。
だって、やっぱり家族の顔とかみたいじゃない。
耳は代替として手話があるからね。

体を売る若い女性たち

映画の炎上を見ていて思ったが、メンタルをやられた若い女性が繁華街に集う。
しかしメンタルが病んでいるので、いわゆる普通の仕事は難しい。
そうなると、もはや稼ぐ手段は体を売るしかない。
ある程度のノウハウを持っている先輩もいるから
やり方を覚えれば、若い女性であればだれでも体を売ることは可能である。

しかも、小一時間ほどで2~3万円を稼ぐことができる。
それでいて、高度なスキルはいらない。
なにしろ、買う方は風俗とは違う素人と性行為をすることが一番の目的だから
接客とかもいらない。若い女性がそこにいさえすればいいのだ。

新宿界隈の立ちんぼといわれるスポットに若くきれいな女性が性を売る。
自分が若いころは街頭に立つ女性はフィリピン人などの外国人が多かった。
そう考えると、かなり様変わりしてしまった気がする。

その様子をみて、失望したり非難したりしてもどうしようもない。
そこに立つ人には、そこに立つ事情があるのだろうから。
できるなら、やりたくないというのは本音だろう。
しかし、生きるためには仕方がないのかもしれない。

仕方がない…ほんとうだろうか。
自分の娘だったらどうだ?幼い時から手塩にかけて育てた娘が、
どこぞのじじいに、嫌々股を開く。
気が狂わんばかりに嫌だな。

結局は他人事なのである。たしかに動画で大久保界隈の立ちんぼなどをみて、
こんな美人さんが…などと思うのだが、ほとんどAVを鑑賞している気分なだけである。

そんなことはやめてくれ、と叫んだところで彼女らの食い扶持を与えられるわけでもない。
市場原理とはかくも残酷である。
会社ではそこそこの役職があるようなおっさんが、
娘の年代のような子たちを性的対象としてみて買う。

売春というは昔から存在する。
需要と供給にもとづいておこなわれていることは、
他者がどんなに理屈を述べても終わることはない。

近しい周りがそうならないようにサポートすることのみである。

オークションにハマる

一回り上の職場の友人がいて、たまに連絡をとっていた。
しばらく音信不通だったが今年に入って久しぶりに会った。
どうやら、白血病になっていて死線をさまよったようだ。
骨髄移植が成功していまは、経過観察しているとのこと。

その友人は、どうやら三葉虫の化石集めが趣味であったらしい。
化石といえば石にはめ込まれた形を一般的には想像するが、
彼の持っているのは一味ちがう。

発見時石の中にあった化石を、専門家が細かく削りながら
その正体をあらわにさせたものである。
三葉虫といえばコウロギみたいなのを想像するが、
いろいろな形のものがあり、なかには外敵が来た際に
体を丸める防御姿勢(エンロールというらいい)をとっているものもある。

そんな数々の化石のコレクションを、なんとくれるというのだ。
売ってもらってもかまわない…と。
なにか死を意識して断捨離をしてるとのこと。

まさか…いいのか。と思いつつありがたくもらうことに。
もともとメルカリで不用品の販売をしており、出品者レベルも8までいった俺。
ためしに化石をオークションで出してみた。
驚いた。数人がひしめき合って競り落とし合戦を繰り広げるくらい人気の品だった。
オークションって競ったことも出品したこともなかったんだが、
ものすごい楽しい。
自分をみんなが欲しがっている。告白合戦を受けているかのような気分になるのだ。
シンプルにきんもちいい!
数千円ガッとあげた人が競り落とすかに見えた数秒後に、それより少し多めの金額を出す何某。
終わる寸前まで続くオークション合戦を酒の肴に、どんぶり飯なん杯でもいけそうな感じである。

何事もやってみなければ分からない。
オークションの魅力に化石のおかげで目覚めてしまった。

朝の空いている電車のゲロトラップ

早朝バイトからの帰り。
週に一度リモート勤務をしているので、自宅にいそぐ。
車両が滑り込んできて、自分の前に泊る。外からみるに左手がガラガラだ。
よっしゃ余裕で座れると、乗り込んだ即座に目に入る床を汚すゲロ。
誰かが吐いてそのままの吐しゃ物。そりゃ誰も座らんなぁ。かなり広範囲でばらまかれている。
ちょうど前後の席の足元をすべて覆うようなソレラ。ちょっと、多すぎだろと。

もちろん、それを見て回避して別の座席についた。
そこから最寄りの駅につくまで…停車するたびに自分と同じような人たちが乗り込んでくる。
勢いよく乗り込んできては足元に気づいておじけづく人々…。

回避できているうちはいい。
なかに一人男性がまるで気づいておらず、足を一瞬すべらせた。
まわりに緊張が走った!ここですってんころりんしてみなさい。
一張羅がゲロまみれ。時間帯的に一日が始まる時間。
まるで自分の責任のないゲロにまみれる悲劇たるや。比類なき嫌さ…。
若かったからか、ころげずになんとか立て直した彼。よかった。
見ていた人々みな胸をなでおろした瞬間だった。

男女の二人組の男性も、似たような感じで転げそうになっていた。
同伴の女性がかなりの悲鳴をあげていた。わかるその気持ち。
こちらも回避できてよかった。

車内掲示板には、この車両に汚物がある。との警告を発している。
しかし、これから乗ってくる人には分からんだろう。

そんな緊張感あるステージを見届けて、駅についたので降りた。
この悲劇が何度繰り返されるのだろうか。
なかには本気で滑ってしまう人もいるかもしれない。
それを見ずに済んでよかった。

とても耐えられない。
モーニングルーチンを終えて、一番のお気に入りのファッションに身を包み
今日という日を素敵に生きようと願う人が、
一瞬の足元への不注意から汚物まみれになり、
一年でもっとも不幸な一日にランキングされかねない事態に遭遇するなんて…。

いやこの汚物多少なんとしろよ、吐いたやつと攻めたくもなるわ。

ミッドライフクライシス…なんとなくわかる

50歳を超えればある時代なら余命あと10年って感じだろう。
還暦なんてのは60歳を超えた長寿の人を祝う催しだったはず。
いまや60歳なんて若い若い…なんていっている。
干支だって60歳で一回りするのだ。

そう考えると、人生の終盤なのだが今の日本は長寿大国。
まだまだ、50歳はあと30年もあるという始末。
これは、大変である。

もちろん、子どもや嫁さんといつまでも一緒にいて、いろいろと人生の苦楽を共にしたい。
でも体や精神も衰えていくのだ。
若くて尖っていた(?)自分。万能感があった自分。
いまや、なーんもない。

とりわけ特別な仕事もしておらず、それでいてお金が必要だから
副業もしつつ頑張っている。
しかし、金があって毎日のんのんと暮らしていればそれで幸せかというとそうではない。
人生のモチベーションみたいなのが、グングンさがってくるのがこのミッドライフである。

よく言われるのが、自分だけの楽しみをみつける だとか。
仕事が人生の人はとりわけ、クライシスにおちいりやすいとか。
全然仕事が一番ではないんだけど、イマイチボーっとしている自分がいる。

好きだった小説もイマイチハマれる作品に出合えず。
これは、自分の感性が鈍っているからなのかもしれない。

鬱ではないし、やることがなくもなく、むしろ毎日はやや忙しめ。
たまにやる気をだしても、まぁ50過ぎてるしなとめんどくさくなってしまう始末。
みんな、どうしてんのかなぁ。

年末にあった友人はもれなく、登山やマラソン大会に出たりして運動系で発散をしている。
趣味ってことだろう。

性格柄同じようなことはしたくない。
とはいえ、サウナいったりバンド活動など趣味もあるっちゃある。
でもなんかピント来ない感じ。
ただぼんやりとした不安というか、テンション低め
これが芥川龍之介のただぼんやりとした不安なのだろうか。
いや自殺しちゃうから…
これがミッドライフクライシスの初めなのかもしれない。
なんつって

リスク分散としての家族の役割

妻の母親に体の不調があり入院する事態となった。
前年に癌があり、治癒したのだがその後遺症である。
妻の父はまだ働いており、介護的なことが限定的である。
そういったときに、活躍するのが娘である妻である。

普段から仲もよいので、惜しみなく介護的な手伝いをしていた。
もちろん、無償である。(多少の御駄賃あり…)

こういった時に、経済的な絡みなしに手助けになるのは、やはり家族である。
昔なんかは、老後を世話してもらうために子供を産むなんて、あからさまなことが言われていたが、
あながち間違いではないのかもしれない。

いま子供いらないとか、独身で楽しい。と人生を謳歌している人たちも
まさに体が資本で、健康な脳と身体があるからできていることであるといえる。

良く思っていたことがある。
たとえば20代で、結婚相手もいて仕事も充実していた女性がいたとする。
突然ALSなどの難病になったとしよう。
きっと、結婚相手は去っていくだろう。仕事もできなくなり、絶望する。
そんな女性を最前線で支えるのは親である。
この無償の愛的な支援は、ときに子供に向かうとヤングケアラーになるのだが、
ヤングケアラー問題をのぞくと、やはり家族が支えることになる。
しかも、多くは自主的にだ。
きっと、自分も自分を取り巻く家族が絶望的な状況におちいったら無償でしゃにむに支援するだろう。
この支援は、当然ながら人数がいたほうがいい。

今回の妻の件も、血縁の支援者が多いので一人に偏らずできている。
たとえ、その人に100人の友達がいたとしても、
ある種の損得はある。たかが友人だからだ。

そういう意味では、家族を作るというのは人生のリスクを軽減する手法の最たるものといえるし、
その効果は自分が、絶望の淵にたったときにやっと見えてくるようなものなので、
普段は意識できないのであろう。
しかし、絶望の淵にたったときにあぁ、家族いねーってなると本当にキツイ。

独身の40代後半のSNSにおけるメシとは

かなり偏見にまみれた意見かもしれないが、なぜ独身のおじさんはメシをSNSにあげるのだろう。
圧倒的にラーメンが多い。
なにか、ご褒美として食べた、または食べたいという思いをあげている。
いいんだけど、クソつまらないではないか。

そう、自分もブログにラーメンをやたらあげていたことがある。
まぁそのころは、ラーメン屋開拓にはまっており、食レポのような感じであげていた。
いま振り返ってもほんとうにつまらないのは素人の食レポである。
しかし、本人にとっては美味しいご飯というのは、アドレナリンがあがり
その上がった状態を記録しておきたいから、記述するのである。
他人にみせる目的ではないのだろう。

関係ないが、
以前、精神的な病院に入院していた時とっても世話になった爺さんがいた。
退院してからも会いに行ったり、その人の持病の薬を他の病院にもらいにいくお使いをしていたりした。
(ほどなく看護師に問題視され、やめさせられてしまったが…)
その爺さんはとにかく歯が悪く、ほとんどおいしい食べ物を食べられない。
なにか手土産を持っていきたくても、食べ物じゃないものとなると本当に難しかった。
食べ物を制限されるということを考えざるを得ない事態だった。

食べ物というのは、人間にとって大事なものである。
しかし制限されてしまう人も多くいる。流動食の人だって、アレルギーの人だっている。
自分がラーメンを食べられる、アイスを食べられる、酒をのめる
という喜びをまわりにアピールしたくなる。そんなことが中高年たちが食べ物をあげる理由ではないか。
逆に言えば、それは楽しみが狭まってきている合図かもしれない。
ということで、食べ物以外の楽しみを多く見つけたいなぁと考える次第。

ある程度の年齢行ったら自己成長なんてしない

いい年になったなぁと感じる。
目も悪くなって、毛根の力がない。
公園で鉄棒にぶら下がっても、腕が上がらない。
フィジカル面だけではない。
記憶力も怪しいし、学ぶ意欲も薄い。

これじゃだめだ!と奮起する人もいるだろう。
AI関連の本を買って、これからに備えたり、
ジョギングして体を鍛えたり。

まぁそれもいいだろう。
でも、ジジイはもはや成長なんかしない。
生物学的にそうできているに違いない。
60歳で死んでたんだから昔は。
もはや50からは余生であってもおかしくないのである。

しかし、まぁ中高年代ってそこそこお金もあって、
なにより人数が多い!
だから、売上につながるんだよなぁ。
だから、ポテンシャルまだある!とかって焚きつけるんだよね。
でも、駄目だよ。疲れやすいし。

ただ一つ。大事なことはある。
心を病まない事。
メンタルの健康、これだけでいいのである。

メンタルを病むと年齢的に回復は難しい。
成長などいらんから、このメンタルだけは元気でいたいなぁ。
メンタルを病まないためには、自分をほめればいい?のか?
とか考えていると、これはこれで自己啓発書の餌食になりそうである。

まぁ、人目を気にせず、バカにされてもいい。
くらいに思っておいて間違いないかもしらんね。

駅の電車が止まる位置の大きな広告

駅の構内の大きな広告に異変が起きている。
もはや、おそらく企業に余裕がない、または駅の定位置広告に魅力がなくなったのかもしれない。
今日電車を待っていたら、デッカイ新広告が目の前に現れた。

ポケパラ 高収入 である。
そう、夜のお仕事に誘う求人広告である。
ああいうのは、ややいかがわしいためスポーツ新聞の広告にかつはてあった。
街中を派手なデコレーションで走る、ドラックでの広告。
これも、いかがわしい広告でも、その場にあっている。

しかし、駅構内はイカンのでなないだろうか…
ほんとうにまずい気がする。
まずもって、子どもたちも利用する。
歌舞伎町でデコって走っている限りは、いい。
スポーツ新聞だってエロコーナーがあったりして、
それなりの場所だ。
しかし、駅のホームである。
朝から晩まで千差万別の客がそれを見る。

ここまで台所事情が苦しくなっているのか…
人間貧すれば鈍する。
きっと、沢山の人が駅へクレームを入れるに違いない。
そして、ひっそりとなくなることを期待している。
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